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京成上野地下線の入口に掲げられている扁額は御影石4枚を並べたもので、その外側も同じ石で縁取りがしてある立派な芸術品だ。 揮毫は京成電気軌道の創立者、本多貞次郎によるもので、左端に縦書きで昭和八年の日付と同氏の署名がある。 この地下線が開通した当時、本多は京成の社長を務めていた。

書は右書きで「東臺門」としてある。 「東台」は寛永寺の山号である東叡山、すなわち俗に「上野のお山」と言われている台地を指すそうである。 そこへ掘られたトンネルの入口であるからして「東台門」、それを達筆な本多社長は旧字体で「東臺門」としたと思われる。 が、当時「台」は「臺」の略字体との認識が一般的であったが実はこれらは別字だそうで、そもそも東台の「台」は天台宗(天台山)から来ているので、ここはやはり「東台門」と書くのが正しかったのではないかと、以下資料の中で石本氏は考証している。

参考図書
  • 鉄道ピクトリアル1997年1月臨時増刊(京成特集号)「京成電鉄“不思議発見”」 石本祐吉 著
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