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2026/07 記

私が生まれてまだ幼少期の頃、常磐線は亀有の近辺に住んでいた事はどこかに書いたような気がする。 その後、現在の実家である船橋に親が居を構えるまでの一時期の間、東京の砂町という所に間借りしていたことがある。

それはおそらく、亀有の借家を出て船橋の小さな新居が完成するまでのごく短期間、一家で親戚の家か何かの2階に居候していたのだと思う。 場所はいわゆる下町の「ゼロメートル地帯」で、満潮になると海面の方が地面よりも高い位置になる一帯である。

この家にいる短い間の事で幼かった私の記憶に残っているのは、たとえば路地裏の紙芝居とか、箱入りスキムミルク、台風の浸水、自家製トマトジュース、堤防の高い運河、そして都電などである。 これらの思い出について詳細はまた機会ある時に触れたいが、このうち特に都電については当時から電車好きの魂を持っていた身として強く印象に残っているので、ここで少し書いてみたい。 (ちなみに単なる日常の断片的思い出なので、特に事件も起こらないしオチもありません)

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それは砂町に越して来て暫く経ったある日の事、普段遊んでいた家の周りから少し遠くまで遠征した際の記憶である。 遠くと言ってもまだ4〜5歳頃だったろうから、せいぜいいつも遊んでいる縄張りから若干外れた程度の距離。 基本的に下町なので、遊び場となる小さな路地はどこにでもあり、そこらを繋いで足を延ばして行けば飽きる事は無かった。

で、どういう気の向きようだったかは覚えていないが、その日私の冒険心は少し高揚していたのかも知れない。 それでちょっと離れた路地まで歩いて探検を試みたというわけだ。 その距離は子供にとって、後で一人で家に帰り着く事の出来るギリギリのものだったろうと思う。 普段見慣れた場所から未知の領域へと踏み出し、恐る恐る進んで行って角を曲がると、何とそこにいきなり線路が現れたのだ。

こんな近所に鉄道が通っているとは夢にも思っていなかったので、それはとても意外な光景であった。 しかもその線路はすぐ目の前でカーブして、自動車の行きかう大通りの方へ出て行っているではないか。 それで、これは都電の線路なのかな?と思うに至った。 当時、家にテレビなんてものは無かったが、親に連れられて出かけた際に都電は何度か目にしていたので、ここにもその路線があるのだという事が理解出来た。

だが都電は普通の電車と違って道路上を走るものと認識していた私にとって、自動車の入れない線路と繋がっているのは何か解せない思いもあった事は確かだ。 それで、そういう場所を走る電車を見てみたいと思い、しばらくその場に佇んで待ってみる事にした。

どれくらいの時間だったか記憶にないが、おそらく当時の列車密度から言って、ものの5分か10分程度であろう。 やがて軽いモーター音(かどうかは忘れてしまったが)と共に、あの都電の黄色い車体が線路の奥の方からひょっこり顔を出したのだ。

「電車だ!」心の中でそう呟いたであろう私、その感動は想像するまでもない位大きかった筈だ。 残念ながらその後の記憶は既に忘却の彼方だが、おそらく遊び疲れて家に帰った後は、嬉々として親にこの大発見を報告したに違いない。

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場所的に言って我が記憶の中のこの都電は、かつて水神森(亀戸駅)から南下して須崎へと向かっていた 砂町線 に間違いないだろう。 そのルーツは 城東電気軌道 という私鉄路線で1928(S.3)年に全線開通している。 その後、城東電軌は東京地下鉄道と合併、1942年には東京市電気局に買収されて都電となった。 全線廃止は1972(S.47)年11月12日である。 当時の家の場所は特定出来ていないが、私たち家族がこの沿線に仮住まいしていたのは1960年頃かと思う。

砂町から亀戸駅までは結構な距離があるので総武線に乗る際は都電を利用していたかも知れないが、その辺は全く憶えていない。 思い出にもあるように、砂町線は専用軌道の区間も多く、その廃線跡の一部は緑道公園として整備されているのは良く知られている。 というわけで当時の記憶を掘り返しつつ、ここは近いうちに探索してみたいと考えている。

参考リンク:
Photo
AERA 連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」
都電砂町線(38)(さっしい さんのページ 「ぽこぺん」 アーカイブより)