岸さん からのメール 1997/07-12 
  1. 福岡レポート
  2. 上野駅、京都駅
  3. 丹波橋の廃線跡
  4. 鉄なCM
  5. CMのうら
  6. 横軽廃止
  7. 北陸出張
  8. ちょっと見かけた電車の話
  9. 交通科学博物館
  10. キハな世代

福岡レポート
先週の金・土・日と、福岡出張でした。 新大阪で午後2時過ぎのひかり自由席に首尾よく潜り込みましたが、 やっぱりとにかく退屈でした。 車内で、遅い昼食を駅弁で済ませ、そのうちしびれをきらして ビールを飲んでも、列車はまだ広島にも達しておらず、後半の 1時間半ほどの行程は、ぼーっとしてきてほとんど記憶に残っておりません。 これが東海道なら、退屈してきた頃に富士山が見え、新丹那トンネルを 過ぎると海が見え、と、そこそこ見所はあるのですが。 気がつくと、新関門トンネルに入っており、やっと九州かと気をとりなおしました。 うちの販売会社の福岡の出先は、西鉄福岡から6つかそこらの「ざっしょのくま」と いう駅の近くにあり、ここはあの武田鉄矢の出身地でもあります。 そういうわけで西鉄に乗りましたが、なかなか古ツワモノが現役でがんばって います。外観はそこそこ新しいそうな車両デザインだな、と思ってみていても、 乗ってみるとややくたびれた転換クロスシートだったり、運転士が、乗務員室の 左寄りではなく中央に座っていたりするあたりなど、「古きよき西鉄」という ことばが似合いそうなにおいを残していました。 それと、西鉄の福岡駅は、ずいぶんと長いこと、改装工事をやっています。 1年前に行ったときもやってましたが、まだ駅の様子はそのまんまでした。 前回はコンコースにうどん屋のカウンターがあったのに、今回は工事のため撤去 されたりしてました。 土、日の2日間は、福岡の新名所「キャナルシティ」内にある売り場に 応援で立っていました。仕事のことはともかく、福岡は大変美人が多いので、 なかなかの眼福でした。(売り場で出くわした女性の、美人の方・そうでない方の 「ヒット率」でいえば、5割は超えてました) 帰路は関西空港まで飛行機でしたが、またまた私としてはちょっと珍しい席に あたりました。初めて「自動チェックイン機」を使って、「通路側禁煙」を 指定し、あとは機械におまかせだったのですが、出てきたチケットには「75C」 とありました。 すなわち、テクノジャンボの2階席。2階に乗ったのは6年振りくらいになります。 前回はカミさん連れのスーパーシート(羽田〜伊丹)でしたが。
上野駅、京都駅
私が「おのぼりさん」だからか、上野駅はいいですね。 東京に行ったら、降りて駅舎を眺めたくなります。 昔、東北方面からの夜行で降り立った時に聞いた「うえのーーー」という 情緒たっぷりのアナウンスには、鳥肌がたったものです。 鉄道雑誌なんかで、大昔の地平ホームの改札口の風景が写真で載ったり するのを見ても、今とそのまんまですもんね。 廃線跡趣味に代表される「昔ここは××だった」というのもすきですが、 「昔のあそこが今のここである」という、定点観測ものも大好きデス。  (まったく関係ないですが、「おはぎの丹波屋」のテレビCMで、  おばあさんに扮した桃井かおりが、「どうじゃ、どうじゃ」といいながら  おはぎを手に上野駅前の交差点をひょこひょこ渡る、というのが  こっちで流れていたことがあったんですが、そちらでもそんなの流れて  いたんでせうか。)  : 近鉄でのみどころといえば、奈良線と京都線のクロスする西大寺駅あたりの 急カーブ(京都方面から構内に進入する時)とか、そのあたりの複雑な配線の 妙、それから奈良駅の手前、新大宮かいわいの平城京跡地の車窓からの眺め。 特に平城京は、近年 朱塗りの塀とかが再建されており、跡地のどまんなかを 列車が横切って走るのでまじかに見えます。 急カーブといえば、近鉄の京都駅を発車していきなり南へ進路を向ける時の カーブも、かなり無茶してます。 京都駅といえば、JRの京都駅はついこないだ新築オープンしました。 私もまだ見てませんが、「ガラスの城」だそうです。じっくりご覧に なってください。 壁のようで市内が寸断される、と地元から景観論争でクレームも相当でましたが。 いしいひさいちが、新聞の連載漫画で、JR西日本のエライサンに「これなら、 駅の向こうにこれから何を建てても、新幹線から見えないだろう」と言わせて おちょくってました。。
