お馴染みの多摩湖自転車道をしばらく行き、突き当たった所が武蔵大和の交差点。(しかし武蔵大和って戦艦の名前が二つも入ってるし ^^;) 駅へちょっと立ち寄りガードの写真を写す(Photo-5) が、当時もちろん西武線はまだなかった。東京市軽便鉄道は全線単線だったらしいが、このあたりの南側に唯一の交換所があった様だ。信号を渡って狭山公園へと至ると、入口には何やらこんなモニュメントが。(Photo-6) トンネルポータルのようにも見えるし、用水路の入口の様でもある。特に説明の掲示は見あたらなかったが、いったい何なのだろう。


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Photo-5
多摩湖線のガード
Photo-6
何でしょコレ
怪しい道だ
Photo-7
広場の奥は坂道
Photo-8


Map
一部想像につき、路線位置は正確でない場合があります。

 ここから車道は多摩湖の堰堤へ向けて急な登り坂となるが、それを避けて左脇へと降りて行くと、怪しい地道が貯水池の方向へと緩いカーブを描いていた。(Photo-7) そこをまわりこんで行くと小広い草地が広がり、その奥にはいきなり急角度に登って行く坂道。(Photo-8)
 このあたりで軌道は切り通しから宮鍋隧道(宮鍋は地名でなく人名らしい)へと突入し、ダムの内側へと抜けていたとの事だが、ここがその場所なのか? だとすればトンネルのあった位置は正面の坂道直下となるが、工事後に埋められてしまったのだろうか。
 トンネルの残骸でも残っているかと思ってやって来たが、どうもそれは淡い期待に終った様だ。あるいは地下で、導水管か何かとして活用されているのかも知れないが。(想像図を見たい方は、Photo-8 をいじって下さい ^^;)


Photo-9
多摩湖の給水塔
Photo-10
茶色い斜面がダム
赤坂トンネル
Photo-11
横田車庫跡
Photo-12


 その坂を登ってダム上に出た。東京100景にも選ばれた、多摩湖の給水塔の景色が美しい。(Photo-9) トンネルの出口は、この給水塔の裏手あたりか。そこから軌道はさらに上堰堤へと伸びていたようだ。鏡の様に天地を反転させた世界を写す湖面には、遠く西武ドームの丸い屋根が小さな白い影を落としていた。

 ちょっと寄り道して行こうと思って、お隣の山口貯水池(狭山湖)へと足を向けた。うっかりしていたがこちらは現在補強工事中で、水が抜かれ、堰堤上は立ち入りが出来なくなっている。フェンスの向こうでは、土砂を積んだダンプトラックが土埃を撒き上げてひっきりなしに行き交い、かつての建設風景(当時はトロッコだったが)を髣髴とさせていた。(Photo-10)
 そのフェンスにはその頃の工事の模様がパネルで展示され、羽村山口軽便鉄道(ここで使われた機関車やレールは、東京市軽便鉄道の物が転用されたとの事)を紹介したものも何枚かあった。(Photo-11) この羽村山口軽便鉄道の車庫があったとされる横田トンネル前の広場だが、最近運動場として整備された様で、燃料倉庫と言われた建物もきれいサッパリ無くなってしまっていた。(Photo-12)


参考:
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