昭和26年頃の地図を見ると、拝島から多摩川へと向かっている特殊鉄道の記号を追う事が出来る。これは、東京市財務局の砂利線との事で、詳細は調べていないが、ガソリン機関車により多摩川の砂利を拝島駅まで運び上げていたらしい。その路線の急角度な折れ曲がり方から想像するに、トロッコに毛の生えた(想像してはいけませんョ ^^;)程度のものだったのか。
拝島の改札を出て、狭い道に車やバスのひしめく中を右へ進んで行くと、写真1 の地点に出る。道は左に屈曲しており、16号の方へと向かって行く。ここからがこの軌道跡であり、どうやらこの道に沿って走っていた様だ。振り返って青梅線の方を見ると、いかにも元積み替え地点でしたというような、駐車場がある。
(写真1)画面奥が16号との交差点。 左に行くと拝島駅前に出る |
16号の向こう側はしばらく路地になっている。ここでは、軌道跡と一致する位置がそのまま敷地境界線となって、現在に至っているのを目にする事が出来る。
(写真2:下)16号との交差点のちょっと先。 路地裏に軌道跡が続く。 |
その先は舗装道路となり、ゆるくカーブしながら奥多摩バイパスに突き当たる。突き当たった地点は、ちょうど奥多摩バイパスから旧奥多摩街道が右へと分岐する場所。この先の小荷田で合流する16号の渋滞を避けて、この道へ右折した経験のある方も多いのではないだろうか。
奥多摩街道はすぐ左へと曲がるが、軌道跡はそのまままっすぐと墓地の脇を進む。
(写真3:下) 奥多摩街道を越えてさらに奥へ。 |
(写真4)突然現れたこの建物は何だろう。 |
進んで行くとT字路に突き当たる。軌道跡は右だ。このあたりは河岸段丘上の静かな住宅地が続く。が、しばらく進むと、なんか場違いな建物が出現。むむ〜、なんだこれは。
お屋敷の様でもあるし、工場の様でもある。少し脇道にそれて、正門とおぼしき前までくると... おぉそういうワケだったか。(これは多摩の銘酒です。)