丹波橋の廃線跡
> 大阪環状線のあたりも、なかなか複雑な経緯がある様ですね。あと、先日奈 >良のバイク乗りの方からメール頂きまして、近鉄の旧東青山駅跡のレポートを >見ました。以下 URL ですので、もしご興味ありましたらどうぞ。 > >http://www.mahoroba.or.jp/~shirai/haisen.html > >もひとつお勧めですが、東芝情報システム(株)中部支社 の企業ホームページ >にあるまじきコンテンツ(笑)。「散歩の小径」バックナンバーには、限りなく >鉄なページが... 。作成者の方は、やはり... でした。(^^;) > >http://www.tjsys.co.jp/chubu/ 以上2件、早速見てみました。 いやいや、なかなかディープですねえ。 近鉄の件、写真をみて、男性が何か細長い、平均台のようなものの 上に立っているので、橋かなと思ったら、それがプラットフォームだと いうので、びっくりすると同時に、何かじーんときました。 「ファンタ」の缶(なかなかなつかしいラベルのデザインでした)が 転がっていたというから、比較的最近まで現役だったわけで。 とにかく、廃線探訪は初めてだとおっしゃるのに、とてもよくまとまって おられる力作でした。 東芝さんの件、会社のサイトにこんなの書いてほんとにいいの、って感じですね。 うらやましいですね。「小径」シリーズの中に、さりげなく「鉄分」が含 まれている、というのも、これはかなりアブナイ仕掛けというか、高度な技だと 思います。 個人的には、「武豊線」がなつかしかった。大府の駅から近い電気屋さんに、 仕事でこの春、何回か足を運んで、あのローカルなキハにも何度かお目にかかって いましたので。 ところで、こないだの、近鉄と京阪のからみの件で、堀さんの「地図の楽しみ」を 改めて読み返してみましたら、やはり出ていました。 233ページに掲載の昭和36年の2万5千「京都東南部」によれば、 桃山を出てから近鉄が左へシフトして、京阪と寄り添うようにして丹波橋の 構内へ入っていく様子が記されています。ご覧になったのは、この時の 路盤跡だったと思われます。 現在でも、丹波橋では、近鉄・京阪両方の駅が、連絡通路でつながっているほど 隣接していますが、当時はまさに、駅の共用といってもいいほど、ぴったりと くっついていた様です。 そういえば、私もこの本を手に実地に赴いたとき、この乗り入れていた路盤跡に まだレールが残っていたり、路地をオーバークロスする橋台に「CAUTION」と 記したプレートが取り付けられているのを発見したことを思い出しました。 この「CAUTION」という表示、何やら「進駐軍向け」っぽいテイストが あり、まだ戦後の空気が抜けきらない昭和20〜30年前後の様子を彷彿させる ものがあって、妙に感動したものでした。 雑多なお話になりましたが、とりあえず。
鉄なCM
お盆休み明けのご挨拶をする間もなく、はや9月になってしまいました。 いかがお過ごしでしょうか。 9月の声を聞くと、季節は一気に秋へと向かい、輪行には絶好のコンディションと なりますね。 涼しくなるのはいいのですが、毎日1時間余の通勤電車に揺られる私としては、 車内の女性のファッションが薄着から厚着へと、これから日に日に移り変わって 行くのかと思うと、これからいったい何を楽しみに、と少なからず寂しく感じる 昨今です^^;。 さて、サイトの方の「痛い話」、楽しく拝見しています。 やっぱり、コケることもあるんですねえ。 