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[ 日立電鉄 | 岳南鉄道 ] 2004/08 

ED403(吉原駅)
7000形(吉原駅)
日産前駅
岳南原田駅構内
岳南原田駅付近
5000形(赤ガエル)
岳南江尾駅
■岳南鉄道


初めて降りた吉原駅。さすがに東海道本線の旅客ホームは長いが、今は短く切り詰めた電車しか止まる事は無いので、その前後はかなりもてあましている。さて乗り換えは... と思いつつ改札の方へ向かうが、見上げる案内板の「岳南鉄道乗り換え」の矢印が私の後方を指差している。振り向くと、ホーム外れにある跨線橋を渡った先に小さな乗り場があり、まさしく今そこにヘッドライトを煌々と灯した単行の電車が到着する所だった。

慌てて階段を駆け上がり、降りた所に岳南の改札口があった。今着いた電車からは結構な人数の乗客が降りてきており、殆どみんな東海道線に乗り換えるようだ。その流れに逆らいつつ時刻表を見上げると、発車までにはまだ少し間があるようでほっとした。窓口の脇にフリー乗車券の掲示があるが、平日のみ有効と書いてある。夏休み中なのでひょっとして... と期待して駅員に聞いてみたが、「あいすみません、今日は使えないのです。」という答えだった。

では仕方ないという事で、終点の「がくなんえお」までと言いかけるが、運賃表示板に「えのお」とルビがふってあるのを見つけ、慌てて言い直す。往復切符でと申し添えると、吉原〜岳南江尾の硬券が二枚出て来た。「こちらが行きになります。こちらを帰りにお使い下さい。」との説明で良く見ると、同じ切符ながら帰りの一枚には「かえり」とゴム印が押してあった。



改札を抜けホームへと向かうと、いきなり目の前には茶色い電気機関車が鎮座している。一瞬展示物かと思ったが、これが立派に現役機なんだから、さすが岳南。何枚か撮影し、その反対側で折り返しを待っている車両に乗り込む。電車は井の頭線で走っていた京王の 3000系、岳南では7000形となって活躍している。前面が丸々赤い色で塗りつぶされているが、懐かしい湘南顔にここで会えたのはとても嬉しい。ただ京王時代と違うのは、ワンマンの単行運転に備えて両運転台化されたという事。それも中間車からの改造で、前面マスクは新製された物というからアッパレだ>京王重機。

電車に乗り込み、席に着く。車内は冷房が快適だが、天井の一部から水がポタポタと滴り落ち、ドア脇の床を濡らしている。向かい側の席には、母親と小さな兄弟二人の家族連れが座っており、親子でクイズ合戦をしている。そのうち母親が問題に窮したのか「さてこれは何でしょう?」と指差したのは、中手の乗車口にある発券器。そう、途中の無人駅から乗車の際は、ここから整理券が出て来る仕組みだ。お兄ちゃんの方は分かっている風だが、弟は「?」という顔でその機械に近づき、繁々と見ている。「これはね、...」母親が説明を始めると、兄弟はこっくりと頷きながら素直に聞いている。

定刻ぎりぎりに何人かが駆け込んで来て発車。車内では母親の整理券講釈がまだ続いている。しばらく東海道線と併走し、運河を渡るとやおら右カーブに入る。やがて最初の駅「日産前」に停まるが、大企業の名を冠したこの駅の質素な佇まいは実に驚愕に値する。草ぼうぼうの小さなホームにトタン屋根の待合所、いかにも工場裏手という周囲の風景も相まって、なかなか私ごのみではある。

ちなみにこの岳南鉄道、一部は戦前からあった日産自動車の専用鉄道を利用したというから、この日産前あたりまではその部分なのかも知れない。正式に岳南鉄道として発足したのは 1948年だが、その後 1950年に本吉原駅までを開業。終点の岳南江尾まで到達したのは 1953年の事である。起点となっている吉原駅は元は鈴川と言い、吉原の街外れにあった。当時の国鉄が東海道の宿場町である吉原を経由しないで通過してしまった為で、その鈴川と吉原の市街中心部を結び、又沿線に多く存在する製紙工場の貨物輸送を行なう目的で、この岳南鉄道は敷設されたという事だ。



