行かなかった旅

前回出かけた 2011年末の旅、ほんとうは東北方面のローカル私鉄を乗り歩く事にしていた。 そもそもこの計画は2010年夏にリフレッシュ休暇で実行しようと考えていたものだが、父親が他界したために急遽中止にした経緯がある。 その後2011年春に再挑戦をする筈だったが、出発日を数日後に控えて東北地方を襲った未曽有の大災害で旅行なんて出来る状況ではなくなった。 思えば前回 2001年のリフレッシュの時も旅先で心を痛めながら 9.11のニュースを見続ける事となり、それからさらに勤続 10年が経ったわけだ。 何だか人生の節目と同期した特異な巡り合わせを感じつつ、震災による 2度目の中止から 9ヶ月後に再計画したその冬旅も、強く深く記憶に残る印象的なものになるかも知れないと考えていた。

旅の主たる目的は東北地方に最後まで残ったローカル私鉄電車、弘南鉄道と十和田観光電鉄である。 どちらも細々と何とか運行を続けている感じであったが、とくに十鉄はその時点で翌年 3月の廃止が決まっていたのでもはや猶予はならなかった。 さらに東北の私鉄という事では津軽鉄道にも乗りたい気持ちがあったが、こちらは電車でないのでとりあえず優先度は落とす。 他、東北には旧国鉄やJRから転換した私鉄もいくつか存在するが、これらは私にとって対象外となるので端から計画には入っていない。

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というわけで前記 2つの社線を巡る旅程を中心に組む事とあいなったが、往路はやはり夜行寝台を使いたいので、上野口東北夜行で最後まで残った特急「あけぼの」を入れ込んでみる。 そのついでに未乗の五能線も堪能したいという欲が出て、秋田から「リゾートしらかみ」にも乗ってみるプランを練った。 あわよくば五所川原から津鉄往復なんて案も再浮上したが、さすがに接続に無理があってやめにした。 弘南と十鉄を乗り歩いた後は 18きっぷでの帰路となるが、これは距離的に途中で中継地点を設けなくては家まで行き着かない。 かくして、上野から日本海側へ出て秋田、弘前、青森、八戸、そして福島県内で最後に温泉に浸かるという東北時計回りの四泊五日の旅程が出来上がった。

■プラン概要(2011年末旅計画時)

早速、最寄りのびゅうプラザで切符を手配したが、心配していた「あけぼの」の Bソロもすんなり取れたのは意外だった。 年末だし乗車日まで 10日を切っているのに、部屋番号等から類推するとまだ半分位は埋まっていないようだ。 取れなければ普通の B寝台でもいいやと思っていたが、同じ値段で個室に入れるとなればここは多少狭くても一度経験しておくべしと考えざるを得ない。 乗車全区間がほぼ夜間走行なので、ベッドで眠りに落ちてしまえば結局どっちだって一緒という事は前提としてあった訳だけれども。

現地での移動は社線を除き基本的に冬の 18きっぷを利用するわけが、途中 4日目の八戸から郡山へのワープは新幹線を組み込んだ。 少し距離があるうえに、この日は午前中に十鉄を往復した後の移動なので、ここは別切符を購入しても新幹線に頼るしかないわけだ。 弘南鉄道もそうだが、これら私鉄の路線と JRを乗り継ぐ場合、どうしてもその本数の少なさから連絡の待ち時間が大きくなってしまう。 最大で 1時間程度待つ場合もあるので、接続駅での時間の潰し方を事前に考えておく必要もありそうだ。

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それと、冬の東北という事では寒さと雪が心配である。 特に新潟あたりから日本海側を北上するルートでは豪雪地帯を走り抜けるわけで、列車運休のリスクは考慮しておかなければならないだろう。 そんな事を考えながら読んでいた新聞、それは出発の数日前であったが、案の定、そこに「あけぼの大雪により連日運休」のニュースが載っていた。 例年この時期は降雪の影響が少なからず出るようだが、この冬は気圧配置が影響してさらにそれが顕著であった。 そして私がまさに乗車するその日の予報も、北日本は大荒れの天気との事だったのだ。

さてどうするか。これもまた運命と受け入れて旅を決行する考えもあるが、さすがにスタートから躓いたのでは列車に任せた気ままな旅とも行かない。 運良く運行したとしてもこの予報でゆけば遅れは必至で、途中で接続が切れて後の計画が全てご破算になるのは想像にも難くない。 さらにJRが動いたとしても、大雪で除雪が進まなければ地方の小私鉄はまともに走れないだろうとの予測も出来る。 どうも私は冬の東北を甘く見ていたようだ。それで、キャンセル料の切り替わるリミットを待ち、天気予報が好転しないのを確認した上で、運休の決定が出る前に切符を返上しに窓口を訪れた。

で、予想通りその日「あけぼの」は現実に運休となり、行き先であった秋田青森方面でも各地で交通網が麻痺したというニュースが流れていた。 というわけで、結局この冬旅は行かなかったのである。 いや、以前にも書いたが実際は急遽目的地を信州方面へ切り替え、「ながのたび」として実行した。 そして今回、夏、春、冬と計画時期を一巡りした後、最終的に季節を初秋に移し、ようやく秋田青森の旅がスタートする事となったのだ。 目的の一つだった十和田観光電鉄は残念ながらその間に予定通り過去帳入りしてしまったので、その分を津軽鉄道へ充てる事としてプランを練り直した。 出かけるまでにこれだけの成り行きがあったこの旅、さて次回からはその顛末をお届けしたいと思う。 (2012/09記)