二俣尾のホッパー 1998/12 

 二俣尾の側線について、満田さん から何通かお便りを頂きました。私にとってここは、それらしき一部の遺構のみ残る正体不明の場所だったわけですが、満田さん の情報によって色々とわかって来ました。


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はじめまして、ホームページ拝見しました。ホームページのことはトワイライトゾーン6(ネコパブリッシング)で知りました。

:(一部略)

 さて、私からも少々「ねた」を提供させていただきたいと思います。残念ながら写真は無いのですが、H.Kumaさんも取り上げていらっしゃる「二俣尾」のことです。

 初めて訪れたのは、私が8-10歳の頃です。月刊誌「鉄道模型趣味」(以下TMS)に載っていた「ホッパーの製作」でした。二俣尾からのびた支線の終点は大きなホッパーになっており、ホッパーからは索道がのびているとの記事でした。

 当時は、とうぜん廃線でしたが(トワイライトゾーン7で廃線は1964年と知る)青梅線と分岐後はレールもあり、終点には巨大なホッパーが残っていました。また、ホッパーにつづく「ビン(とTMS記事にはある)=索道の終点」にはリヤカーなども残っており、終業間もない感じでした(1972年頃です)。

 第二回訪問は1981年頃でしたが、ホッパーは大きく崩れ自然に帰ろうとしていました。第三回は、1997年秋です。レールは残っていますが、ホッパー跡は自然に帰り、ビン跡もどこだか分からない状態です。

 もし、機会があればまた訪れてみるのも良いかもしれません。草木の枯れたこれからのシーズン私も再訪してみようかと思います。ゴム長と鎌をもって。。。



ついでに、もうちょっと情報を。終点に近づくには...

 駅をでて奥多摩方に歩くと「〇〇食堂」が左にある。その前の右に上がる小道を行くと踏切があり、右側に資材置き場がある。その脇に(向こう側と言うべきか)当時の架線柱が残っています(土手の向こう側です)。
 線路敷きに降りるには、もう少し道を進んだ所からがんばれば行けるかもしれません(草木によるが、高低差はかなりある)。

 また、反対側のアプローチとしては、H.Kumaさんの取り上げた廃線ガーターをくぐりその先を左に上がっていった道(その先は民家があり、さらにお墓があったと思う)を歩いていくと15年前は線路に降りる道がありました。


本日、必要書類捜索のため押入を探していたら、TMSの73年5月号が発見されました。よく見たら、300円のレッテルが貼ってあり、(一度処分してしまったものの)後日古本屋で見つけたとき再購入したものと判明しました(どうでも良いことですが)。

 記事内容を要約すると

  • 撮影は1964年
  • ホッパーのある建物はスキップという
  • 索道の終点をビンという

 索道にバスケットがあることから、操業中と思いますが、全く人影が無いのが気になります。もしかしたら撮影は、廃業すぐなのかもしれません。

 私が訪れた1974か75年には、すでに索道はなく、見回しても中間の支柱などはありませんでした。ただ、全くと言っていいほど破損のない"ビン"と一部崩れかかっていそうなホッパー(しかし完全な形だった)は残っていました。また、両者を繋ぐベルトコンベアーはすでになかったと思います。

 こうして、色々資料が出てくると早く二俣尾に行きたくなりました。行ったら、当時出来なかった聞き取り調査も実施したいと思います。

満田 恒春

※ホッパーのイラストは、満田さん に見せて頂いたTMS記事中の写真を参考に、私が手描きしたものです。


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