右に左に、電車は工場敷地内の空地を縫うかのように、小刻みにカーブしつつ進んで行く。大きなタンクの裏を曲がったり、複雑なプラントの配管の下を潜ったり、遠くには紅白に塗り分けられた煙突が天にも届く高さで聳え立っており、そのてっぺんからモクモクと白い煙をはいている。途中の小さな駅でなぞなぞ親子は降りていった。前を見ていた私の背後で、「しーっ。もらっちゃいな。」とドアから出る母親が子供に囁く声がした。一瞬何を言っているのかわからなかったが、どうも整理券をおみやげに... との事だったのだろう。ホームを歩いて行く親子の様子からは、うまくget出来たのかどうか、その辺のところはわからなかった。

貨物列車や機関車がうようよしている岳南原田、そして多くの引込線を抱える比奈駅、このあたりが岳南の風景としては圧巻だ。ちょうど比奈駅のホームに電気機関車ED501が入って来たが、小さいながらもその風格は他を寄せ付けないものがある。車体のデザインはいかにも古典的な形で、まさに博物館で見るような物だが、これが多くの貨車たちを従えて構内の入れ替えに活躍している姿は、ちょっとした感動を呼ぶ。

留置線には元東急の5000系、岳南に来てからは赤ガエルとなって活躍していたが、現役を退き、一編成を除いて全てが廃車となってしまった。既に塗装もかなり痛んで来たようだが、このままここで朽ち果ててしまうのだろうか。ここらには他にも、それ以前の在籍車両の廃車体が解体されずに数多く転がっており、赤ガエルの先行きを暗示しているようだ。



比奈を過ぎると、ようやく工場街はおしまいとなり、女性駅長ですっかり有名になった岳南富士岡駅を出たあたりからは住宅地の中を走るようになる。赤渕川を小さな鉄橋で渡り須津(すど)を過ぎると、もう終着の一つ手前、神谷。ここで大半の乗客が降りてしまい、車内に残るは父子の親子連れと私だけになった。新幹線の高架下を斜めに通過したすぐ先が、終点の岳南江尾。20分あまりの短い旅を終えた電車は、静々と島式ホームの片側に滑り込んだ。

運転士に切符を渡してホームへ降り、しばし構内で写真撮影。ホーム反対側にはこちらも元京王3000系からの改造車、8000形が体を休めている。前面は他の車両と違い緑色に塗られているのが新鮮だが、2両編成なので日中はあまり出る幕は無いのであろう。正面からだと京王の旧型車のようにも見えてちょっと懐かしくもあるし、あるいは廃車直前にオリジナルの青ガエル塗装に戻された東急5000を模したとも思えない事もない。いずれにしろこの鉄道は、ちょっとマニア心をくすぐるという技を心得ているようだ。

父子連れもホームで電車や駅名標の写真を撮っているので、結局この江尾で改札を出た客は一人もいなかった事になる。電車の到着時に駅には誰もいなかったし、そして新たに改札から入ってくる客も無いままに、同じ二組を乗せた電車が吉原へ向かって 3分後に発車。再び同じ道を辿って帰途に就く事となる。行きは乗る事に集中していたが、帰りは車中からスナップを撮りつつ、気軽な気分で短い時間を楽む事にした。

あっという間に吉原に着いたが、乗り換え改札で少々戸惑う。乗って来た切符をそのまま乗車の証として JRの精算窓口まで持って行くのか、はたまた日立電鉄のように社線精算済の乗継票のようなものを受け取るシステムなのか...。硬券を渡そうか渡すまいかまごついていると、駅員の方から声をかけて来た。「切符、お持ちになりますか?」「エッ、いいんですか。」「どうぞどうぞ。記念になりますのでお持ち下さい。」こんな親身な対応は、初めてだった。すっかりいい気持ちになって、JRへの跨線橋を軽いステップで駆け上る。さてお昼もまわったところだし、沼津あたりで美味しい魚でも食べて帰るとしようか。




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