豊橋~天竜峡
暗闇の中、枕元で鳴るアラーム、いつもと違う音で目が覚めた。 そうだ、旅に出て今日は飯田線に乗るんだったとボンヤリした頭の中でイメージがまとまる。 カーテンを開けてみても外はまだ闇。始発に乗るためとはいえ、さすがに4時半起きではまだ夜明け前だ。 そそくさと部屋で軽い朝食を済ませ、チェックアウトの為に階下のフロントへ。 こんな早い時間なのに、エレベーターに乗り合わせた同宿者がスーツ姿で空ろな目をしている。 ドアが開くと、ロビーで新聞を読んでいた同僚と声を掛け合っていた。
昨晩は駅前の豊鉄ホテルへ泊まったので、玄関から駅入口まではすぐに着く。 有人改札で18きっぷに一回目の日付印を押してもらい、飯田線が発車する頭端式の2番線ホームへと降りていった。 ここ豊橋駅から名古屋方面へ向かって少しの間は、協定により飯田線と名鉄が一つの線路を共用しており、隣のホームには朝一でセントレアへ行く空港特急が発車を待っている。 そちらは割合と客が乗っているようだが、飯田線の方はホーム中ほどで7~8人が入線を待っている程度だ。
やがてヘッドライトを煌々と照らし、119系の2両編成が回送されてやって来た。 飯田線に住み着いてすっかりお馴染みのこの車両だが、どうも通勤然としたパンダ目の面構えは今ひとつパッとしない感がある。 ドアは半自動なので手で開ける必要があるが、寒いこの時期には防寒対策としてありがたい。 まずは進行左側のボックスに陣取って、天竜峡までの車窓を楽しむとしよう。 向かい側の少し前に単独の登山客が腰かけたが、彼はあの重装備でどこまで行くのだろうか。
電車は定刻6:00きっかりに天竜峡駅へ向けて発車した。 出発するとゴトゴトとポイントを渡り、豊橋駅構内を出外れたかと思うともう最初の停車駅、船町。 乗り降りもなく、再び発車して豊川を渡ると次の駅、下地。 こんな調子では時間がかかるのも無理はない。 まだ日が昇らないので眺める景色は線路だけ。 少しの間は東海道本線と併走するが、やがてそれが離れて行き、続いて名鉄線が分岐して去って行くと、右手にグっとカーブして小坂井駅へ到着。 発車から7分で既に3駅に停車している。
名鉄豊川線の合流する豊川駅で少し客を拾い、次の三河一宮あたりでようやく空が白んで来た。 暗闇をずっと走って来て、地上と空の濃淡が逆転する瞬間というのはとても清清しい気分になる。 飯田線のこの列車はワンマンでなく、乗務している若い車掌氏は先ほどから大忙しだ。 当然の事なのだろうが、一挙手一投足をまじめに指差喚呼をして確認しつつ業務をこなしている姿には感心してしまう。 駅間はほぼ毎回各車両をまわって車内改札に忙しいし、駅に着けばホームへ降りて駅員としての任務をこなさなければいけないのだ。
そうこうしてるうちに電車は豊橋の平野北端に達し、助走をするかのように一端南へ向きをかえ、再び北方向へとS字カーブを描いて渓谷に分け入る。 本長篠駅では窓からチラリと田口線の跡を確認した。 湯谷温泉は、以前に逆方向で飯田線に乗った時はかなり山中にある駅だという認識でいたが、こうしてみるともう豊橋側に殆ど降りて来た場所なのだなと思う。 三河川合から先はいよいよ飯田線らしくなって来た。 トンネルを抜け、深い峡谷を鉄橋で渡り、カーブをまわって再びトンネルへ…、こんな光景が何度も繰り返される。
