線路跡は砂利道になったり、畑の中の舗装道だったり、区間区間でその形態が切り替わる。 所々、周囲がメガソーラーになっているのも、昨今の世相を反映している。 青柳の駅跡はよく分からなかったが、その先の田んぼにはポコッと膨らんだ小山状の土塁が何箇所か並んでいるのを発見! 道路脇に説明板が立っていたので読んでみると、青柳古墳群というそうだ。
青柳地区の先で地形は大きく窪むが、線路はそのままの高さを維持して大築堤で渡って行く。 この築堤、以前来た時は視界が開けて開放的な景色だったが、今は両側をフェンスと植え込みに囲われて少々窮屈になってしまった。 だがその途中には新しく四阿(あずまや)が設けられており、周囲の田園風景や上州の山々を見渡すことの出来る格好の展望台となっている。 私もしばらく自転車を停め、ここで有り難く小休憩をとらせてもらった。
築堤を渡り切ると集落に入り、間もなく寄島の駅跡に到着する。 この辺り、後で思い返してみると確かレール模様がタイルに埋め込まれていた筈だが、落ち葉に埋もれていたのか、見逃してしまった。 そう言えば、どこか車道と交差する箇所に踏切のレールも残っていた気がするが、こちらも見かけなかったので、あるいは撤去されてしまったのかも知れない。 経験から言うと埋まっているレールというのは結構危険で、昔まだ自転車通勤していた頃、雨の日に会社の門扉のレールに後輪をとられ、守衛さんの目の前で派手にすっころんだ思い出がある。 あれは痛かった… いや、体よりも心の痛みだが(笑)
寄島を通過すればゴールも近いが、少し走ると道は突然行き止まりとなり、その先は草藪となっている。 いや、終点のフェンスにもたれかかって覗いてみると行手は大きく切れ落ちており、神流川へ流れ込む支流を跨ぐ箇所だった。 そこには今も小さなガーダー橋が架かっており、上武鉄道の数少ない遺構となっている。 草木に遮られて良く見えないが、フェンス内側から腕を目一杯伸ばしてカメラで撮ってみると、雑草の影に赤錆びたリベットの主桁を、かろうじて確認する事が出来た。
表通りへと一旦迂回し、車道が支流を渡る橋の上から覗いてみると、こちらからもガーダー橋が奥手に見える。 しかし肉眼でははっきり見えるものの、写真に撮るとその手前にある木々の方が目立ってしまい、どうもうまく行かない。 最近の取材写真はほぼスマホで済ませてしまっており今日もそうだが、こういう時はやはりデジカメに一日の長があるのかな?とも思う。
国道462(十石峠街道)と交差した先、線路跡は私有地となってしまい立ち入りは憚られるが、並走している県道(上里鬼石線)の方から遠くを透かしてみると、神流川との間に細い敷地の続いているのが分かる。 このあたりは、上武鉄道と神流川が一番近接していた区間だ。 ダンプに脅されつつそのまま県道を進んで行くと、やがて右手に「朝日工業 埼玉事業所」の大きな門が見えて来る。 これこそ、日本ニッケル→西武化学工業→朝日工業と変遷して来た、上武鉄道の運営母体。 かつてはその敷地の中に終点「西武化学前」があったわけだが、駅名は「西武化学内」とした方が理に適っていたかも知れない(笑)。
さて、曲がりなりにも終点まで到達したので、探索はこれ位にして、どこかでお昼にしよう。 食材は途中のコンビニで調達済みだし、線路跡には至る所にベンチが設置してあるので、ランチ場所はよりどりみどりだ。 などと、道を戻りながら考えているうちに思い出した!来る途中に、黄葉の落ち葉が見事な神社があったっけ。 (おわり)
年表:
- 昭和16(1941)年 専用鉄道敷設許可、工事着工
- 昭和17(1942)年 日本ニッケルの専用鉄道として開通
- 昭和21(1946)年 地方鉄道転換認可
- 昭和22(1947)年 旅客営業開始。青柳、寄島、若泉(後の西武化学前)駅設置
- 昭和37(1962)年 上武鉄道に改称
- 昭和41(1966)年 神川中学校前駅設置
- 昭和48(1973)年 旅客営業廃止。貨物専業鉄道化
- 昭和61(1986)年 全線廃止