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6. 土佐電:後免線

後免町で下車したのも私一人、無人の高架ホームで気動車を見送り、階段を下って駅前広場にある土佐電の乗り場へ行く。 土佐電は言うまでもなく高知周辺の市街地を走る路面電車で、高知駅前から桟橋までを結ぶ桟橋線と、ここ後免町からはりまや橋までの後免線、その先の伊野まで至る伊野線が走っている。 以前は土佐電鉄の運行で、地元の人の間では略して土電(とでん)と呼ばれていたそうだ。 だが数年前にバス会社と経営統合され現在は「とさでん交通」が事業継続しているから、最近は「とさでん」という言い方が多いのかも知れない。

Photo 後免町駅前の電車のりばから、土佐くろしお鉄道の高架線を望む。自転車の脇には、安芸線電化開通記念碑が見えている
Photo 停留場の手前は短い区間ながらも専用軌道になっており、この奥手の本線脇には留置線が何本か設けられている

電車を待つ間、電停付近の軌道を少し観察してみた。 S字を描いて駅前広場に入って来る手前は専用軌道となっており、脇には留置線へと分岐する線路も見える。 留置線の場所は以前は車庫として機能していたらしいが、現在は夜間滞泊のみに使用されている。 駅前はやたら広々としているが、1974(S.49)年までは土佐電鉄の鉄道線である安芸線との乗換駅で大きな構内だったそうだから、その名残だろう。 一部直通もあったらしいが、安芸線は廃止されてしまったのでもう過去の事だ。 後から開通した土佐くろしお鉄道は、残念ながら土佐電が乗り入れられる様な構造にはなっていない。

Photo 後免町駅で折り返し鏡川橋行きとなって発車待ちの2001号。白地にグリーン、シングルアームパンタ装備の都会的な外観だ

後免町の乗り場には冷房の効いた待合室があり、案内窓口で電車一日乗車券の購入が出来る。 1枚1,000円で終日乗り放題だから、全線完乗すれば元は何とかとれるだろう。 磁気カード等ではなく券面がスクラッチになっていて、乗る日の年月日を削り取って使う形式だ。 やがてやって来た電車は割合と新しい車体の様だ。 終点なのでここで折り返し、客が降りた後で運転士が逆側の運転席の準備をし、乗車が始まる。 土佐電は原則として後ろ乗りで前降り、現金の場合は乗車時に整理券を取り降車時に運賃箱での精算となる。 独自のICカード「ですか」も使えるが、全国共通系のものは未対応である。

14:24、時間になりいよいよ発車、ここからの乗客はまだ数名ほど。 走り出して意外だったのは、近代的な車体をしてる割にその走行音が完全に吊掛駆動な事だ。 昔懐かしいグァーンというモーター音を引っ張りながら、力強く加速を始める。 おそらく旧車の下回りを流用してボディだけを更新したのだろう。 後免線の電車は、はりまや橋より大半が伊野線に乗り入れて鏡川橋まで直通している。 なので、後免線と伊野線を総称して東西線と呼ぶ場合もある様だ。

Photo 小篭通停留場付近の併用軌道を行く電車。だが線路は非舗装で道路端を行くので、とうてい併用軌道には見えない

後免町を出て留置線の脇を専用軌道で抜けると、その先から線路は道路上に出る。 後免東町、後免中町、後免西町と音声アナウンスは「ごめん、ごめん」を繰り返すが、後免東町の方が後免町より西側にあるのがちょっと奇妙に感じる。 降車客はバスの様にチャイムを押す事になっており、合図が無い場合その停留場は通過扱いとなる。 このあたりでは大半が通過で、ちょっとした快速運転の様相を呈している。 後免西町からは再び専用軌道となり、ガードレールで隔てられた道路脇を飛ばして行く。 専用軌道なので、線路を横断する道路は踏切となっている。

このまま乗り続けるのも芸が無いので、途中適当な停留場で降り、後続を待つ間に地上から線路や電車を撮影してみようと思った。 このあたりは10分ダイヤなのでこういう時はありがたい。 待ち時間がその程度ならば、炎天下に取り残されても何とか大丈夫だろうと、ボタンを押して唯一人下車したのは北浦という電停であった。 低いホームに申し訳程度の屋根があるが、逆方向は線路が道路に隣接している為にホームすらもなく、車に注意しながら路上でそのまま乗降する事になる。

