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7. 二俣尾のスキップ

もうひとつ二俣尾のスキップについてもなつかしい思い出があります。私も偶然1972年に「発見」し、興奮しました。写真もかなり撮りました。その当時はまだかなり原型をとどめていましたが、数年後再訪した際にはスキップは崩壊したのか跡形もありませんでした。なお、72年の様子はTMS73年8月号の「私の鉄道から」の欄に掲載されていますので、お持ちでしたらご参考になさってください。

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8. スキップ裏側


7.はTMSにもあった写真とほぼ同位置からのながめです。かなり雑木や草に覆われています。左寄りに架線終端標識が小さく見えます。機関車はスキップ内には入れなかったわけですね。
8.はスキップ裏側です。右にシルエットで見える脚はビンのものです。


9. スキップ横からビン方向
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9.はスキップ横の位置からビン方向を撮ったものです。すでにベルトコンベアの建屋はかなり荒廃しています。

スキップのどん詰まりのところから水が湧いており、線路内は川のようで、沢蟹の良い遊び場と化していました。ポイントやダルマ式転換テコも健在で、現役時代を彷彿とさせてくれました。



おまけに一枚送らせていただきます。
田端機関区構内に放置されていた時代(1972年)のEB10です。私は高校が池袋にあった関係で、よく田端には遊びに行きました。EB10は地元では「エビテン」と呼ばれて親しまれていました。
隣は三河島事故の発端となったD51です。当時まだ裁判の証拠資料として保管されていました。

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10. 田端機関区構内のEB10

この時代は若さに任せて憑かれたように撮りまくっていました。今の怠惰ぶりからはウソのようです。
以上、なにぶん昔の思い出話ですので、資料的価値はあまりないと思いますが、この点についてお含みください。機会があればきちんと調べて誤りがあれば訂正させていただきたいと思います。

渋谷 映輔



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