2020/01

福生(ふっさ)駅を利用された事のある方ならお気づきでしょう、下り線路のホーム反対側に昔の遺構らしき構造物が見えるのを。 私も前々から気にはなっていた案件ですが、家から近いという事もあり探索というほどの気持ちにもならず、テーマとしては長いこと放置状態でした。 しかし「福生駅の思い出」として以前 K.I.さんに投稿いただいた構内図を改めて見ると、どうやらこの謎が解明しそうなのです。 そこで今回この図も参考にさせていただきつつ、駅やその周辺について少し写真を撮って来ましたのでご紹介したいと思います。

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久し振りの福生駅。電車でいつも通りかかってはいるが、降りる機会は最近あまりない

福生は青梅鉄道の駅として1894(明治27)年に開業しました。 その後、青梅電鉄、国鉄、JR東日本と運行母体は変遷しますが、所在地としては大きな移動もなく現在の場所で旅客営業にあたっています。 しかし当時の構内図を見ると、駅構造や構内の線路配置等については数十年前と比べて大きく変化のあった事は明らかです。 現在では島式ホーム1面2線のシンプルな線路配置でポイントも無く、単なる通過駅に過ぎない福生。 でもその時代には貨物輸送を担い、ここから分岐する貨物支線や複数の側線も持つ、比較的大きな駅だったようです。

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さて、久しぶりにやって来た福生駅。 以前は駅前の西友まで買物をしに来る機会も多かったのですが、最近は立川へ足を伸ばすのでここは素通りしてしまう傾向にあります。 また、いつも自転車を作ってもらっていたショップも福生(あるいは牛浜)駅が最寄りですが、懇意にしていたIさんが辞めてしまわれて以降、サッパリ足が向かなくなりました。 そんなわけで、前に来てからだいぶ年月を経て降り立ったこのホームで、早速小さな変化を発見!  青梅方の先端部に歩いて行くと、そこでホームの延長工事が始まっていました。 これは予定されている中央・青梅線のグリーン車増結による、12両化対応の為ですね。

次はホームの下り線側を立川方向へ歩きつつ、観察をしてゆきます。 まず視界に入って来るのは、線路向こう側に続く古い玉石の擁壁です。 構内図を見るとここは貨物ホームのあった場所になるので、ひょっとするとその遺構なのかも知れません。 しかし、下り本線より一段引っ込んで積み下ろし線があったので、実際はもう少し奥まった位置がホームだったようです。 線路側に一部突出した箇所がありますが、そこだけは後から継ぎ足した様な雰囲気にも見えます。 そしてその向こうには、大谷石で出来た気になる建物が…  これはどうも古い倉庫を改造した店舗のようなのですが、後で駅を出てからまた観察してみましょう。

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旧下り線ホーム端部と思われる斜面が見える。その奥手が貨物ホームのあった位置か?

その先で擁壁はコンクリートの一段高い構造物へと変化します。 それらを繋ぐ部分は斜面になっており、ここはどうやら旧下り線のホーム跡の様です。 その部分、橋上駅舎の下は複数の設備機器が置いてありますが、雨に濡れないので環境として好都合なのでしょうね、きっと。 さらに立川方もしばらくこのホームが続き、線路は現在の島式ホームと旧対向式ホームに両側を挟まれた状態になっています。 そのホーム上は特に何かが建っているというわけでもないので、スペースとしてちょっと勿体無い感じもします。

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立川方ホーム端まで来るとその先は踏切になっており、あまり土地に余裕が無いせいか、こちら側では今のところ延伸工事の行なわれる気配はありません。 その後は反対の上り線路側駅構内を観察してみましたが、特にこれと言った遺構らしきものは見られませんでした。 かってはこちら側に待避線や側線があった筈ですが、その敷地は現在、西友の駐車場と化しています。 これでひとまず構内からの探索を切り上げ、次は改札を出て少し駅周辺を歩いてみる事にしましょう。