Photo はりまや橋方面のみホームがある北浦電停。後免町方面はホームが無く、少しはりまや橋寄りの道路端から乗車する事になる
Photo はりまや橋方向の軌道はこんな感じ。後免町方面の乗り場が、道路上に色分けされているのがチラっと写っている

停留場の背後は低い丘陵地となっており、その麓には住宅が並んでいる。 だから線路と山に挟まれた住民は、家の出入りに毎日線路を跨がねばならない。 驚いた事にここは併用軌道扱いだそうで、そう言われると確かに併走する車道との境にガードレールが無いし、交差する道路にも踏切が無い。 だが軌道敷内は未舗装なので、敢えてここへ乗り入れる自動車は存在しないだろう。 道路を渡って反対側に行くとそこは川となっており、堤防の上からしばらく線路を見下ろしていた。 ホームへ戻ると、ゆるいカーブを回ってやって来た逆方向の電車は最新式の低床車、軽やかな音楽を奏でながら目の前を通過。 乗降が無く停留場を通過する際は、どの電車も合図としてメロディーを流す様だ。

Photo 3車体連接の超低床車「ハートラム」が逆方向を通過。スマートなボディに大きく赤字の「ごめん」幕が少しユーモラスだ

次にやって来た前面一枚窓の 1001号に乗車、他に乗客もなく、しばらくの間は貸切状態だった。 これ幸いと被りつきをしたい所だが、誰もいない車内で運転士のすぐ後ろにピッタリ張り付いているのも何だか気色悪いだろうと思い(笑)、遠慮して少し後ろに席をとる。 車内には自動音声に続いて、丁寧にも肉声での案内をしてくれるが、私一人の為にアナウンスしてもらってるようで、何となく気恥ずかしい。 しばらく通過扱いの電停が続いて文殊通に到着、ここで時間調整の為に数分の停車。 その間にようやく何人か客が乗って来て、ホッと胸を撫で下ろした。

その先も道路の左端を未舗装の併用軌道で進むが、市街中心部に近づいて交通量も多くなり、左折する車が電車の前方を平気で横切るので見ているこちらがハラハラする。 踏切だったらとっくに遮断機の降りている距離である。 国分川を立派なトラスの専用橋で渡ると線路は道路中央部に出て、ここからは本格的に併用軌道となる。 交差点では軌道上にはみ出して右折待ちをしている他県ナンバーの車なんかも散見され、運転士さんはなかなか気が抜けない事だろう。

Photo はりまや橋に到着。高知市街を東西に走る後免線と伊野線の結節点、そして南北に走る桟橋線と交差する交通の要衝である

やがて、高知駅前通りを南北に走る桟橋線と交差する「はりまや橋」に着いた。 乗っていた電車はまだ先まで行くので終点乗り換えでも良いのだが、私はここで一旦下車して後続の伊野行きを待つ事にした。 伊野まで行く便は20分に1本程度となる。 しばらく時間があるのでひとまずホームを降りて歩道上から往来を眺めていたが、交通量の多さはさすが高知市内の一大ジャンクション。 各方向の電車やバスが次から次へとやって来ては走り去る、大変な賑わいであった。

7. 土佐電:伊野線

Photo 伊野行きが到着。かな書き筆文字「いの」がいい味を出している。600形は都電7000形をモデルに製造されたそうで、どうりで顔が似ているわけだ

時間になってホームへ戻ると、すぐに伊野行きがやって来た。 伊野線の電車は、しばらく市街地の大通り中央を車と仲良く走り、やがて周囲のビルが徐々に低くなって来ると鏡川橋に着いた。 後免から来る電車の多くはここで折り返す。 逆方向の電車到着を待って発車、ここから先は単線区間となるためだ。 鏡川橋を出て90度左へと曲がると、一時的に専用軌道に入り鏡川を鉄橋で渡る。 この専用軌道と併用軌道の切り替わる境目あたりの光景が、個人的にはかなり萌え要素である。 渡り切ると今度は右へと直角にカーブを切って、その先からは狭隘な道路を併用軌道で進んで行く。

Photo 曙町東町電停付近。道路の片側車線を線路が占めており、はりまや橋方面は道路端で待てば良いが、伊野方面は逆車線の路上が乗り場(復路に撮影)