この区間で飯田線は、豊橋からずっと寄り添って遡って来た豊川を離れ、トンネルを潜って天竜川水系上流の谷筋へと移る。 しばらく走って景色が少し開けて来たと思ったら中間の主要駅「中部天竜」に到着。 駅前にはレールパークがあるので、昼間は下車客も多いだろう。 私も前回はここまで南下して来て、乗り継ぎのためにこの街でしばらく時間をつぶした。 無茶なことに確か駅から徒歩で佐久間ダムまで行こうとして、途中のトンネルで諦めて引き返して来たのだ。 お腹が空いたが食堂らしきものが見つけられずに駅前の商店に飛び込み、「何か食べるもの作れませんか」と頼み込んでカレーを食べさせてもらった事を思い出す。
川向こうにせせり立つ佐久間発電所の巨大な構造物を車窓に見ながら、ガタンガタンとトラスの鉄橋を渡ると佐久間に到着。 ここを発車すると、その先はダム建設による水没を避けるために付け替えられた線路で、秋葉街道筋へと長いトンネルでシフトする。 そのおかげで(かどうか分からないが)出来た渡らずの橋(第6水窪川橋梁)は、鉄道ファンならずとも知る有名な存在なのではないだろうか。 ここだけは席を立ち、運転席背後に被り付いてじっくりと見入ってしまった。 斜面に広がる水窪の街をグルリと巻き込んで見下ろすようになると、再び長いトンネル(大原トンネル)へと突入する。 これを抜ければいよいよだ、飯田線珠玉の区間が待っている。
トンネルを抜けるとパッと明るい景色の中に飛び出してすぐに停車。 そこは短いホームがトンネルの間に挟まった大嵐駅。 「おおあらし」と書いて「おおぞれ」と読む難読駅だが、何やら暴風雨に襲われた山峡の駅を想起させて少々降りるのを尻込みしてしまいそうではある。 この駅名の由来はどこから来たものだろうか。 調べてみると「ソレ」という読みが焼畑を表わすようで、この近辺で焼畑農業が行われていた事に由来すると推測されているそうである。
左手の目前には満々と水をたたえた天竜川、いや、このあたりは佐久間湖の一部と呼んだ方が良いのかも知れない。 その湖面を渡って向こう岸の村落へと橋が架かっている。 この駅では意外にも多くの若者が降車した。 なにやら引率者らしき人も一緒だったので、スクールか何かの施設があるのかも知れない。 発車するとすぐにまた長いトンネルへと入る。 ここからは開業当初からの線路に戻るが、これだけの難所を貫いてレールを敷いた三信鉄道と工事従事者の苦労が偲ばれる区間だ。
次の「小和田」は雅子さまで名が知られるようになった駅。 ここは秘境駅としてもつとに有名である。 続いて「中井侍」(なかいさむらい)、この特徴的で由緒ありそうな駅名も何かの謂れがあるのかも知れない。 長いトンネルを抜けると束の間、天竜川の美しい川面が見え、またすぐに次のトンネルへと突入する。 その一瞬の美しい情景が目に焼きついて離れない。 私は窓にへばり付いて、夢中で景色を見続けた。 平岡駅では、豊橋からずっと乗って来た登山装備の人が下車した。 ここから目指すは南アルプス方面だろうか?
こちらも普通は読めないだろうと思われる「為栗」(してぐり)を過ぎ、「唐笠」あたりでは周囲の稜線もだいぶ低くなって来た。 天竜峡まであと3駅、車内ではそろそろ乗り換えの支度が始まる。 天竜峡からここまでの間は天竜ライン下りとして観光客が船で遊覧する区間だが、既に12月に入って一日数便を残しシーズンオフとなっている。 観光期には電車と川船の間で客が手を振り合うという、微笑ましい光景が見られる事もあるようだ。 ずっと左手に見て来た天竜川を最後に鉄橋で渡り、トンネルを一つ過ぎると途端に景色が一変し、谷が開けて街中の天竜峡駅へと到着。 難所を越えて来た電車はホームに停車すると同時に、ホッと安堵のため息をつくかのように全身から空気を吐き出した。