~ 遠江(とおとうみ)の赤電に乗る ~

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チラホラと降りるスーツのビジネス客に混じり、小リュックの軽装姿で歩く新幹線ホームは少々浮き気味の気分。 そう言えばここ浜松の地は、私もかつて出張で訪れた事がある。 ちょうど付近の再開発が進んでいた頃で、改札を出ると駅前の広いガランとした敷地にポツポツとビルが建ち始めていた。 遠州鉄道は当時国鉄の浜松駅を出て右手の地平に入口があったと記憶しているので、仮駅で営業していた時期だろうか。

今や駅前は中高層のビルが林立していて、その変わりようには驚かされる。 遠鉄も立派な高架駅となり、以前とは逆の左手へ少し通路を歩いて行った先にあった。 エスカレーターで2階へ上って行くと、明るくて近代的だがこじんまりした駅コンコースが見えて来る。 私は窓口へ行って女性の職員に「共通1日フリー切符を下さい」と話しかけた。 「はい。どちら廻りで行かれますか?」「西ルートで…」

Photo 共通1日フリー切符

そんなやりとりで購入した切符、これは遠州鉄道と天竜浜名湖鉄道の両線を共通して乗れるもので、遠鉄の終点「西鹿島」から「掛川」へ抜けるか「新所原」へ行くかのどちらかのルートを選択出来る。 金額は1,300円で、西廻りの場合、普通の切符をそれぞれ買うよりも若干安くなっているのでお買い得だ。 また西ルートに限って、東ルート側だが主要駅である「天竜二俣」まではみ出す事も出来る。

切符を見せて改札を通り、階段を登ってホームへ出る。 新浜松駅は対向式ホームの2面2線だが主には片方のホームしか使っていないようで、向こう側の線路には少々古株そうな湘南顔の赤い電車が留置されている。 全体にコンパクトな作りの駅だが、地方私鉄にしては都会的な香りがする。 いや、もはや遠鉄は都市近郊の私鉄として、準々大手ぐらいの範疇に入るのかも知れない。 私の中で遠州鉄道と言うと、どうもあの軽便鉄道であった奥山線の方が脳裏をかすめてしまうのだが。

しばらく待つと、折り返し始発となる電車がやって来た。 前面が大きな3枚の平面ガラスで構成された1000形電車は遠鉄の主力車両で、わが故郷の新京成8800形にも似ていて何となく親近感が湧く。 遠鉄の電車は、その真っ赤な塗装によって沿線では「赤電」と呼ばれ、親しまれているそうだ。 各社、それと対になって呼ばれる、例えば青電とかがあっての赤電が多いが、ここのは純粋に真っ赤な電車だけでちょっと珍しい。 京急も名鉄も赤電とは呼ばれないのだから。 運転士と車掌が席を交代してすぐに出発となる。 2両編成なので、この辺の入れ替えは素早い。 最近はどこの鉄道会社も女性職員の採用が多くなって来たようで、この列車にも女性車掌が乗務している。

Photo 新浜松駅(1000形)

時間になり、発車メロディが鳴って両開きのドアが閉まる。 軽やかに走り出した電車はビルの合間を単線の高架で進み、すぐに最初の駅「第一通り」に停車。 高架だが1面1線で停留所という感じ、駅間もかなり短い。 次の遠州病院駅は交換可能な構造で、地上線時代には遠鉄浜松駅のあった場所、奥山線はここから発車していた。 浜松駅からここまでの旧線は、一度市街地の東側へ出て遠州馬込駅でスイッチバックしてから北上して来るような線形だったのだが、高架化により現在のルートに移りだいぶ距離が縮まったようだ。

次の八幡は「やわた」でなく「はちまん」と読む。 ここも行き違いの出来る高架駅で、こちらがホームに入ると同時に向こうからも電車がやって来て、交換待ちをするまでもなくお互いに発車。 とてもスムーズなダイヤが組まれていて感心する。 すぐに地上へ降りるのかと思っていたが、電車は意外にもここまで3駅程高架のまま、浜松の市街地を見下ろしながら進んだ。 次の助信(すけのぶ)駅でようやく地上へ降りたが、さらにその先の区間でも高架工事がかなり進んでいる。