私の家内の妹が、かつてロード用の、細〜いタイヤの自転車を乗り回し ていたことがあって、私もまたがせてもらったことがありますが、 ハンドルが低くてサドルが高くて、とてもまっすぐには走れませんでした。 あれでオフロードを下ったら、そらコケますわねえ。 痛い目にあう方には申し訳ないですが、今後の新ネタにも大いに期待する次第です。 さて、先日お話した桃井かおりのCMの続編、というわけでもありませんが、 「鉄」にからんだCMで、またまた発見してしまいました。 多分関東でも流れていると思いますが、スポンサーは「ワンカップ○○」。 出演は、田村正和と中島みゆき。隣り合って座ってワンカップをなめながら、  正 和「いい歌、歌ってますね。」  みゆき「すぐ誉める人はすぐ悪口言う、っていいますから。」  正 和「そうですか。」  みゆき「・・・そうなんですか?!」  正 和「(プッ!)」 ・・・という、あれです。(あれ、って書いたものの、ご存知でしょうか) 私はこれを見ながら、 「どうもバックの風景などを見ていると、駅に関係ある雰囲気だけど、 二人の後ろに、アルミサッシの窓枠みたいに銀色に見えているのは、 いったいなんだろう。どこかの飲み屋かいな」 ・・・と、常々不思議に思っていました。 そして先日、やっとひらめきました。 その背景の「窓枠」は、2段ハネの窓際についている、折畳式の「ハシゴ」だ、 ということを、やっと発見したのです。 ・・・ということは、正和とみゆきがB寝台で二人連れ立って、という場面設定 だということになりますが、このシチュエーションって、いったい・・・?! 夏休みは、「家の裏の物干し場に屋根をつけろ」という家内の命令で、 そのほとんどを日曜大工に費やしました。おかげで、釘・スコップ・電気ドリル・ ハンマー等々、本物の「鉄」に思いっきり親しむこととなり、アチラの方は さっぱりでした。 そういうことで、「鉄」のCMネタでご機嫌を伺う次第です^^;
CMのうら
> さてさて 田村正和の CM、知ってます知ってます。でもさすがにバックまで >は、目が行かなかったなぁ。今度良く観察してみます。 ああ今回は話題が通じて良かった。 「ここはBネの中である」と、その気になってご覧になれば、 なーるほど、と手を打たれること間違いありません。 (それにしてもあのCM、あの2人が何かの役に扮して演じているならともかく、  「いい歌、歌ってますね」というセリフからも、歌手の中島であり、俳優の   田村である、という「素」のままで出ているわけで、それなのになんで   その2人がBネの中で一緒に酒飲んでるんだ、ってところが、   シチュエーションとしてどうもよくわからんわけです。) >CM と言えば、最近写真 >を UP した小湊鉄道がここんとこ露出度が高いです。京成系列の中小私鉄です >が、関東ではこの京成系と京王が良く使われてますね。会社によって、駅構内 >や車内での撮影に協力的な所と、そうでない所があるという事みたいですが。 考えてみますと、鉄道の登場するCMは多いですね。 車内風景を見ただけでは、私にはそれがどの会社だかよくわかりません。 関西系の鉄道が画面に登場することはまずないでしょうし。 外観がちらりと映って、それが西武だとか小田急だとか京急だとか、そういう メジャーなカラーリングなら私にもわかりますが。 ちょっと余談ですが、仕事で映像(ビデオパッケージ制作とか)に関わることも あるので、商売柄気になることがあります。 CMの中には、これはセットだな、とわかるものも多いですが、本当の車内だ、 としか思えないものもあります。 そういう場合、難しいだろうな、と思うのは「ライティング」です。 バッテリーしか電源の取れないところで、車外からの強烈な光線に負けず、 かつ自然な雰囲気の照明をあてるのは、さぞ難しいはずです。 しかも車内には、手すりとか窓ガラスとか、そういう「光りもの」がたくさん あって、余計な反射が映り込んでしまうとか、せっかくセットした照明がぐらぐら 揺れるとか、いろいろあるはずです。 (こういう発想をしてしまうのは、職業病です) ドラマでも同じことですが、あれってやっぱり、撮影用に列車をチャーターして、 エキストラを乗り込ませてやってるんでしょうか。定期列車であんなことやろうと したら、段取りがさぞ大変でしょうが、やっぱりその「 大変なこと」を やってるのかな。(1両だけ借り切って、というのはよく聞く話) よく、主人公が東京駅で新幹線に乗り込んで出発するシーンなんてのが ありますが、「あのあと、あの俳優さんは、新横浜で降りて引き返して くるんだろうか。何回もNG出されて、東京と新横浜をえんえん往復して いるんだろうか」なんて、素朴な疑問、ありませんか?! 次回あたり、廃線跡ならぬ「廃空港跡」のお話など、ちょっと書かせて頂こうかと 思っております。それでは。
横軽廃止
10月といえば、言うまでも無く「横軽」の廃止という、歴史的な瞬間を 迎えてしまったわけですが、この「横軽」の廃線というのは、その存在感の 大きさや意義深さから言って、まったく最新にして最大の廃線跡、といっても いいのではないでしょうか。 おまけに、同一区間に、旧線、旧々線と、ビッグな廃線跡が2つも並んでいる、 というのも、これまた例がないでしょう。 私はうっかりして、長野新幹線の開業など、ずっと先の事のように思えていて、 9月30日のテレビニュースで、「明日・・・云々」と聞いてあわてた次第。 廃線跡としての研究対象がまた一つ増えたことを、よろこぶべきなのかどうか。 複雑ですね。しかし、旧線跡がどう変化していくのかを、知りたくもあります。 かつて1度だけあの区間を通ったことがあり、空気ばねをパンクさせて登る時の、 あのゴツゴツとした感触を、初乗りの興奮と共に今でも覚えています。 今となっては、たとえ1回でも乗った事があって良かった、と思うばかりです。 最近、関西のマスコミでも、「あの「峠の釜飯」はどうなるのか」というネタが ちょいちょい話題になっています。 ドライブインや新幹線で生き延びて・・・というオチについてはご存じの通り ですが、テレビニュースの中では、横川駅前の「おぎのや」さんでの釜飯作りの 様子とか、「ここから先は行き止まりです」とばかりに、線路上に枕木の車止めが 置かれた横川駅構内の様子が映し出されていました。一種の盲腸線になって しまったようなものですね。 不明を恥じつつ書きますと、新線がどこでどう分岐して、どういうルートを 通っているのかということを、余りはっきり知らないのです。 旧線の北側をぐるっと迂回してトンネルで抜けて・・・みたいなことを、 ずっと前の新聞で読んだ記憶はあるのですが。 新旧各線の運転系統の詳細についても、また然り。今月の「時刻表」は歴史資料的 価値があるから買っておかねば、と思うのですが、最近特に金欠で・・・(^^;) 廃止前後は、かなりの人が押し寄せて、現地はフィーバー(うっ、古い表現)して いたようですね。いずれ現地ルポなど、期待させて頂きたいと思います。それでは。
北陸出張
> 北陸出張ですが、「あさひ」+「はくたか」という組み合わせで行って来ま >した。実際のところ、「はくたか」は JR-W の 681系でしたので、サンダーバ >ードに乗ったも同然(^^;)。 「ひかり」に乗ったら「のぞみ」型車両だった、みたいなもんですね。 > しかしさすがは 70% がトンネルというだけあって、景色は窓ガラスに写る >自分の顔ばかり... 耳ツンの連続には参りました。新幹線は何か対策している >んでしたっけ。 新幹線は車両が気密構造ですが、やはり耳ツンにはなりますもんね。 ちなみに私は、新幹線車内でのヒマツブシとして、 「気圧差による車両構体の歪みの測定」を行っております。 (難しく言えばいいってもんじゃない?!^^:) すなわち、窓際の席に座って、窓下あたりの壁面に手を添えておき、 トンネルに入った瞬間に、壁面がじわーっとトンネル方向へ広がるのを確認して 喜ぶ、という非常に高等な遊戯であります。 やってみると、ああ、こうやって金属疲労が確実に進行して行くのだ、と 実感できて、ゾクゾクするものがあります。 