この区間がまた面白い。 何しろ狭い道路なので、その北側半分をほぼ線路が占めてしまっているのだ。 なので、はりまや橋方面へと向かう車は線路上を走らなくてはならないし、その間に対向する電車が来た場合は、逆車線へ出て回避するしかない。 そんな道路をしばらく車と併走して朝倉に着いた。 ここは電車の行き違いが出来る様になっている交換場所でもあり、先着していた電車とすれ違う際に運転士がタブレットの受け渡しをしていた。 そのキャリアには無線機のようなものが装着されていて、それで指令とも連絡をとっているようである。

Photo タブレットキャリア越しの(笑)朝倉電停のようす。線路の間にも乗り場を示す白線の表示が見えるが、ここで折り返す電車がある為である(復路に撮影)

当然ながら交換場所は線路が2つに分岐するわけで、狭い道路に電車が2本並んだ状態では車の通行は困難を極める。 電車から1.5m確保出来れば脇を徐行で抜けられるが、それが不可能な大型車はお行儀良く発車を待つしかない。 もちろん乗降客のいる場合は車の方に停止義務があるから、それ以前の話だ。 交通量が多かったらたちまち大渋滞を引き起こすところだが、朝夕の時間帯等は一体どうなんだろう。

次の朝倉駅前を過ぎると再び道路端の非舗装軌道となり、周囲は段々と緑が迫って来る。 行く手には、高知平野と盆地状になっている伊野の間を隔てる丘陵地帯が控えている。 電車はピークへと向けてゆるい坂道を登って行った。 その頂上は土讃線が鉄橋で道路の上空を斜めに渡って行くあたり。 昔は急勾配を避けるために、道路下を迂回するようにトンネルになっていたという。

Photo 咥内(こうない)停留場付近のピーク地点、立体交差している緑のガードが土讃線だ。灼熱の道路には逃げ水が(復路に撮影)
Photo タブレット交換の様子。ここは停留場ではなく、列車交換の為だけの中山信号所だ。無線機?付きのキャリアは渡しにくそう(復路に撮影)

国道33号の下を潜ってサミットを越えた電車は、田園風景の中を足取りも軽く伊野の街へと向かって下り出す。 伊野の市街地に入っても、軌道は相変わらず道路端っこに非舗装で敷設されている。 街中を、柵も踏切も無い砂利交じりの線路が走っているという状況は、なかなかに珍しい光景だ。 伊野駅前電停で大半の客を降ろせば次はもう終点伊野、残った数人に続いてステップを降りると、古民家風でなかなか凝った造りの待合室の建物が私を出迎えてくれた。

Photo 伊野線の終点、伊野停留場。電車到着時の降車は左手の道路上、右側にある立派な待合室付きのホームは乗車専用となる

ここで私は今電車が走って来た後方へと少し歩いて戻り、斜めに分岐する脇道を覗きに行く。 かつて伊野にあった車庫跡がこの奥手にあり、路面にはそこへと続くレールがまだ埋まっているのである。 車庫跡はなだらかな坂道を少し登った先にあって、そこは今は駐車場になっていた。 しばらくここに屯していた電車たちを想像しながら佇みたいところだが、残念ながらそうノンビリもしていられない。 電停に戻って先ほどの電車に乗り込むと、程なくして折り返し文殊通行きとなって発車した。

Photo かつて存在した伊野車庫へのレールが、本線から切り離されながらも残っている。1999年に廃止された車庫は、その後park&rideの駐車場に転用された
Photo 緩い坂道を、カーブしつつ車道と並走しながらその一段上を上って行くと、最奥部が伊野車庫跡地だ。開設当時は4本の留置線が設けられていたとの事

復路は始発からの乗車で先客がいなかった為、運転席脇の座席でたっぷりと被りつきを堪能した。 発車までの間に散々写真を撮りまくっていたので、そういう人種だという事は既にバレている。 坂道を登る時の力行具合や、タブレット受け渡しの際の運転士同士のやり取りなど、すぐ目の前で見る事が出来るのは大変臨場感があって楽しめた。 はりまや橋に着いたのがちょうど17時、まだまだ明るい夏の日の事とてこの後は桟橋線の方にも乗りたいが、ここから今夜の宿が至近なのでとりあえずチェックインに向かう。 荷物を置いて身軽になり、地元民気分となって夕方の電車でそぞろ歩きをしたいと思うのだ。

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