京 | 成 | 電 | 車 | で | 行 | こ | う |
旧寛永寺坂駅舎 |
トンネル口から寛永寺の方へと向かう。地下のホーム跡はなかなか観察しづらいが、その真上には旧駅の駅舎が残っているというので、それを見るためだ。
言問通りの交差点脇にその建物はあった。書籍等で紹介されている写真だと住宅地の中にひっそりと残るという感じで写っていたが、実際はご覧の通り、バスや車の行き交う通りに面している。
この寛永寺坂駅は、京成が都心進出を果たした上野線開通の昭和 8(1933)年に開設されたが、戦時中の統廃合によるためか、わずか 10年後の昭和 18(1943)年に閉鎖されてしまった。
駅舎は現在倉庫として使われており、駅時代の物だろうか大きな庇が張り出しているその下に、現在の出入口が開いている。あるいは、建物の道路側 1コーナーが斜めにカットされているので、こちらが本来の出入口だったかも知れない。
この倉庫の中には、まだ当時の地下ホームへと下りる階段が残っているんだろうか。道路側に面した一部は喫茶店として使われているが、どうも見た感じ既に営業は休止中みたいだ。
駅跡の国旗掲揚台 |
駅前(駅横?)広場はこの倉庫会社の駐車場になっており、その一角には「歩くII」にも紹介されている様に、国旗掲揚台があった。
博物館動物園駅舎 |
寛永寺の境内横を通り抜け、地面の下の京成線を意識してトレースしつつ、上野駅方向へ向かう。今日は曇ってはいるが残暑が厳しく、歩いていると汗だくになってくる。早いトコ地上の探索を終え、冷房の効いた電車に乗りたいな。
右手に上野図書館、左手に文化財研究所を見つつ少し進むと、前方にローマの遺跡の様な建物が見えてくる。これがあの有名な「博動」だ。
こうして見るとなかなかに技巧を凝らした建物で、かなり周囲との調和を意識して作られたという事が、あらためて感じられる。寛永寺坂駅のあっさりとした作りとは対照的だ。
博動駅舎と黒田清輝記念館 |
正面に回り込む。左手に茶褐色の黒田清輝記念館が建っているが、通りのこちらから見る限りでは、それと比べてもなかなかいい線いってる造りだと思う。
残念ながら駅自体の営業は 97年より休止されているが、何かの記念館の様に使っても良いんじゃないだろうかと思う。(休止前の探訪記がたろうさんのページにあります。)
ここから一度上野のお山を下りて、不忍池の方へと出る。何をしているかというと、都電の専用軌道敷跡を見に行くのだ。我ながらご苦労様な事(^^;)である。
台地と池とに挟まれた軌道跡は現在車道になっているが、今でも目の前のカーブを曲がって都電が現れそうな雰囲気を残している。特に、動物園のモノレールが頭上をかすめるあたりなんかは、周囲もひっそりとしており、なおさらである。
そういえば昔、親に連れられて動物園のモノレールに乗ったら、眼下に黄色い都電が走っているのがチラと見えた事を憶えている。そんな思い出を写真にとどめようと思いつつ、モノレールが来るのをしばらく待つ。
...来ない。ハッと思ってフェンスの向こうを覗くと、園内に人影無し。あぁ何とガッカリ、今日は休園日なのだった。