Banner ああ、まぼろしの御陵線 京王御陵線 (1996/08)

 現在、急行電車の行き交う京王高尾線は、戦前に敷設された御陵線の路盤跡を再利用したものだ。 もともと多摩御陵への参拝客輸送を目的に建設された同線だが、その歴史は不運の連続だった様だ。
 計画時は北回り案であったが、これが市を分断するという理由で八王子市議会に反対され、結局南回りの案に変更されて開業したのが昭和6(1931)年。
 開業当初は利用客も多かった様だが、やがて中央線の省電(省エネ電車ではないよ)が盛り返し、終戦の年昭和20(1945)年に不要不急線として休止(のち廃止)されてしまった。
 戦後、その路盤の一部を利用し、高尾線として開通したのは、20年以上を経た昭和42(1967)年の事だった。

Map Map


Photo

(写真:1)

 さて、まずは御陵線跡と現在の高尾線が分離するあたりへ行ってみた。
 山田から武蔵横山へと丘を下って行く跡は、どうも高尾線開通と同時に京王が売り出しためじろ台団地への取付道路として、再利用された様である。
 写真はその道路と高尾線のクロスするあたりだが、良く見ると築堤が左手の方へふくらんでカーブして行く様な地形が見える。 しかしちょっとカーブがきつ過ぎるので、実際はもっと山田寄り(写真奥)でカーブしていたかも知れない。
 目の前を高尾行きの 6000 系が、軽やかに駆け抜けて行った。

Photo

(写真:2)

 写真1の地点から武蔵横山へ向かって行く道は、中央に街路樹の植わった分離帯付きの大変太いものだ。 片方が線路で埋まっていたとしても、充分余裕がある。
 その道が丘をゆるやかに下りきった地点がこの写真、散田の交差点。奥を中央線の 201 系が通過中だが、その手前は中央の広い空地で何やら工事をしている。 告知板によれば、道路の立体化ではなく、下水道工事の様だ。

Photo

(写真:3)

 さらに中央線に近づいて行く。ここらは、中央線をオーバークロスする高架線となっていたはずだ。 現在は、ロープに囲まれて雑草が元気に生い茂っているばかり。
 残念ながら、遺構らしきものは何も見当たらなかった。しかし、周囲に比べてここだけやけに空が広いなァ。

後半へButton


ButtonBack to Rail Page