旅程 4日目

中標津周辺

この旅も本日で最終日、中標津を離れ東京へと帰る日だ。 羽田行きの飛行機は午後2時過ぎなので、それまで街の周辺を未練がましく走ってみよう。 という事で荷物をまとめ、お世話になったホテルをチェックアウトし駐車場へと降りて行くが、ここには前を通るたびに気になっていたものがある。 それは「なかしべつ美味いもん自販機」と書かれた大きな自動販売機、ホテル内レストランの人気メニューを冷凍加工して売っており、地元でも話題になっているらしい。 トーヨーグランドホテル、なかなか粋なことをするじゃないか。 ちなみにこのホテル、札幌~根室を結ぶ夜行バス「オーロラ号」の中標津における停留所にもなっており、大型バスが玄関前まで入って来るようだ。

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さて、さすがに2日連続で90km級のツーリングをした後なので、今日の走りはどこまでもポタリングモードである。 標津川を東七条大橋で渡って、まず向かったのは中標津町郷土館。 ここは町の開拓や歴史の他、鉄道に関する展示も多く、非常に興味深く見学する事が出来た。 同館のサイト内では、標津線について参考になる資料(PDF1 , PDF2)も公開されており、興味が尽きない。 また近くには標津線で貨物列車を牽引していた蒸気機関車(C11 209号機)が保存展示されており、二つ目ヘッドライトの勇壮な姿が見ものである。

photo 丸山公園の C11 209号(Wikimedia より

郷土館を出た後は道道774号線を北へ向かう。 しばらく左側に見えていた空港の滑走路が後方へ遠ざかると、右手からはヒッソリと標津線の廃線跡が道路に寄り添って来ている… 筈だ。 と言うのは、道と線路跡の間には木々が生い茂っており、見通しが効かない為である。 やがて「←開陽」方面の案内板が出て来ると、道道775号が分岐する丁字路となる。 ここを左折するが、その前に、この少し先右手奥に上武佐駅跡があるので覗いておこう。 特に駅建物などが残っているわけではないが、草むらの中に貨物ホーム跡らしき石積みがかろうじて観察出来た。

道道774号上武佐付近
photo 上武佐駅(Wikimedia より

ここには旧武佐駅逓所跡という建物も残っていて、むしろこちらの方が標津線の駅よりも歴史が古い。 「駅逓」とは、元々全国的にあった宿駅(街道沿いの集落で、旅人を泊めたり荷物を運ぶ人馬を集めておいた宿場)制度の北海道版である。 鉄道の停車場の事を「駅」と呼ぶのも、ここから来ている。 旧武佐駅逓所はその後、宿泊施設(旧土田旅館)としても営業を行なっていたそうだ。

上武佐駅を後に、道道775号を進む。 しばらく行くと右手に「中央武佐公衆便所」と書かれたトイレが見えて来るが、この裏手に貴重な遺構が残っているのでこちらも見逃さず見学しないといけない。 それは殖民軌道の転車台である。 道路の代替え手段として、開拓民の交通の便宜を図るために旧北海道庁が建設した殖民軌道。 かつて中標津町内には数多くの路線があり、ここ中央武佐にも停留所が存在したとの事。 こじんまりとした転車台を見るにつけ、その機関車の小ささが想像できるというものだ。

ミルクロード

そこからは左へ行く775号と分かれてそのまま直進し、突き当りを左折してミルクロードに入る。 ミルクロードは初日に走っているがこちら側は未踏の区間、これで全線走破となった。 そして最後の寄り道スポット、空港スタッフもお勧めの「ほしのふる里 開陽の丘」へ。 ここはひまわり畑で有名だが、残念ながら既に時期遅し、秋口にはコスモスの咲き乱れるさまも楽しめるそうな。 せっかくなので併設されているレストハウスで美味しい蕎麦をいただく。 店主の暖かいおもてなしに、4日間の旅の疲れもどこかへ吹っ飛んでしまうようだった。

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食後は施設内にある川沿いの散策路を腹ごなしに少し散歩した後、空港までは余裕を見ても自転車で30分ほどだ。 天気にも恵まれ(あたりまえ)、恐れていた向かい風もなく(あたりまえ)、北の大地の走りをじっくり堪能出来た今回のツーリングであった。 帰りの飛行機の窓から、走った道、訪問したあちこちが確認出来るだろうか?

というわけで、勝手気ままでバーチャルな妄想旅は以上となります。 いつの日にか、実際に行ける機会があるといいな。 でも自転車での走行距離は、自分の体力的にはもう少し短めに遠慮しておいた方が良さそうですね(笑)

(終わり)