掲示板にYASさんから、御陵線についての思い出と現地調査のレポートをお寄せ頂きました。記事化をお願いしたところ快諾を頂きましたので、国土交通省の空中写真を添えて公開します。「かなり曖昧な部分もあって」とおっしゃってましたが、どうしてどうして、なかなか正確にトレースしてらっしゃいますね。

京王御陵線 の跡をたどる
2003/12  YAS   

 私は子供時代、御陵線跡近く長房第一団地に住んでおりました。そして御陵駅跡に建っている内科医院の娘さんやその傍のお寺の息子さんとも友人でした。また横山駅跡近くにある小学校に通い、横山橋に並行するように川に建っていた橋脚も興味深々に見ておりました。当時浅川の甲州街道側にもやや低い橋脚があり、学校の帰りに遊んでいました。現在残っている2本の橋脚の存在も知っておりました。また横山駅跡が大型商店であった事、その裏手に材木店があった事などが思い出されます。現在では、長房団地を離れ、町田に住んでおります。

 最近こちらのサイトで廃線跡を探索されている事を知り、もう一度御陵線跡をたどってみました。道筋は山田駅からめじろ台駅手前で、北に向きを変える所から御陵駅跡までです。


 まずめじろ台駅を通り山田駅方面に走ると、横山駅に向かう坂道にぶつかります。T字路を右に曲がると高尾線を越える橋に当たります。その手前が横山駅に向かう為のカーブだったところで、現在では民家が建っているため近付いて確認する事は出来ませんでした。橋を渡って反対側から確認したところ、確かに僅かな地形の膨らみと民家下を大きくカーブする様子が確認できました。

 そしてこの事と関係あるか解りませんが、高尾線の軌道が僅かに右にうねっている事にも気付きました。この民家下の土手のカーブと道幅があれば当時使用していたと思われる12m車両(?)なら2両連結しても、道路左側を走る事は可能ではなかったのではないでしょうか。また古地図を見ると、この道を下り山田小学校の信号を過ぎた次の信号辺りから高架になっていたものと思われます。

 道路を更に進むと、横山駅跡にたどり着く・・・筈が、現在JR中央線のアンダーパスになって土地そのものが消滅しています。1990年代、長い事行っていた工事の真相は、地下の埋設物を移設していたのですね。幸い、と言うか甲州街道の反対側に有るガソリンスタンドには変化が無く、裏手の浅川の堤防に立つ事が出来ました。浅川の堤防にあった橋脚は昭和40年代に浅川内の橋脚撤去時に同時に撤去されました。

 今も残る2本の橋脚は、御陵線廃止後橋脚撤去前に京王が売った土地に個人宅が建っていた為に取り残されたものです。この橋脚を過ぎて更に進むと、東西に走る道路にぶつかります。ここを右に曲がり御陵線と並行して走る道路を長房南団地に入ります。

 銀行の出張所脇の道路に入り土手沿いに走ると、今走ってきた道路が見えます。土手の上から下を見渡すと、最近建てられたと思われるアパートや駐車場が見えます。ここである事に気付きました。それはある特定の家屋の向きがその前後に建つ建物と異なる事です。屋根を見るとはっきりと解ります。その向きの違う屋根を浅川方向に追ってみると、先程の橋脚に続くではありませんか!反対に団地側を見てみると、ごく自然なカーブを描いて高層住宅に当たります。

国土交通省国土画像情報(カラー空中写真)
昭和54年八王子地区より抜粋(縮小)

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 再度地図を見ると、団地内の建物が斜めに建っている事に気付きます。ちょっと見には団地内の遺跡公園を避けた為のように見えますが、遺跡公園は団地が出来た時にはありませんでした。実は団地を立てる際の土地の取得が影響した結果なのです。団地東側は都が一括して取得できたのですが、西側の土地は御陵線が通っていたため京王が持っていました。その為土地の取得時期がずれて東側が先に建設されました。その後、西側の土地は御陵線跡に沿うように建設されたものと思われます。

 団地西側の駐車場入り口付近から西に向かって伸びる路地が御陵線の軌道跡でしょう。この路地に沿って走ると、小さな十字路に出ます。この十字路を左に曲がると先程の路地に繋がっていて、ここから西に御陵駅に向かって住宅街が続いています。この住宅街には二本の道路が通っていて、そのうち十字路に近い側の道路沿いに昔鉄道柵や枕木があったのを記憶しています。また、十字路から伸びているこの道と軌道跡の交差している辺りに踏み切り跡の鉄道柵がありました。残念ながら踏み切りの名称が書いてあったのですが、覚えていません。

 軌道跡のこの道の終点が御陵駅跡となります。最近、京王線の各駅で無料配布された「あいぼりー」という小冊子の総集編「京王線・井の頭線 むかし物語 総集編」に御陵駅の写真が載っていました。この写真を見ると、人物との比較からかなり大きな神殿風の建物だった事が解ります。残念ながら外観のみでホームや駅内部の様子は解りませんが、軌道跡や線路の配置の記録から、旧京王八王子駅(地上駅)と同じ位の規模(ホームの長さは半分位だと思いますが)だったと思います。


 今回、子供の頃から気になっていた御陵線跡を探索してみて、町の変貌ぶりを改めて感じました。昔の多摩御陵にはもう一つの鉄道、武蔵中央鉄道(路面電車)があったそうで、子供の頃参道の入り口の欅林の中にあった線路の上を歩いた記憶があります。これはその後何年もしないうちに撤去されてしまい、駅の跡は交番になってしまいました。これらの事からも昔は結構観光地だったんですね。


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