by. toma |
1962年4月の撮影です。車(マツダR360クーペという、当時庶民的な値段で出て一世を風靡した車です)がメインの構図で恐縮です。たぶん深山橋からの撮影だと思います。
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toma と申します。はじめてお便りさせていただきます。H.Kuma様のウェブページを拝見して思うところがあり、不躾ながらメールさせていただきます。
私、特に鉄道好きと言うわけでも自転車フリークでもないのですが(不調法ですいません)、この年(1959年生まれです)になると見慣れていたはずのものが無くなっていたり変わっていたりすることが多くなり、また自分と同じくらい(笑)古いものの足跡にも興味を惹かれ、しばらく前からH.Kuma様のウェブページを拝見させていただいておりました。実家が田無で、小学校の遠足は西武園だったり秩父だったりしたので、Rail Pageに親近感の持てる記事が多かったのです。ちなみに西武園のおとぎ電車は何度も乗りました。
H.Kuma様の筆致は、慈しむようでいてそこはかとなく軽妙で大変惹かれるものがあったのですが、数ある記事の中でも、「見上げれば索道」は私の幼年期の思い出を呼び覚ましてくれました。H.Kuma様がUPされてからもう1年以上になるのですが、先日やっと平日に休みを取って(車でですが)行ってきましたので、思い出話をさせてください。
父が車好きで、小さいころは家族でドライブによく行きました。奥多摩湖周辺はトンネルが好きな私のお気に入りで、あのロープウェイにも乗ったことがあるのです。稼動実績からすると、私が幼稚園かせいぜい小学校の低学年くらいの頃だったようですね。残念ながら「まぶたを閉じるとロープウェイからの景色が目に浮かぶ」というほど入れ込んではいなかったのですが、乗ったことだけは、はっきり憶えています。山道を登っていった記憶が無いので、ひょっとしたら川野駅の前まで車で行ったのかもしれません。
当時はもちろん奥多摩有料道路(「周遊道路」でなく)すら無く、塩山への道も険しい峠道で、「奥多摩湖へドライブ」に行くとだいたい川野が終点でした。ロープウェイに乗ったことは良く憶えているのですがそこから先にどこかへ行った記憶はありません。三頭山口駅は「行ったらまたロープウェイに乗って帰るところ」というイメージでした。
ドラム缶橋も渡った記憶があるので、ロープウェイが無くなったのとドラム缶橋ができたのとは同時期ではなかったかと今にして思います。それで対岸へのアクセスがいっそう容易になって、ロープウェイが廃れたのかもしれませんね。最初のドラム缶橋は手すりなどなくて、非常に怖かったのを憶えています。
ダム周辺もずいぶん様変わりして、最近はやりのビジターセンターのような施設ができましたね。昔は駐車場とトイレしかありませんでした。また水根の貨物線は、終点の空き地に線路が残っており、建設資材のようなものが野積みになっていたと記憶しています。貨物線の橋梁はさすがに下から見る限り昔のままでしたね。下から見上げたとき、「ううん、これこれ」と思わず口に出してしまいました。「あっちの方がトンネルや橋がたくさんあって面白そうなのになあ、通りたいなあ」と子供心に思ったものです。
青梅街道はふもとの鳩ノ巣から川野までトンネルがちょうど20あり、いつも数えながら行きました。道路の改良により新しいトンネルができていたりして、トンネルの数は減っていましたね。鳩ノ巣から3番目のトンネルはコンクリートで固めていない、岩をうちぬいただけの洞門のようなもので大好きだったのですが、もう通れなくなっています(少なくとも車は)。道幅も昔はもっと狭かったように思います。
勝手に長々と書いて申し訳ありません。H.Kuma様にこんなメールをお送りしてしまった理由は、同年輩であることはもちろんですが、ウェブページに「お便りなんでもお待ちしてます。」と書かれてあるお言葉に甘えたのと、ロープウェイを再生していただいたことにあります。「廃」「霊」「怪」な興味で扱っているサイトが多い中、あのように命を吹き込んでくださり、大変うれしく思いました。今回、30年以上を経て再び川野駅に入り(誰もいませんでした)ゴンドラまで乗りましたが、私にとってはただ懐かしい場所であったことをお伝えさせていただきます。
以上、お付き合いいただきありがとうございます。最後になりましたが、H.Kuma様のご健康とRail & Bikesのいっそうのご発展をお祈り申し上げます。
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