沼尻鉄道の記事を見て、大変懐かしく思い、筆を取りました。人間の記憶とは不思議なもので、記事を読んだり、フォトを見ているうちに私の青春の1ページを飾ったとも言えるあの旅の事をかなり細かいことまで思い出しました。
あれははるか昔、中学3年の夏、安達太良山、磐梯山へのワンダーフォーゲル部の夏合宿の立案をOBから任された時に遡ります。部の友人と一緒にアプローチを考えていた時、初日は上野から夜行で猪苗代へ、そしてバスで沼尻まで入って、硫黄谷経由で安達太良へというルートでいいかなあと相談している時でした。友人(鉄道好き)が川桁という駅から沼尻まで地図に線路が書いてあるというのです。 さっそく友人が調べると、磐梯急行電鉄という名の今時珍しい(当時でも)狭いゲージの鉄道だというのです。友人はこんないい機会を逃す手はない、プランを練り直そうと張り切って時刻表をめくり始めました。幸いロスタイムの少ない接続列車も見つかり、プラン成立となりました。
ある夏の朝、川桁駅に降り立った私達一行を出迎えたのは、屋根もないプラットホームと小さなディーゼル機関車と古ぼけた2両の客車でした。都会育ちの私達全員が驚くとともに大いに喜んだのは言うまでもありません。 はしゃぎすぎて、OBに怒られたのを覚えています。
水田や雑木林をガタゴト大きく揺れながら走り抜ける列車のデッキに腰掛けた私の頬を爽やかな夏風が撫でていったこと、硫黄谷の古ぼけた鉱山跡、ガスった安達太良山頂、満天に広がる天の川の下での桧原湖のキャンプファイアーなどなど、、、、いろんな旅の情景をくっきりと思い出しました。
古いアルバムを見たら、ディーゼル機関車など何枚かフォトを見つけましたのでお送りします。上の 4枚は川桁駅で、構内のフォトではディーゼル機関車の前に小さなターンテーブルがあるのがわかります。気動車の左後方がホームで、私達の乗った客車が小さく写っています。 列車交換は会津樋ノ口駅です(自分はいい雰囲気出てるなあと思います)。 プリント裏のメモによると1967年7月29日撮影です。
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