夢に終った鉄道たち
この地域には、計画されながら夢に終ってしまった鉄道も数多く存在する。もしもこれらの鉄道が開通していたら、また現在と異なった交通地図を形成していた事だろう。
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南津鉄道(一ノ宮〜鑓水〜城山北)
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武州鉄道(吉祥寺〜秩父)
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京王帝都電鉄
国立線(府中〜国立)
小金井線(多磨〜武蔵小金井〜小金井桜堤)
田無線(吉祥寺〜田無〜東久留米)
立川線(富士見ケ丘〜三鷹〜国分寺〜西国立)
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西武鉄道(武蔵境〜武蔵関)
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武蔵中央電鉄(東八王子〜大宮)
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その他
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南津鉄道
府中から八王子へと玉南(京王)電鉄が開通すると、その南側の鑓水近辺でもにわかに鉄道敷設の計画が持ち上がった。発起人は主に近在の絹商人で、玉南電鉄に接する一ノ宮(現聖蹟桜ケ丘付近)から、ほぼ野猿街道に沿って鑓水、相原を通り城山北へ至るという路線だった。一部工事まで開始されたものの、生糸市場の大暴落により、ついに計画は実現を見ないままに終ってしまった。
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武州鉄道
現在秩父へは西武及び東武+秩父鉄道という路線が到達しているが、もう一つ武州鉄道という会社が秩父を目指していた。基点を吉祥寺とし、秩父まで総延長 63km、新宿からでも秩父まで1時間20分で行ける事を目標としていた。西武の秩父乗り入れが先行して具体化したため、残念ながら幻の鉄道として終ってしまった。
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京王帝都電鉄
京王線でもいくつかの新線計画があったようだが、その中でも有名なのは府中から国立へ至る国立線だろう。国立は元々箱根土地という西武系の会社が開拓した住宅地だが、その案内パンフレットにも計画線として記載されていたそうだ。もう一つ、多磨(現多磨霊園)から国鉄の武蔵小金井を経て小金井桜堤へと至る小金井線も計画されていたが、これらは御陵線の建設が優先されたため、日の目を見ずに終った。
また、井の頭線の延長として戦後計画されたものに、富士見ケ丘から三鷹、国分寺を経て西国立へ至る立川線、吉祥寺から西武新宿線の田無を経て同池袋線の東久留米へと至る田無線があるが、どちらも実現されなかった。
ある意味では京王電軌設立時の計画線であった府中〜谷保〜立川〜日野〜八王子という北ルートや、御陵線の北回り案なども、幻の鉄道として記憶にとどめる事が出来るだろう。
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西武鉄道
西武のその複雑な路線の生成過程は、多くの鉄道会社の分離合併の結果によるものであり、その過程では随所に不設に終った計画線があるに違いない。中央線の武蔵境から多摩川原の是政へと至る西武多摩川線も、元は多摩鉄道という典型的な砂利線であった。昭和の初期に西武に買収されたが、他の路線と分離しているため、武蔵境から新宿線の武蔵関へと至る接続線の計画があった。
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武蔵中央電鉄
結局は八王子の市内電車として終ってしまったが、武蔵中央電鉄はその名の示す通り、武蔵野の中央を貫く鉄道として設立された。その計画路線は、八王子から立川、所沢を経て東北本線の大宮まで到達するというスケールの大きなもので、もし実現していたなら八高線+川越線や武蔵野線の良き競争相手になっていたであろう。
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その他
中央線の前身である甲武馬車鉄道も、当初は八王子でなく青梅へと路線を伸ばす事を考えていた。そうなっていたとすると、青梅から奥多摩を経由して塩山へと抜ける中央線が出現していた?等という無謀な考えも浮かんで来る。
最近の話しでは多摩都市モノレールがあるが、上北台から多摩センター、南大沢あたりまでは良いとして、将来は大環状線を成すという南大沢〜片倉〜八王子〜西秋留〜羽村〜箱根ヶ崎〜上北台の区間についてはどうも雲行きが怪しく、夢に終る可能性も大である。
その他もろもろ、京王相模原線や小田急多摩線の延伸の話し。青梅線の奥多摩駅から小河内ダムへ至る観光線。西武秩父線は、最終的には軽井沢へ至るという説。あるいは、八高線が西武に買収される等というジョークもあながち否定出来ない面がある。
参考:
「多摩百年のあゆみ」多摩百年史研究会編著
「八王子のりもの百年史」清水正之著
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