八高線に乗って北へと向かっている。 高麗川で乗り換え、小川町、寄居も過ぎて、2両編成のワンマンディーゼルカーは真っ直ぐな線路をひた走る。 前方遥か遠くには、雪で頭を真っ白にした浅間がその秀麗な姿を見せている。 輪行でゆく今回の走りもリハビリモードである。 という言い訳をもう何回もしているような気がするが、何せ鉄道にすらここ2年近く乗っていないし、こと輪行に至っては2019年春の筑波鉄道以来というご無沙汰状態なのだ。
降り立った駅は丹荘(たんしょう)、本日はこれから上武鉄道の廃線跡を辿ろうという魂胆である。 以前、ニフティFCYCLOフォーラムのランドナーOFF会で走った事があるが、その際は集団行動だった為、あまりゆっくりと探索する事が出来なかった。 今回はソロなので、改めてジックリ丁寧に巡ってみようというわけだ。
列車が行ってしまうのを待ち、まずは駅ホーム上から構内の様子を観察する。 しばらく来ないうちにJR丹荘駅自体もだいぶ様変わりしたようで、交換設備を持った対向式ホームだったのが、今は棒線化されている。 向こうにホームは残っているが、跨線橋も取り払われてそちらへ渡る事は出来ない。 その裏手にあった上武鉄道のホーム跡も既に姿は消えていた。簡易改札に Suicaでタッチして駅舎を出る。 改築されてしまったというのは聞いていたが、振り返って見ると昔の国鉄然とした木造駅舎はどこへやらだ。
広くて何も無い駅前広場で一人自転車を組み立てる。 いつもならタクシーの運ちゃんに見つめられながらの作業だが、車一台いない寂しい駅頭風景が広がっている。 久し振りの輪行だったが、分解も組立もあまり手間取らずに出来たのは、体が無意識に覚えているからか。 トイレを済ませ、よっこらしょとサドルに跨って走り始める。
駅前から県道に出て構内外れの踏切を渡ると、その先はいきなり道路工事中で片側通行。 交通整理のおじさんに一瞬停められたが、車に先行して通してくれた。 すぐ先で県道から左折し、JRの裏手側にある上武鉄道丹荘駅構内を覗きに行く。 駅跡はすっかり整地されてしまって何も無いが、片隅に錆び付いた継電箱がひっそりと佇んでいた。 ホーム跡も近くから再度確認してみたが、やはり撤去されてしまったようで何も見えなかった。
県道に戻り、(交通整理のおじさんに怪しまれるのでw)工事個所を避けるように迂回して上武鉄道跡の道路へと取り付く。 丹荘駅から出て来た線路が八高線と分かれてゆく「怪しい」カーブのあたりである。 この付近の線路跡は舗装された道路となっているが、地図を見ると「健康緑道」と命名されているようだ。
カーブが終わると道路は一直線に山の方へと向かって進んでゆく。 その先は普通の車道でなく、歩道のようなタイル貼りの道となるが、それでも車の通行は規制されていない。 付近の民家が持つ自家用車の出入りに配慮されている様子である。 しばらく行くと用水路と斜めに交差。 ここは確か道が途切れて橋台の残っていた箇所だが、緑道として立派に整備された代償として、貴重な遺構は失われてしまったらしく、残念無念だ。
走って行くうち、右手奥に大きな銀杏の樹に囲まれたお社が見えて来た。 黄色い落ち葉でフカフカの境内、気持ち良さそうだから帰りにここでお昼もいいな。 そこを過ぎると風景が開け、冬晴れの空の彼方に浅間山の白い頂が姿を現す。 自転車を停め写真を撮っていると、足元の草むらで何か動いた。 廃線跡に猫である。 すぐそばにいて近づいても逃げないが、私と目を合わせようとしない。 が、しゃがみ込んで無理やり顔を覗いたら、プイっと走り去ってしまった。
やがて、前方左手にコンクリートの擁壁で囲まれた小さな構造物が見えて来る。 ここが神川中学校前の駅跡で、ホームのその上には駅名標も立てられている。 ホームは縁石は古いものの擁壁が新しく見えるから、後から補強されたのか? あるいは、ホーム自体からして当時を模して作られた物なのかも知れない。
さらにそこから2~3分走ると、ベンチ脇に立つ信号機が見えて来る。 前回(1997年)来た時からもう24年、よくぞ残っていてくれたという思いだ。 しかしこの信号機、光る部分が一灯しかなく、これでどのように現示するのか疑問だった。 調べてみると、中で異なる色のフィルターを使い発色を変化させる構造になっている物だそうだ。