Image影森(2)

先ほどの分岐点まで戻り三輪線の踏切を渡って、その先の跨線橋から武甲線跡を俯瞰。どうやら向こうの砂利道になっている所の手前あたりまでは、レールが残っているようだ。一番下の本線上を三峰口行きの電車が、もう一つの跨線橋をくぐって駆け抜けて行った。

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ところで私が今いるこの跨線橋、「大正二年」竣工の掲示がある。変ですね、車両公園の車内展示にあった歴史によると、秩父鉄道の線路が影森までやって来たのは大正七年。この橋はそれ以前からある事になるが、いったい何を渡っていたのかな?

□この件について、秩父のSさんからお便りを頂きました。

あの橋はもともとあそこにあったものではなく、400メートルくらい西へ行った所にありました。湯ノ沢という沢にかかっていた橋です。新しい道路ができて不要になったので、あの場所に移されました。なので、鉄道の開通よりも古いわけです。以上、ご参考にしていただければ幸いです。

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グルリとまわって武甲線跡へと降りて来た。砂利道と草むらの境に、こんな風に途切れた線路が顔を覗かせている。写真の後方、彼方に見えているのが先ほどまで居た跨線橋。この線が、秩父鉄道の要として活きていたのは昭和59年までで、廃止後既に20年になろうとしているわけだ。

その先は、線路跡を利用したハイキング道のようになっている。連休を利用して来たのか、リュックを背負ったシニアなご夫婦が連れ立って歩いていた。これが確かに線路跡だと示す証拠として、道路脇には古レールで出来た架線柱が点々と並んでいる。所々には撤去されたレールや、朽ち果てようとしている枕木が積み上げてあった。

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しばらく行くと勾配標が草の中から顔を覗かせている。ここまで来ると工場が近くなり、さすがに通行止めのロープが出て来た。線路跡の遡行を諦め新しく出来た上の車道へ移り、もう少し奥まで見に行く。カメラのズームレンズを通して見ると、遥か下方に広がる灰色の敷地に、黄色い重機の動いているのが小さく見える。貨物駅のあったのはどのあたりだろうか。ひとしきり観察を終えた後、途中にあった浦山民族資料館軒下のベンチを借りて、暫時休憩とする。ここで印刷して来た時刻表を何気なく眺めていると、パレオの通過時刻が近いのに気がついた。よせばいいのにその気になって、影森駅へと自転車を飛ばす。

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踏切の小屋脇へと陣取り、カメラを構える。ところが通過時刻をとっくに過ぎてるのに、待てど暮らせど蒸気はやって来ない。それもそのはずこの日は非運転日で、連休中だから必ず運転しているだろうと思い込んでいた私は、見事に肩透かしを食らった形になった。もう一点、帰って来てから「しまった」と思ったのだが、この時に私がいた地点から分岐して昭和電工へと続くカーブした道(Mapのオレンジ部)が、地図で見るとどうにも怪しい。実際に線路が引かれていたという記録は今のところ見つからないので、私の思い込みの可能性は非常に高いのであるが。

□この件について、でんさんに調べて頂きました。

結論から言うと、Kumaさんが怪しいと睨んだ道路は、やはり昭和電工秩父工場の専用線の跡だったようです。

まず、地元在住鉄道友の会貨車部会のベテランファンの方にお電話で伺いました。 1067mmの専用線や専用鉄道が直接乗り入れていたことは無いはずだが、かつて駅〜工場間にナローゲージのトロッコが敷設されていた、とのお返事でした。 昭和電工秩父工場と同じ地区にお住まいですので、信憑性は極めて高い情報かと思います。

次に、昭和電工秩父工場が1987年に編纂した『昭和電工秩父工場六十年史』を入手(偶然にも古本屋の閉店セールで昭和電工の秩父工場史を見つけ、僅か数百円で入手)したので、記述を見てみました。

それによると、この専用線は秩父鉄道と直通していたわけではなく、独立したナローゲージの軌道で、1928年5月31日に開業したとのこと。当初は栃本発電所の建設用に輸入したポーター製の蒸気機関車が投入され、やがてガソリンカー、ディーゼルカーへと動力を変更してゆきました。影森駅構内の専用ホームと工場間の約1kmを結び、影森駅構内に到着した原材料・資材を工場へ、工場で製造した製品の大部分を影森駅へ、5トン積の無蓋車を使って運搬していたそうです。工場内ではさらに1.5トン積のダンプカー(鉱車?)に積み替えてインクラインで山上の原料置場へ運んでいました。

しかし、輸送需要が伸びるに従ってこの方式では限界に達し、設備の老朽化も進んできたそうです。そこで、影森駅から直接トラックに積み替えて原料置場まで運搬することになり、専用線は1959年2月28日を最後に廃止されたと記録されています。


Map
国土地理院発行1/5万地形図
「秩父」(部分)昭和51年

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