座席と壁面の隙間などを測定対象とすると、より一層精度が上がります、ハイ。)   > 翌日は城端線でローカル気分を満喫(一週間早ければSLにもお目にかかれた >みたいですが)した後、往路と同じパターンで帰りました。ただ、「はくたか」 >はこまめに停車するタイプでしたので、非常に時間がかかりました。おまけに >長大トンネルのど真ん中(赤倉信号場)で対向待ちをするのは、非常に不安な >ひとときでした。 トンネルの中でとまってくれるというのは、うらやましい体験ですね。 以前、仙山線の面白山トンネルの中の信号場を通りましたが、通過でした。 城端線に乗られたとは、これは非常になつかしいお話です。 もう何年も前ですが、長期出張で高岡に行きまして。 駅の正面ではなく、裏口側のすぐのところに「グリーンなんとか高岡」とかいう ホテルがあって、同じ部屋に2週間「住んだ」ことがあります。 途中で土日を2回挟むのですが、週末の販売イベントの応援の仕事なので、 その2回分の計4日分を、平日に4日連続で代休があったのです。 まず1日目は城端線に乗りに行きました。 「やっぱり「行き止まりの駅」は風情があるなあ」、などと思いつつ、 城端駅前から街をぶらぶら歩いて行くと、立派なお寺があったり、 シブイ蕎麦屋があったりと、のどかな1日を過ごしました。 それだけでは物足らないので、今度は氷見線に乗りました。 宮脇さんのエッセイにも登場する「雨晴」の一本松などに目をこらしつつ、 富山湾ごしに眺める黒部の山々の美しさに感動したり、駅前通りですれ違った 出稼ぎと思しきフィリピン人ダンサー(観光旅館のショーに出ているらしい)  の姿を見て何か複雑な思いにかられたりと、変化のある1日でした。 2日目は、足を伸ばして富山港線に乗りました。 終点の岩瀬浜に着きましたが、そこから先にも線路跡が伸びていて、一部には レールも残っていました。歩いてみると、駅前の踏み切り跡と思しき個所を 抜け、住宅の間をゆるいカーブで突っ切って、海に面した空き地に出ました。 一部には貨物の積み込み場のようなホームの土台があったりして、 一種のヤード跡のようでしたが、建造物は何も残っていませんでした。 時間が余ったので、富山駅前の映画館で、スクリーンを真剣に見るでもなく、 なかばうとうとしながら時間をすごしました。(こういうシチュエーションに おいては、もちろんロードショー館ではなく、「にっかつ」ブランドです) 3日目は、富山空港まで足を伸ばしてワッチ。 ターミナルの屋上から、肉眼で室堂のホテルの建物が確認できるくらい、 山に近いのに驚き。空港直上を通過したジェット機が、はるか能登半島の 沖合いを旋回して降りてくるのを眺めたり、名古屋からやってくる、 中日本航空のフォッカー機(大阪ではお目にかかれない)に遭遇して喜んだり。 さて、4日目ですが、さすがに4日連続で遊べといわれても、もうすることが ありません。さてどうしようかと思っていたら、高岡駅前から路面電車 (加越能鉄道)が出ていたことを思い出して、乗ってみることにしました。 行くあてもないので、とにかく終点まで行ってみたら、45分ほどかかって 「越ノ潟」というところに連れていかれました。海に面して、1線だけの みすぼらしいホームのある寂しい終点でしたが、少し歩くと公園が整備されていて 引退した「日本丸」が係留されていたりと、それなりのみどころはありました。 (あいにく整備期間中で船内には入れませんでしたが) どうも長くなってすみません。思わぬ成り行きで、廃線跡ルポまで書いてしまいまし た。 ところで、北陸一帯には、「金の玉」というパチンコ屋のチェーン店があるのですが、 お気付きになりませんでしたか。富山、高岡、あの辺は「金の玉」だらけなのです。 私がとまったホテルのすぐ裏にもありました。そのものズバリです。参りました。
ちょっと見かけた電車の話
