その途切れたあたりを観察してみると、街路が斜めに多摩川線から分岐して行く様にカーブを描いています。その境には、とても薄っぺらな建物が建っているのが印象的でしたが、その脇を通ってしばらく小路を進むと、中学校の正門真正面へと出てしまいました。ここも、砕石工場の敷地の一部だったのでしょうか。
 さらにこの東方の大沢には中島飛行機の三鷹研究所(現富士重工三鷹製作所)があった事から、この線はそこへも通じていたのではないかという気もします。このあたりは、機会があれば又調べてみたいと思っています。

 帰る道すがら野川のそばを通りかかると、立派なアーチの、しかしサイズは限りなく可愛い跨道橋をくぐりました。目いっぱい自己防衛してる様なゼブラ模様が何故か気に入ってしまった私は、しばらくその場にたたずんで見入ってしまった事を白状しておきます。

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参考資料:
  • 「多摩のあゆみ Vol.97」 たましん地域文化財団 発行
  • 「トワイライトゾ〜ン MANUAL IV」 ネコ・パブリッシング 発行

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