今日は天気も良く気温も暖かなのは良かったんですが、春の嵐のような風がやたら強くて困ります。花粉もおそらく相当数飛んでいるはずですが、何故か今年は症状が全然出ないのをいい事に、こうしてのんびりと歩きに来た次第です(でも後でしっぺ返しが来るカモ)。軌道跡はやがて直線から右カーブに入り、交通量の多い道との交差点が見えて来ると木下街道の信号(写真6)。木下は"きのした"でなく"きおろし"と読み、ずっと北上した成田線に駅のある地域です。
しばらく待ち、青信号になって街道を渡ると、目の前に窪地が開けて来て、いよいよ例の物件が目に飛び込んで来ます(写真7)。これは数少ない鉄道連隊時代の遺構の一つ、いや 4つ... コンクリートで出来た橋台と橋脚がズラっと並んでいるのです。道路の方はこの区間、ぐいっと身をくねらせて横を通過しています(写真8)が、さながら橋脚に通せんぼされてるみたいで、少々滑稽な景色に感じられます。一方の橋台群の方はドシンと落ち着いて、何やら兵隊が列をなしてグッと地面に踏ん張っているようにも見えますね。
近づいて行って、黒ずんでザラザラした感じのコンクリートの表面に触れてみたら、ヒンヤリとしていました。かなり頑丈そうな造りで、とても演習用の軽便軌道のものとは思えません。下から見上げると、青い空を背景とした逆光の黒い立方体の縁から、春の日差しがチカチカと目をくすぐります(写真10)。脇では開花を待つ桜の梢が、強風に揺さぶられて枝をしなわせています。
この遺構の敷地はちょっとした公園になってまして、薄い芝生の上には遊具が点々と散在しています。日曜なので子供が数人遊んでいましたが、ここに汽車が通ってたなんて事を知っているのか知らないのか。でも一脚の遺構の下には立派な鎌ヶ谷市の説明板があったので、ちゃんと知っているのかも知れませんね。もしもこの区間がそのまま使われていたとしたら、今見上げているこの上空を、新京成の電車がガタンガタンと渡っていった? 鎌ヶ谷大仏の駅もずっと南になり、大仏様からも遠ざかってしまうので、駅名も違っていたかも知れません。