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[ 2012/09 ] あけぼの、弘南鉄道、津軽鉄道、五能線の旅

1. あけぼの

旅するにあたっては綿密に計画を練る。 時刻表や地図と首っ引きで、あるいは最近はネットでの検索が主体になって来たが、これら計画時点が旅の醍醐味の大部分であるという人もいる位だ。 私の場合も性格上どちらかと言うと用意周到な方なのだが、反面、自分を信じ切ってしまうあまり、時々ポカっと抜けている部分があったりもする。 大事な「あけぼの」の寝台券でまずそれをやった。 乗車券でもちょっとしたミスをしている。 仕事を終えた週末の夜、いそいそとやって来た上野駅でまずそれが露呈する事態となった。

エキナカで一晩の兵糧を蓄え、長いエスカレーターを下って地上ホーム13番線にやって来た。 学生時代に何度となく通った北海道への列車、それは決まって上野駅地上ホームからの出発だったので大変に懐かしい。 既にあけぼのは入線して発車を待っており、その青い客車の連なる編成をホームに長らえていた。 煌々と行灯マークの点いている最後部からそれぞれの客車を謁見しつつ、一旦ホーム先頭まで出るの儀を行なう。 機関車はEF64の1000番台、かつては地元青梅線でも石灰石列車でお馴染みだった形式である。 一頻り写真を撮った後で客車へと戻り、号車の番号を確認して乗車口のステップを踏む。 本日のお宿はBソロ個室、それも海側の2階部屋を番号指定して予約した。

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デッキから客室内へ入って行くと中央通路の両側に個室が並び、通路から車体側面向きに一段ステップを上がった所の左右に2階個室の入口がある。 部屋は2階の6番…っと、あった。 あれ?逆だぞ。え?え?何で?…  とりあえず部屋に入って切符を再確認。 合ってる。 ネットから印刷してあった部屋配置のメモを再確認、合って… なーい。 というわけで、自分が部屋番号をミスしてメモり、海側のつもりで山側の切符を購入した事が判明した。 自業自得、誰のせいでもない、情けない。 う~ん、まぁすれ違う列車が見られるからこっちでもいいか。 早起きすれば鳥海山も遠望出来るだろう、なんて、自分で自分を慰めている情けなさ。

そうこうしてるうちに定刻21時15分、列車は静かに上野駅を離れ、複雑なポイント群を抜け出して徐々に加速を始めた。 スピードに乗ったあけぼのは、通勤電車と頻りにすれ違いながら次の停車駅大宮へと向かってひた走る。 既に日が暮れて大分経ってからの出発なので、かつて経験した「はやぶさ」のような華やかさは無い。 あの時は東京駅を18時過ぎの発車で、家路に就く通勤客に見送られ、旅の期待にわくわくしつつ東海道を下ったものだ。 今は通勤ラッシュの時間帯も過ぎて、通過して行く各駅のホームに人影はまばらだ。

車内検札も済んで部屋の中をあらためて見回してみると、いかにも窮屈な個室だというのが再確認出来る。 部屋の形は数年前に乗ったサンライズに似ているが、それに比べてやはり全体にひと回りは狭いようである。 開放式B寝台と同じ料金で個室に入れるんで贅沢は言ってられないのだが、閉所恐怖症気味の人にはちょっと無理かも知れないな、ここは。 狭い中、荷物をあっちにやったりこっちにやったりしてようやく落ち着き、買い込んで来た浅草今半の重ねすき焼弁当で遅めの晩餐を始める。 高崎を出ていつしか列車は街中を抜け、上越国境へと向かって勾配を登り始めているようだ。 窓外を流れる山々の暗いシルエットの向こう側から、天空に固定された半月が時々チラチラと顔を覗かせている。

