北海道・摩周・晩夏 | |
第二日目 |
駅近くのホテルで一夜を過し、明けて二日目は札幌からスーパーおおぞらに乗車。平日の事とて駅構内こそ通勤客でごった返していたが、南千歳を発車して石勝線を登りだすと、周囲は人跡まれな森林風景となり、やっと旅気分になって来る。天気は札幌発車時には夏の日差しが射していたが、ここにきてまたもや雲に覆われて来て、たちまち青空は見えなくなってしまった。新狩勝トンネルへと向かって行く線路はさすが立派な路盤で、所々に現れる信号場にも例外なくポイントを守るスノーシェッドが被せられている。
ここでちょっとしたハプニングが発生。「間違って乗車された苫小牧へ行かれるお客様、車掌室まで...」という車内放送が流れ、しばらくしてばつの悪そうなそぶりの中年客がカバンを抱えて通路を小走りで通って行った。そのうち列車は山間の小駅で停車、「交換待ちです」の簡潔なアナウンス。しかし対向する列車が来ないままにすぐ発車した。という事は、どうも状況を察するに。。。
山奥に聳え立つ高層建築が見えて来ると、トマムに停車。先ほどから今いちスピードが乗り切れないと思っていたが、ここでお知らせがあり、振り子装置が不調だそうだ。トマムを 6分遅れで発車し、やがてトンネルを抜ければ眼下に茫漠たる帯広の平野が広がる。本来なら振り子式の本領発揮、だが速度を微妙にククッとコントロールしつつ下っているのが、座席を通じて腰から体に伝わって来る。新得 7分、帯広には 9分送れで到着、このままズルズルと遅れて行くかに思われた。
だがここでホームに作業員が一人待っており、一つ前の箱へとドアから乗り込むのが見えた。果たしてそれで振り子が蘇ったのか、そこから俄然スピードは盛り返し、池田では 8分まで短縮、海岸沿いに出て白糠で定時通過の誇らしげな車内放送。ラストスパートも一線スルーの駅々を、速度を全く落とす事なくどんどん通過して行き、定刻に釧路駅のホームへと滑り込んだ。
隣のホームにはノロッコ号が、既に多くのお客を乗せて発車を待っている。しかし今日の天気ではあまりに寒そうなその開放感溢れる展望車両を見るにつけ、乗りたいという気持ちは徐々に萎えてゆく行く自分なのだった。ここは午後の列車に鞍替えする事にして、荷物をロッカーに預け小さな待合室から駅前へと歩みだす。幣舞橋へと続く駅前ストリート、ここ釧路の目抜き通りだが少しうらぶれた感じは否めない。それは表面賑やかさを装ってはいるが、ビルの角から裏手を覗くとすぐ何も無い空間が広がっていたり、あるいはそのビルの屋上で鳴く海鳥の声が BGMに混じって街にこだましているからかも知れないが、結局のところ舗道を歩く人が殆どいないという事が大きいのだろう。
幣舞橋の手前で引き返し、途中の書店で雑誌と文庫を一冊づつ。これはこの後非常に貴重な兵糧となる。お昼に何故かカレーが食べたくなって、駅近くにある百貨店のレストランへと上る。少々曇り気味の大窓から外を眺めれば、すぐ目の下には引込線跡らしきカーブした空地が港の方へと伸びている。その隣に「和商市場」という看板を見つけ、食後にブラリと覗いてみる事にした。ここは調べたところ「勝手丼」という名物がある様だが、この時はその中のある店で適当に刺身の盛り合わせを作ってもらい \350で購入。先ほどの百貨店に取って返し、ご飯のパックと今夜の体内燃料他を仕入れておく。
その後に乗ったキハ54-500。車両としては好ましくまとまり私の好きなタイプだが、どうも車窓がパッとしない。こちらもやっぱり窓が薄汚れている。硝子の外側にこびりついた泥の微粒子を透かして釧路湿原が彼方に広がりを見せているが、その上には相変わらず厚い雲の蓋が被さっていた。久しぶりに降り立つ川湯温泉駅。以前来た時は確か"川湯"という駅名だったが、そう言えば一つ手前の"弟子屈"も"摩周"に、"斜里"も"知床斜里"へと観光客受けする駅名に変更となっている。駅まで迎えに来てくれた宿の方の車に乗せてもらい、一路コテージへ。外はいよいよ雨が大降りになって来て、あぁ明日が思いやられる。