〜 昭和55年3月17日 西武鉄道の一番熱い日 (4) 〜

さて、昭和55年3月17日の時刻改正によって 大きく変わった西武であったが 実はその後も車両運用に関する面白い出来事があった。 その中から、ほんの一例であるがここで語ってみたい。 ここからは体験談に基づく実話でもあり、 わたしの大好きな怪談の語り部、稲川淳二氏の 口調で語ろうと思う。笑
今回の「回送」録はこれで結ぶことといたし候。

「ツ−トン」

ええ、これは昭和56年のことなんですけどね。 わたし当時は新宿線で学校通ってました。 前年までは赤い電車で夏も暑くてね。それでも 扇風機の風受けて乗っていましたよ。窓も全開でね、 これはこれで気持ち良かった。 その後、黄色い電車が沢山来て冷房があるから快適になりましてね。 まぁ学校が各停しか止まらない駅にありましたから 急行や準急で途中で乗り換えたりね、普通で通学したりしてました。 当時は黄色と言えば701/801/401系ばかりでね。 黄色にベ−ジュのツ−トン101系はすべて池袋線でしたから 新宿線は黄色は1色車両のみなんですよ。 で、ある朝のこと。いつものように普通に乗ってました。朝からどんよりと 曇り空でね。なんとなく薄暗い朝でしたよ。 井荻で急行が抜いて行くんで、こちらの電車は通過待ちですよ。 まだ各停は6連でしてね、乗っていたのも確か2000系です。ハイ。 車内から10連の急行がガ−−っと通過していくいつもの光景。 こちらは701+401+701が基本でしたね。 でね、その日も通過していくのをボ−っと眺めていたんですが ふと、妙なことに気づいた。「ん?」なんせ向こうはスピ−ド出して 走っていくから一瞬のことなんですが、後ろの4連がなんか見覚えのある 色してるんです。「違う、黄色い1色じゃない!ベ−ジュの帯があるじゃないか。。。」

Photo
現在も活躍するクモハ271を
先頭にした通勤準急小手指行き

そう思った時に一番後ろの「顔」がチラッと見えましたよ。 次の瞬間、「うっ...」と衝撃が走る。かつて見慣れた2枚窓の茶色フェイス それは新101系の顔そのものでした。 この時、思わず背筋がゾ−−っとしましたね。。。だって101系は新宿線に いなかったはずでしたから。ましてや4連のは池袋線でしか走っていなかったから。 しかもそれが701系列と組んで走っているなんて考えられなかったんですよ。 学校着いてからすぐに同じ西武好きの仲間内に話ましたよ。 でもね「お前朝から寝ぼけてんじゃねぇか」とか「なんかの見間違いだろ」って 信じてもらえなかったんですよ。そういわれるとわたしもなんか自信なくなっちゃいましてね。 こうなったらもう1回確認してやるって躍起になりましてね。 毎朝同じ電車に乗って井荻で目をこらした。しかしなかなか現れなかったですね。 701か801ばかりで。やはりあれは幻だったのかぁなんて感じるようになりまして。

ところがその後、やっと遭遇しました。間違いなく4連の新101系でしたよ。 おおって感じで驚き隠せませんでした。 その後、乗る機会もありましたし仲間内も目撃したりしてますからね。わからないもんです。

後で知ったんですが、なんでも253Fから261Fの5本が701系列と併結出来るよう 一部を変更して新宿専用101系として入っていたんですね。電連は有名な区別用の 黄色いカバ−でね。401系や新501系と組んで6連で走ることもあったり 新101系同士の8連や701系と組んでの8連、なかなか面白かったですよ。ハイ。

その後2連の新101系も入って来たのがいて、これはどうも当時401系が廃車が出た頃に 車両不足の為に来たようですね。801系などと組んで6連で国分寺線を走っていたり、 わたしは知らなかったんですが401系とも組んで4連で西武園線を走っていたそうで。 結局4連が来たのは701系列の不足だったからなのかはわからないんですが。 さすがに旧101は来ていなかったですけど これも701系が廃車になって数少なくなった頃に初期ナンバ−の4連や6連が 来て走ってましたよ。103Fとか29Fとか覚えてます。これも最終的には 9000系改造の布石だったらしいですが。。。

こういうことって実際にあるものなんですね。。。

まだまだいろいろとエピソ−ドはあるんですが今回はこの辺にしておきましょうか。




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