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西武拝島線(4)


■東大和市〜玉川上水

東大和市駅は、拝島線の中ではかなり賑やかだ。駅前に大型商店こそ無いものの、スケートセンターと BIGBOX がデンと並んでいる光景は、いかにも西武沿線の正しい風景(^^;)と言えよう。乗降客数も、次駅の玉川上水に次いでおそらく沿線1,2位を争うものと思う。これには理由があって、それは先に述べた拝島線の生成過程と多少関係しているとも言えよう。

昭和13年、この地に東京瓦斯電気工業の工場(後に日立航空機立川発動機製造所と改称)が建設され、立川の陸軍航空工廠へ飛行機エンジンの供給を始める。この会社は元々大田区の大森海岸で創立されたものだが、この地に工場を作ると同時に、通って来る従業員のため一大住宅群を作った。この街は当時の大和村の南側にあったため、「南街(みなみまち)」と呼ばれたが、徐々に「なんがい」という呼び方に変わっていった。戦前の事なので殆ど木造の住居だが、戸建てや集合住宅、独身寮等色々な施設が設けられ、簡易水道や診療所、浴場、映画館など、工員の厚生施設もかなり整っていたそうだ。終戦と共に従業員は解雇され、街は国に物納されたが、一部の住民はそれを国から払い下げてもらい、そのまま住み着いた。そして時を経て住居表示となっても、この「南街」という地名は今に生きているのだ。

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南街遠望
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東大和南公園
モニュメント

工場の方は戦時の爆撃により大きな痛手を負い、戦後米軍に接収されてからの経緯は冒頭の記述通り。ここから線路沿いに玉川上水駅にかけての北側がその跡地だが、今は各種の運動場、公園、学校等の施設がゆったりとした敷地の中に整然と並ぶ。穏やかで平和な風景に包まれているこのエリアだが、そんな中、東大和南公園内にあるエンジンのオブジェや保存されている発電所の弾痕跡などが、当時を思い起こすよすがとなっている。

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■玉川上水付近

さて線路の方は東大和を出ると地上に降り、やがて広大な車両基地の横をゆるいカーブで回り込んで、2面3線の玉川上水駅へと入って来る。言うまでもなくかつての上水線の終点だが、現在は南北に走る多摩都市モノレールとの接続駅ともなっている。地下には芋窪街道、地上に拝島線、その上をモノレールが走り、背景には高層マンション群がそびえるという現代的風景の展開する駅前だ。

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玉川上水駅前
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駅構内
臨時ホーム跡は左手

拝島線のホームは上水線当時より若干南寄りに移動しているが、以前はその上水線ホームも臨時列車の発着用に構内の端っこに並行して残っていた。現在洗浄線のあるあたりかと思われるが、立正佼成会墓地の墓参臨時列車や、玉川上水駅始発電車のホームとしても活用されていたようだ。ちなみに萩山直結以前の新宿〜玉川上水間の臨時列車は、東村山経由でスイッチバックして運行していたらしい。

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旧上水線ホームに留置中の551系(1985年頃)
写真提供:山下さん
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