(写真:1)
宮ノ平駅跨線橋から奥多摩方面を望む。左へカーブして分岐して行く道が旧線跡か。
線路はまっすぐとトンネルへ吸い込まれて行く。
(写真:2) 旧線跡らしき道の入口。橋は最近のもの、橋台もそれらしき雰囲気はなかった。右手が青梅線。 | (写真:3) う~ん、道幅といい、びみょ~なカーブといい、まさしくこれは... | (写真:4) まっすぐ行くと浄水場で行き止まり。ここらが旧日向和田駅終端部か。 |
(写真:5)
折り返して分岐する道は現在の線路の上を渡る。その橋の上からはトンネルが真正面に。
ポータルの美しい煉瓦積みや、その煤煙跡から判断すると、これは開通以来のものの様に見える。
しかし、中央線色のオレンジと煉瓦積みはよくマッチしているなぁ。
(写真:6,7) 脇道を山の方へ登って行くと、不思議な遺構の上に出た。脇には鉄製手すりの階段が。何でも鉄道の遺物に見えて来てしまう。 |
(写真:8) 採石場入口前を通過する小道。一瞬、採石場の敷地内に紛れ込んだかと思うほど、周りは殺伐としていて何も無い。写真奥の民家の向こうが青梅線。 | (写真:9) 奥へ進むに従って草が深くなる。最奥には何やら廃虚が。 | (写真:10) 道のどんづまり。目の前にそびえたつ巨大な廃墟は何だろう。 |
(写真:11)
脇のハイキング道より、谷底の廃虚を横方向から望む。きれいなアーチが緑に埋もれて並んでいる。これはホッパー跡か? どう見ても「鉄」がらみの遺構に思える。
(写真:12)
実は、青梅線の石灰石輸送に関してはもう一つの謎(私にとってだが)が存在する。
「青梅線百年誌」によると、青梅鉄道は小曽木村地内の石灰石を採取するために「黒沢専用線」というのを敷設したそうである。
大正6(1917)年~大正11(1922)で、すぐに廃止されてしまった様だが、これは何だろう。
黒沢と言うと東青梅から北へ向かってだいぶ坂を下った先だから、かなりの高低差がある。曳索鉄道の様なものだったのだろうか。
ご存じの方がいたら、教えて下さい。(写真は、東青梅駅前から黒沢へと向かう都道:雰囲気としては充分怪しい ^^;)
その後、黒沢専用線について少し見えて来ました。 黒沢専用線へ