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青梅線砂利線のその後 (1.河辺)

Photo 1.

 という事でまずは河辺駅へとやって来たが、買い物で寄った西友の屋上へ行き、鳥瞰図(という程でもないな)をパチリ。

 写真は河辺駅の北口。砂利線は駅の裏手を、多摩川へとカーブして行った。背景には川向こうの山々が、屏風の様に連なって見える。

Photo 2.

 駅の南口へとまわる。今や後から開けた北口の方が発展してしまったが、元々の正面玄関はこちらだった様で、開設当時の三角屋根の駅舎がまだハンバーガー店の店舗として残っている。

 最近はでも、エレベータとそれに連絡する歩行者デッキが出来て、こちら側もかなり都会的な雰囲気にはなって来た。

Photo 3.

 線路に沿って立川方へと走って行く。河辺は地元以外ではあまり知名度は無いと思うが、側線を持ったけっこう構内の広い駅だ。日に何本か東京発河辺行のスジもあるので、運のいい人は方向幕を見る事があるだろう。

 砂利線は、この河辺駅構内の敷地の尽きるあたりで分岐していたと思うが、写真左端の架線柱へ向かって来ている側線(架線位置で想像して下さい ^^;)が、そのなごりに見えない事もない。

Photo 4.

 分岐した線路は河辺小のあたりを通っていたと思われるが、その付近に痕跡らしきものは見つけられなかった。

 奥多摩街道を渡った先には、カーブした怪しい路地が見られる。廃線跡そのものでは無いかも知れないが、それに影響された地割りが現れているのか...。

Photo 5.

 ゆるやかにカーブする路地がしばらく続く。静かな住宅地の中の一角で、あたりにひと気はない。写真は終点側から、河辺駅側を振り返って見たところ。

Photo 6.

 路地の突き当たりが総合体育館の敷地になる。この場所にはかつて「昭和石材河辺工場」があり、河原からトロッコで引き上げられて来た川砂利を加工し、貨車に積み込んで出荷していたという。

 体育館の裏手へまわってみると、そこには砂利の敷き詰められた広場が。ひょっとして、これは! ...しかし冷静になって良く見てみれば、それは砂利ではなく砂の、単なるゲートボール場なのだった。(^^;)

Photo 7.

 体育館敷地の裏手は、道路一本を隔てて河岸段丘の崖になっており、そこを崖下へと急な坂道が下って行く。

 河原と石材工場の敷地を結んでいたインクラインは、このあたりは地下を通っており、ちょうどこの坂道の中腹あたりでトンネルに突っ込んでいた様だ。

 写真は右手の道路のさらに右側が体育館、左手へ分岐して行くのが崖下への坂道。

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