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影森から裏道を走って西武線の高架下を潜り、秩父市の中心街へと向かう。行き交う人波がやけに多いなと思ったら、ちょうど羊山公園の芝桜が見ごろを迎えており、そこへと繰り出す人達だった。何でもテレビで紹介されたために、一躍有名になってしまったらしい。この日最後に訪れたのが秩父市内中央部に君臨する太平洋(旧秩父)セメント第一プラント。ここへは秩父駅から引込線が引かれており、ちゃんと国道もその上を陸橋で渡っている位、頻繁に貨車が出入りしてい... あ、あれ? |
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国道の下にあるべき線路が無かった。実は下調べが足りなかったせいで私は大きな思い違いをしてしまうのだが、この時はまだ貨車輸送がトラックに切り替えられてしまったんだ、ぐらいにしか考えなかった。それにしてもさすがに旧秩父セメントの要衝であるだけに、広大な敷地に展開する大きな工場だ。しかし従業員らしき人の姿は見えないし、煙突から煙も出ていない。連休なのでお休みなのかな。 |
構内の線路もあらかた取り払われてしまったようだが、この建物は一目見てピンと来ますよね。模型をやる人には定番のストラクチャなので、なおさら良くご存知かも知れない。そう、2階から構内を見通せるようになっている信号所の建物だ。 |
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35. | 奥の方の塔の根元には貨物ホームらしき大屋根があり、その下には閉じ込められた貨車の編成も残されている。彼らはこのままここで朽ち果てる運命なのだろうか。 |
手前の方にもホーム跡らしき石積みが見える。こちらは特に屋根は設けられていなくて、直射日光にさらされてる。相変わらず従業員は見えないが、この日は芝桜観光客対応で構内が臨時駐車場と化していて、多くのマイカーがズラっと並び、その脇を家族連れが三々五々歩いて行く。晴れた空の下、誘導員の吹き鳴らす笛の音が、ガランとした工場の建物に反射してこだましていた。 |
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地図で見ると引込線は、駅の両方向からデルタ状に工場へと入って来ており、その三角の合流点へと行ってみた。ここにも既に線路はなく、砂利道が左右にカーブして分かれてゆくばかり。駅に行ってみると、引込線へと向かう部分の線路がプッツリと途中で途切れている。側線上には貨車も無く、所在なげな機関車がただ一両、ポツンと置かれていた。 |
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結局帰って来てから知った事なのだが、ここ太平洋セメントの第一プラントは数年前に既に閉鎖になっていたのだ。一駅おいた大野原の先に第二プラントが操業中であり、そちらに機能は集約されたようだ。秩父市内のシンボルとも言えるこのセメント工場が、既に無用の存在になっていたとは知らなかった。最後に寄居方のデルタ線分岐部へと行ってみたが、低い築堤に立つ取り残された架線柱の向こうには、数十年に渡る石灰石採掘により稜線の変わった武甲山がその姿を見せていた。 |
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国土地理院発行1/5万地形図 「秩父」(部分)昭和51年 |
おわり (秩父〜羽生間は又そのうちに...)