やがて汽笛一声、列車は中央分水嶺の下を潜る新清水トンネルに突入。 私はサンライズの時と同様ベッドに横たわり、すぐ目の前を流れて行くトンネル上部壁を一人眺めて悦に入る。 土合駅の暗い地下ホームが窓の下を流れ、トンネルを抜けて越後の国へ出たあたりで零時もまわり、ここらで本格的に寝に入る事にした。 しかし旅立ちの興奮の為かなかなか寝付かれず、狭いベッドでモゾモゾと意識が遠のかない。 そのうちに、深夜の長岡駅に停車したのが細く開けたままのシェードの隙間から見えた。 その後もボンヤリとした中でレールの振動を背中に感じながら、いつまでもゴロゴロと寝返りを繰り返していた。 時々停車するのが分かったが、乗客にショックを与えないよう細心の注意を払ってブレーキやマスコンを扱っているのが想像出来る。 おそらく夜行列車の運転士には相当な運転技術が要求されるのだろうな。 それと連結器の性能も大きい所だが、この客車は確か発車時の衝撃対策で密着自動連結器を採用していた筈… 等と考えてるあたりで眠りの世界に落ちたようだ。

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次に意識がハッキリした時、既に窓の外には朝日が射していた。 シェードを全開に上げてみると、後方遠くに見覚えのある大きな山が望める。 あれは鳥海山か、すると今どの辺を走ってるのだろう?  そう思っているうち列車はホームに滑り込み、目の前に「きさかた」の駅名標が現れた。 それから又もうしばらく毛布の中でまどろみ、羽後本荘を過ぎたあたりで朝の身繕いを開始。 頃合いを見計らって顔を洗いに行くついでにデッキへ出て、日本海の車窓をしばし立ったまま楽しむ。 何しろ客室内の通路は中央に配置され両サイドが個室で塞がれており、構造上、外の景色が一切見えないのである。 その後部屋に戻ったが、閉塞感があるし朝の空気入れ替えの意味も含め、しばらく個室入口の折戸を開放しておいた。

まもなく秋田到着の車内アナウンスが流れ、列車の中もあちこちで降車客が準備をする気配にざわつき始める。 おそらく半分位が秋田で降りるんだろうか、2階個室への同じ階段を共有している向かい部屋の住人も、スーツに着替え軽く会釈をして早々にデッキの方へと出ていった。 使い終わったという意思表示なのか彼はドアを目一杯開けて行ったので、こちらの開いている入口も含めて朝日の差す2部屋続きの空間が開放的眺めとなった。 秋田を出てしばらくすると時計は7時をまわる。 弘前着は9時過ぎなので、余裕を持って夕べ買ったサンドイッチの朝食を済ませた。 秋田からは立席特急券でもあけぼのに乗れるそうだが、乗車客は 3,4号車下段ベッドに着席するよう案内放送されている。 同車両で今朝まで寝台を使っていた人は少なからず複雑な気分だろう。

車室からは見えないが八郎潟の脇を越え、列車は海から離れてトンネルが多くなる。 大舘を発車してしばらく走ると複線の上下線が段々と離れて行く。 あちらの上り線が平地を走っているのに対し、こちら側のみが山へと突っ込んだ。 これは勾配を緩和する為で、登り勾配であるこちらだけを迂回させる必要があったのだが、谷が狭いために止む無くトンネルで処理したのだそうだ。 そこを過ぎて今度は長いのが来たなと思ったら矢立トンネル、ここがかの有名な矢立越えと呼ばれた区間か。 続けて碇ヶ関、大鰐温泉と停車すると次はもう弘前、一夜の宿に別れを告げて降りなければならない。

周囲もにわかに建物が多くなって来て、大きな陸橋の下を潜ると分岐器を通過する音が連続し、あけぼのは弘前駅の長いホームにゆっくりと停車。 リュックを背負ってステップを降りるが、ここでの下車客は意外と少なかった。 階段を登って橋上駅舎の自動改札に磁気券を通すと、何故かエラーとなって有人改札へ。 行き先を宿泊地の五所川原にしていたので、途中下車が判断出来なかったのだろうか。 とりあえず駅舎から駅前広場の空の下に出る。 9月初旬の弘前、朝9時過ぎで今日も晴天。 初秋と言うよりまだまだ残暑が相変わらずで、関東とさして気温も違わないようだ。 私は狭い車室から開放されて一息、腕を広げて思い切り伸びをした。