さて、表題の件ですが、通勤時に乗っている阪和線の103系の話です。 いつものように朝電車を待っていると、車両運用の都合か、いつもとは 違う編成が入ってきました。 そもそも、阪和線のラインカラーは、確か京浜東北線と同じ、 水色なんですが、その日は関西線で普段走っている、黄緑色の車両でした。 しかも、私の前にとまった中間車(モハ102)は、更新修繕が施して ありました。 まず、窓がユニット化されていて、下段はハメ殺し、上段は左右2分割で 社内に向かって手前に斜め45度くらいに開く方式。 しかも、窓フチの色は真っ黒で、それを金属色そのままのネジで 黄緑色の車体に取り付けてあります。 ついでに、ドアガラスの押さえも黒になってます。 ロングシートのモケットは、濃紺のものに張り替えられていました。 黄緑のボディに黒のパーツ、その中に銀のネジがポツポツと浮かび上がって 見えているわけで、この配色はセンスを疑わざるを得ませんでした。 しかも、編成中でその1両だけなので、余計に目立って仕方ありません でした。まあ、乗ってしまえばどうでもいいことなのですが。 ちなみに、この車両、数日後の会社帰りにも見かけました。 当分の間、阪和線の定期運用に入っているようです。(車番を控えている わけではないので、同一のものかどうかわかりませんが)
交通科学博物館
さて昨日の日曜日、大阪・弁天町の「交通科学博物館」に、久しぶりに 行ってきました。お供は小1の坊主です。(親であるこっちの方がお供を してもらっているありさま) 子どもは、例によってHOのパノラマ運転がお気に入り。あと、 リニアの展示(ボタンを押すとリニアの模型がすーっと走る)の前から なかなか動きませんでした。 ナシ20を使って営業しているレストランでの昼食も、「食堂車は初めてだー」と 喜んでいました。 特筆は、たまたま第2日曜にあたったので、「ミュージアムツアー」なる 月イチのイベントがあり、明治時代の駅長さんに扮した職員の方が、 普段は鍵のかかっている展示車両の車内を、特別に案内してくれる、 という機会に恵まれました。 見学できるのは、スシ**(形式忘れました)、マイネ**(同じく)、 キハ81(くろしおの先頭車)、元祖湘南型のクハ、EF52、の5両。 最後には、数年前まで現役だったという、硬券の印刷機で、入館記念の 「きっぷ」を、1枚1枚その場で刷って、おみやげにくれました。 車内でも、一般向けにしてはこまかい解説があり、車両の作られた時代背景とか、 車両の記号(スシとかクハとかの意味)についても説明がありました。 戦前派のスシやマイネ、また湘南電車は、ニスも美しい木造車内で、 子どもの頃の阪和線で乗った旧型国電を思い出させてくれます。 (車内の調度品はよく手入れされており、古さをあまり感じさせません。  「ブラインドはさわらないでください。一度下ろすと上がりませんから」って   いってましたが。) また、キハやEFは、その最後を阪和線で終えた車両なので、 私自身が今の自分の子どもと同じ年のころ、あこがれのまなざしで 見送った、その実物なので、見るたびになつかしく感じます。 ボンネット型のキハや、凸型の電機の絵を、よく鉛筆で描いては遊びましたっけ。 EFとスシの車内に入ったのは初めてでしたが、その他の車両は、以前は 見学自由でした。しかし、屋外展示なので傷みが進み、いまはイベント以外で は閉鎖されています。 (キハの窓ガラスも、車体の歪みが進んで、ひび割れが出ていました) 案内係の人も、「早く屋根をつけなきゃならんのですが」とはいってましたが。 考えてみれば、これらの車両が保存され始めてから、まだたかだか数十年しか たっていないわけで、あと10何年かしたら、どうなっているんでしょうか。 雑感その1:  展示されている車両を見ていると、こんなごつい鉄のかたまりが、大勢の乗客を 乗せて、時速100キロやそこらで突っ走るなんて、信じられない、なんてすごい ことなんだろうと、しみじみ思ってしまいます。 普段乗っている国電は、ごく当たり前のように、軽やかに走っていますが、 それとおなじ形式の車両のカットモデルが展示されているのを見ると、 急に重量感が感じられてきて、すごいことだと思います。 雑感その2:  保存展示されている車両って、いったいどこから出し入れしているんでしょうか。 大型のトレーラーを敷地に乗り入れて、積んだりおろしたりするんでしょうか、 やっぱり。そんなたいそうな作業をするほどのスペースも、あたりには みあたらないのに。一度、JR−Wのホームページに、メールでも送って きいてみようかしら。
