■ 二俣尾の側線 1998/05 |
青梅線の石灰石専用線としては東青梅から分岐していた黒沢専用線があるが、さらに西の二俣尾駅へも、雷電山から石灰石を運搬する索道が引かれていた。 これはどうも直接駅へ引き込まれていたのではなく、山の麓まで索道を引き、そこから駅までは側線が延びていた様だ。 この側線跡がまだ残っているという情報を聞きつけ、早速いそいそと出かけて行った。この日はついでに撮鉄モードで、余命短い石灰石列車も撮影して来た。 |
二俣尾駅の構内(奥が立川方)。北面に現役の側線が一本あるが、これも近々石灰石列車用としてはお役御免となる事だろう。 この駅は一応橋上化されているが、橋上駅と言うよりは跨線橋上に無理矢理改札口を設けたという様な雰囲気だ。 |
その駅舎(というか跨線橋)の窓から奥多摩方面を望む。側線は、右手奥方向へと分岐していたはずだ。 開け放たれた窓から改札口へと、奥多摩の爽やかな風が吹き抜けていた。 |
少し奥多摩方向へと走ると、細い路地が青梅線の下を抜けている。「茶道架道橋」、自動車がぶつかったのを目撃したら、至急連絡する様にと書いてある。 ところで奥に茶色く見えるのは...。 |
おォ、これこそ動かぬ証拠、もの言わぬ歴史の証人だ。レールこそないが、橋台と小ぶりな桁が赤錆びて残っていた。 |
さらに奥多摩方向へと自転車を走らす。青梅線と並んで単線分の用地があるが、このあたりで徐々に右手へと別れてゆく雰囲気だ。 しかし、こう藪が深くては良くわからない。やはり廃線探索は秋冬が一番だな。(^^;) 線路跡を追って踏切りを渡ってみたが、民家の奥で平行する道が行き止まりになってしまい、やむなくそこで引き返した。 |
この後は、途中の御岳駅付近で貨物の写真を撮り、その先奥多摩駅まで走って、奥多摩工業の構内の様子を伺った後帰って来た。 奥多摩工業の曳索鉄道氷川線は元気に走りまわっており、少し安心した。ま、あれが止まる様な事は当分ないだろうが... |