Photo 遠鉄車内

こうした設備への投資状況を見ても、遠州鉄道はなかなか元気があるようだ。 乗客の乗り降りも結構多く、平日昼にもかかわらず車内に活気がある。 ダイヤが12分ヘッドで1時間に5本というのも大変分かりやすい。 時刻表を見ても朝7時台から21時までの間、全く同じ時間に発車する電車の表示が綺麗に並んでいる。

宮脇俊三氏は「時刻表おくのほそ道」の中で遠鉄に乗っているが、やはりこの頻繁なダイヤに感心している。 だが当時は11分間隔だったようで、10分か12分にしたらもっと覚えやすいのにと書いていた。 はからずもそれが実現している形だが、氏がご存命ならどんな感想を漏らしただろうか。 積志(せきし)では電車がいきなり分岐の右側へ入ってビックリした。 単線のために列車交換も頻繁にあるが、線形の関係なのか駅により左側通行と右側通行が混在しているのが面白い。

周囲はビルから郊外の住宅地、やがて畑が多くなり、しばらく平野部を順調に走る。 遠州西ヶ崎、遠州小松など、駅名は地域がら「遠州」と付く所が多い。 ただし「遠州病院」は病院名だから違うのだろう。遠州を取ったらただの「病院駅」になってしまうし…。 普通は会社の存在感をアピールするために「遠鉄」あたりを冠するところだろうが、廃止された「遠鉄浜松」を除くと存在しないようだ。 途中、遠州芝本あたりで再び高架工事をしている箇所があったが、こちらは幹線道路との立体交差化の為であろうか。 また、遠州岩水寺の先では大きな橋脚が林立する間を潜ったが、さてあれはいったい…。

Photo 西鹿島駅構内
Photo 駅近くのトロッコ軌道

やがて車窓左手から架線の無い天竜浜名湖線の線路が唐突に現れ、遠江の平野を駆け抜けた赤電はスピードを緩めて終点の西鹿島駅へ到着。 トンネルも鉄橋もさしたる勾配も無く、鉄道の敷設ルートとしては大変に好条件な路線と言えるだろう。 次に乗り継ぐ天浜線までは少し時間があるので、ホームを結ぶ小さな地下道を潜って一旦改札を出る。 学校が引ける時間帯だろうか、待合室は地元の女子高生達であふれており、車内にも劣らず活き活きとしていた。 いや、女子だからそう感じたというわけでも無いのだが、何にせよ人の姿がある駅の風景は良いものだ。

駅舎を出て線路伝いの駐車場から、構内に留置されている車両の様子などをカメラに収める。 電車が客を乗せて行ってしまうとあたりはとても静かだ。 駅前を街道が走っているが、あまり車の通りは多くない。 帰って来て地図を見て分かったが、すぐ南に第二東名のインターが出来るようで、途中で見た橋脚はこれだったのだ。 三ヶ日まで2012年度に開通予定との事だが、これが完成するとこのあたりもきっと騒がしくなってしまうんだろう。

ところで、時間が余って駅脇の路地をブラブラと散歩していたら、トロッコのレールらしきものがチラっと目に飛び込んで来た。 これは新発見!と思ったが、後で調べてみると結構有名な物件らしい。 かつて知ったるリンク先の方々も訪れていたりして、やはり皆さん同類は惹き寄せられるんですね、と思った次第。 ちなみにこのトロッコは駅近くの製材所と遠鉄の貨物ホームを結び、原木の搬入や製品の積み出しに使われていたという。 付近には現在も製材関係の工場が多く存在している。

散歩から帰って、駅本屋を正面広場から改めて観察してみる。 私鉄にしてはなかなか瀟洒なロッヂ風屋根の造りで、車庫もある終端駅としての力の入れようが分かる。 駅は国鉄二俣線建設に伴い昭和13年に鹿島駅から西鹿島駅へ移転したが、この駅舎は昭和54年に建てられた2代目だそうだ。 駅業務は遠鉄が行なっており、乗降客数は遠鉄内で新浜松駅に次いで第2位との事。 今はガランとしているが、かつてはこの駅前からたくさんのバスが発着していたのだろう。 かすれた道路表記で「バス」と書かれた広場から駅舎の上を見上げると、三角屋根のファサードにはクリスマスのリースが飾られていた。

Photo 西鹿島駅舎