キハな世代
>それよりも乗車した駅(小山です)のローカル度には驚きました。新幹線が1 >時間に一本しかない(停車しない)んです。まぁ、東海道以外はそんなもんか >なという気もしますが、あの時刻表見た時は正直ショックでした。 まさしく、「おやまあ」ですね(なんちゃって) ダイヤ改正時の時刻表の取り替え作業が楽そうだなあ。 張り替える数字がすくなくって。 (余談ですが、うちの工場のある栃木県に行くときには、宇都宮で在来線に  乗り継ぐんですが、新幹線の選択肢がすくないので苦労します。そのせい  か、乗るとすごく混んでます。) >交通科学博物館へはまだ行った事がないんですが、秋葉原での体験(幼い頃か >ら何度も父親に連れて行かれた)と重なるところがあります。実際、普段乗っ >てる車輌が屋内に置いてあると、何とゴツくて重量感のあるものか。小さな子 >供からするとあの蒸気機関車のカタマリなんて、恐ろしさすら感じてしまいま >すね。 今の小2の娘がまだ幼稚園に入るか入らないかのころ、梅小路に連れていったら、 蒸機を見てビビって泣き叫んで苦労しました。 ちなみに、前回のメールをアップしてからすぐ後で、ここの博物館のサイトを 見たら、保存車両の紹介も載っていました。でも、全部ではなくて、少し 残念でした。 >キハ81には私も思い入れがありまして、幼い日に線路際でよく見ていた特急 >が、これの「はつかり」でした。「こだま」より後に出来たのにカッコ悪いデ >ザイン。 やはり元祖は「はつかり」ですもんね。 くろしおが、81系から82系に替わった時は、何かすごく、「近代化」って 感じが子ども心にもしたものでした。スマートで。 ところで、今の381系も、すでに車齢が古くなって、いずれ置き換わるものと 思いますが、その時には、キハたちに対するほどの思い入れは持てないような 気がします。自分自身が自由に特急に乗れるご身分になってしまうと、 子どものころのような「あこがれ」を持つことは容易ではないようです。 少しおおげさに言えば、一昔前の「質素な」時代と、現在の「贅沢な」時代 を結ぶ、ちょうど過渡期に、キハたちがいた、ということでしょう。 今からすると「中途半端」に映る内装やアコモも、高度成長期を共に育った 私としては、思い入れの対象になっているようです。 そしてもうひとつ、やはり、キハならではの「におい」と「音」に、 格別のものがあり、その有無に、決定的な差があるようです。 もっとオジサンなら、同様の感慨を、蒸機に対していだくのでしょうが、 私の年代だと、子どもの頃の思い出と結びつく対象は、やはりキハに関するものが 多いですから。旅行に連れていってもらったとか、そういう嬉しい思い出の シーンには、必ずキハが出てきますし、大学生くらいになってあちこち旅したのも、 キハが道連れでしたから。 先日は、久々に車内に入って、シートにもすわってみました。 あの「リクライニングしない」ぺったんこのシートも、今となってはなつかしい。 ずーっと前に、函館本線で82系に乗ったときもそういうシートだった覚えが あり、ごくありきたりのハコに乗るよりも、むしろ喜んだものでした。 ところで、今朝の新聞に、カラーで「20系客車引退、記念列車運転」の 記事が載っていました。ああとうとう、という気がしました。 ついに、「あさかぜ」の伝説も、完全に過去のものになるんですね。 20系のことについては、また改めてお話させていただきたいと思います。 それでは。
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