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1999/09

 電車に乗ろう!... そう思った。列車でなく、汽車でもなく、電車なのだ。そう、男の子なら「マンマ」の次に覚える言葉、「デンシャ」。(ウソです)

 で、電車と言うと... 西武電車? ちょっと違う。小田急電車? そうは言わない。アレはあくまで「オダキュウ」。やっぱ一番「電車」という言葉を引きずってるのは京成電車、いや京成電鉄でしょう。

 というわけで強引なこじつけの元に、一路、京成のターミナルである上野のお山へと向かう。千葉を離れてから乗る機会がなかなか無く、特に上野口からの乗車は、実に久しぶりだ。



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JR線を越える京成電車

- 御隠殿橋と上野トンネル -

 JR中央線,京浜東北線を乗り継ぎ、まずは日暮里駅で下車する(「ヒグレザト」でなく「ニッポリ」です>関東以外の方)。何故ここで下車するか... それは、この近くに京成電車の絶好のビューポイントがあるからだ。
 その名は「御隠殿橋」。京成が上野のトンネルへと消えて行く手前、JRの線路を跨いでいるが、その橋梁のすぐ脇に隣接して歩道橋があるのだ。

 駅東口を出て右手へと進み、京成の高架をくぐる。京成は過去に 1372mm から 1435mm へと改軌しているが、その際にはここの高架脇に側線が設けられ、台車の交換作業などが行われたそうだ。現在は倉庫等が建ち並び、当時の面影はない。
 高架をくぐると目の前に陸橋の階段が現れ、これを登って橋上へと出る。この橋から見ていると日暮里駅を発車した京成電車は、33‰の上り勾配を高架線へと一気に駆け登り、R160 の右カーブで車輪を軋ませながら常磐線,東北本線,京浜東北線,山手線等の線路を次々と越えて行く。実に勇壮な眺めだ。

 ところでこの付近に戦時中、国鉄から京成トンネルへの連絡線が設けられ、国鉄車両を搬入して空襲にも耐えうる地下運輸省が構築されようとしたという話しはご存じだろうか。
 実際にトンネル内には 3線軌条が引かれ、尾久や品川客車区から寝台車が運び込まれたそうだ。その間京成は、日暮里〜上野公園(現京成上野)間の営業を休止させられたと言う。
 で、具体的にどこに連絡線が設けられたかというと... この辺の謎解きは非常に面白い(鉄ピクNo.632に詳しい)のだが、長くなりそうなのでまた別の機会に。

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上野地下線の入口

 さて御隠殿橋を渡るとその先は谷中の墓地。歩いて通り抜け左へ曲がり、住宅地の路地裏を行くと、ちょうど京成が地下へともぐって行くトンネルの正面に出た。
 JR線を渡ってからこのトンネル入口までの下り勾配が、京成線内最急の 40‰との事である。そしてこの入口のすぐ奥に寛永寺坂駅があったというが、ここから覗いて見る限りではその痕跡はわからない。

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