さて、花粉の季節もようやくピークを過ぎたようなので、残りの区間をやっつけようと思います。 今回で扇町屋〜入間川(現狭山市)駅を走破すれば全線レポートは完了。 しかし、出かけたこの日は天気晴朗なれどやたら風が強く、特に狭山茶畑の中を進む時なんかは遮るものがないので風圧で自転車が押し戻されそうになる始末。 心中でやんぬるかなと唱えながら何とかそこを横断し、あとは前回トレース済の道を扇町屋へと向かってひた走ります。
途中、街道から外れて霞川を渡る箇所は前回写真を撮り忘れていたので、小休止を兼ねてここで一旦停止。 脇道へ入って行くと、散りぎわの桜が街道の橋を飾って優雅な光景を演出していました。 しかし馬鉄自体の橋(おそらく木橋)は特に痕跡があるわけでもなく、両岸は普通の民家の庭先となっています(写真38)。 実際ここに架橋されてたのかどうかは定かでないですが、川面からの高さは相当にあるので、もしそうだとしたら馬は結構怯えたのではないでしょうか。
再び扇町屋にやって来ました(写真39)。 昔の街道筋を偲ばせる建物がいくつか残っていて、何度来ても目に心地よい風景。 その一つからいかにも現代風いでたちの女性が出て来たのは意外でしたが、考えてみればまぁ至極当然の事ではありますね。 道に沿って進んで行くと、段々、昔の宿場町から現代の駅前へと街並みが入れ替わって来ます。 歩道橋下の三叉路を斜め左に分岐し(写真40)、まるひろ百貨店裏を行く緩い下り坂へと続くのが軌道跡の道です(写真41)。
下って行くと、16号に突き当たる手前で西武池袋線のガード下を潜り抜けます(写真42)。 右手坂上すぐが入間市駅ですが、馬鉄の廃止が 1917年、池袋線の前身である武蔵野鉄道が開通したのが 1915年なので、ここで立体交差していた期間は僅か2年。 もちろん、その武蔵野鉄道開通が馬鉄廃止の引き金になった事は言うまでもありません。 しかしそれ以前は、都心へ出るための汽車乗り場である入間川駅へ至るには、まだもうひとしきり走らねばならなかったわけで、昔の人は大変だったですねぇ。 ちなみにここ豊岡からは所沢へ出る乗合馬車もあり、馬鉄の競争相手にもなっていたそうです。
16号を渡った先(写真43)は少し細くなった道を進み、霞川の上に架かった橋は渡らずに大通りを横断(写真44)、道路向こう側へと続く路地に入ります。 ここらが黒須停車場のあったあたりかと思いますが、どことなく昔の雰囲気が漂っていますね(写真45)。 左手の路地にチラと桜並木が見えたので横道にそれて行って見ると、霞川の土手で桜祭りが開催されていました(写真46)。