Posted by 小原輝昭 on September 20, 1997 at 22:43:18:
97.3月、青春18きっぷで、兵庫県・但馬地方に出向きました。
現地についた時には、我が家を出発してから、すでに7時間以上経っており、結構疲れていました。
行く前に、「鉄道廃線跡を歩く(1)(2)」により、兵庫県・但馬地方に、「出石鉄道」(江原〜出石)というのがあったこと、廃止(休止)時期が1944(S19)で、どうも戦時中の不要不急路線らしきこと、まではわかっていた。でも、それ以上のことを調べることもなく、当地に行ってしまった。
山陰線・江原の駅に降り立ち、いつものように、付近でおじいさん、おばあさんを探したが、なぜか閑散としていて、思うようにいかず。やっと、一人に話を聞かせてもらえたが、この方は、あまり鉄道のことを覚えていなかった。唯一聞き出せたのは、この鉄道は、江原駅を出てからある程度、山陰線に沿って北方に走り、ぐっと東へ線路を曲げたこと。それだけ。
それでも、「何かあるだろう」と思い、山陰線に沿って歩いてみると、どうも「匂う」橋台があった。これ、鉄道時代のものかな? とは思ったが、確認するすべもなし。
この頃には、前の晩、あまり寝てなかったので眠気に襲われ、廃線跡を探す気力を失ってしまった。
ところが翌日、いつものように突然の心変わり。「出石」を捨て、北近畿タンゴ鉄道に乗って、「加悦鉄道」見物に行ってしまった。(18きっぷが使えないのを覚悟してまで)
97.5月、「鉄道廃線跡を歩く(3)」が発売され、「出石鉄道」レポートが出た。僕が現地で「匂うな」と思った橋台は、レポート中、写真Bの地点で、推定は正しかった。だけど、僕は何も発表せぬまま、先を越されてしまった。
くやしい〜