橋上駅舎に上がり改札を抜けると、目の前の自由通路にはコンビニ等小店舗が何軒か並んでいます。 通路は右手が西口となりますが、まずは左手の東ロへ。 昔は街並みに面した西口が正面でこちらは裏口という風情だったようですが、今は西友始め大きなビルの立ち並ぶ東口が、どちらかというと正面側な印象があります。 それは、駅舎から西友へと屋根付きで続くぺデストリアンデッキの存在も大きいのではないでしょうか。

そのデッキを降り、駅前から「やなぎ通り」あたりまでをちょっと歩いてみます。 駅前にあったというパン屋さんは既に存在しない様ですが、コンビニがほぼ同じ位置で代役を務める形になっています。 やなぎ通りの交差点角にあったとされる肉屋も、今は不動産屋の店舗に。 そこから左手を向くと、西友と立体駐車場を上空で結ぶ連絡通路が未来的な光景を見せていました。 その西友は練炭工場跡に建てられたものとの事です。

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ブラブラと西友の中も覗いてみましたが、以前とはだいぶ趣が変わった様です。 全体的に売場がかなりゆったりとしていますが、昔はもっとゴチャゴチャしていた印象があります。 ここは屋上に遊園地…というか100円遊具乗り場があり、買物ついでに子供を遊ばせたもんですが、今は屋上そのものに上がれなくなっているのが残念ですね。 次は再び外へ出て西友の業者搬入口前(製材所があった位置)を通り、青梅側の踏切の方へ行ってみましょう。


この踏切の前後には柵があり歩行者専用となっていますが、構内図によれば、当時は車も通行出来た旨記載されています。 多摩川へと続く貨物線(福生河原砂利線)を分ける側線も本線と共にここを通過していた筈ですが、おそらく複線化用地として使われてしまったのでしょう。 渡った先の右手は日通の倉庫だったようですが、今は新しめのアパートが建っています。 側線の終端部は駐輪場の敷地となり、その先にあった酒屋はクリーニング店舗となっていました。

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駅の青梅方にある人道の本町踏切。向こう側のアパートは日通倉庫跡に建つ

せっかくここまで歩いて来たので、ついでに多摩川へ向かう砂利線の跡も久々に少し覗いてみましたが、沿線風景は特に前回来た時から際立って大きな変化は無い様子。 K.I.さんが通われた福生第四小学校には屋上に「創立60周年記念」の看板が飾られていましたが、開校したのが私の生年と同じ1957(昭和32)年との事なので、2017年が創立60周年だったようです。 しかし教室から線路を行き来する貨物列車が望めるなんて、私だったら終始気が散って勉強に身が入らないこと確実ですね(笑)

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本日は自転車でなく徒歩なので砂利線はこの辺で切り上げ、駅へとUターンして西口の方へ行ってみましょう。 青梅線に沿った路地を歩いて行くと、左手の線路際には、先ほどホームから見えた大谷石で出来た古い倉庫状の建物が現れます。 中は焼鳥店となっていますが、場所的に貨物ホームのあった位置なので、物としては昔からここに建っていたのかも知れません。 地震対策なのか意匠なのか、周囲を鉄骨で補強されています。

そこから少し進めば西口のコンパクトな駅前ロータリー。 後から開発された東口に比べるとこちらは全体として昭和な風景で、高いビルもあまり有りません。 しかしバス便等はこちらが多そうですし、有名な福生の七夕祭りも、西口側の駅前通りを使って行なわれます。 西口には駅舎通路に連結された市のコミュニティセンターもあり、市民の交流の場となっています。駅前ロータリーの一角には、福生の地名について、その由来を記した案内板が掲げてありました。 その脇の柵の間から駅構内を覗いてみると、そこには旧下り線のホーム跡が静かに佇んでおりました。(終)

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西口駅前はバスや人通りも多く活気がある。背景に聳える東横インは東口に立つもの