Banner 窓の向こうの海と空

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青い海、白い砂
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ワンマンカー最後尾は特等席
駅名時刻列車
松江07273451D(快速)
益田1029
11011573D
長門市1253
1351973D
小串1458
1509879D
下関1550
15565569M
小倉1609
1641のぞみ26
東京2130

〜 最終日:山陰本線後半 〜

明けて最終日である。とはいえ、山陰本線内の半分近くをまだ乗り残しており、しかも東京まで戻らねばならないという本日の移動距離は大変に長い。 これは体調を万全にし、心してかかる必要がある... という程大げさなものでもないが、途中トイレ無しの長時間乗車もあるので、実際問題として注意を要するのは事実である。

本日の第一走者は快速「アクアライナー」。松江から益田まで160kmあまりを走破する長距離ランナーだ。 幸いなことに「とっとりライナー」と同じく最新式のキハ126系が充てられているので乗り心地はすこぶる良いが、一方で単線区間の交換待ちが多く、評定速度は若干劣るようだ。 昨日は一畑電鉄から見て左側にあった宍道湖に、今日は車窓右手から見送られつつ、快速列車は朝の山陰路を滑るように進んでゆく。

この車両、気動車をあまり意識させないその走りは、出雲市あたりまでの架線の下を行く場合でもさほど違和感は感じない。 しかしこの線区は立派に電化されているにもかかわらず、支線格の伯備線から来る列車ばかりが電車で、山陰本線の方は気動車のままなのが何となく不条理に感じる。 尤も、本線という戸籍上の名目はあるものの、もはや運用上の線区はあちこちで寸断され、今ではいかに陰陽を早く結ぶかという事の方が主眼におかれているのだから無理もないが。

電車、いゃ気動車は西出雲で架線の下を離れ、とたんに車窓は遮るものの無いすっきりとした風景となる。 もっともそれは私が意識してどこまで電化区間が続くかを観察していたせいで、普段ならそんな事には気が付かない筈だ。 人間の目とは良くしたもので、自分の見たい物に対して気持ちが行っている間は、その手前の邪魔な物は無意識のうちに脳の中で消し去っている。 綺麗な風景写真を撮ったつもりだったのが、後で見てみたら醜い電線だらけだったなんて事は良くある経験だろう。

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「ほら、海、海!」ゲームから目が離れる瞬間

島根半島の根元をようやく抜け出し、小田、田儀駅のあたりから本格的に海沿いの線路となって来る。 月曜の朝という事で車内は多少混雑しており、残念ながら私の座っているのは海と反対側の席だ。 しかしそれも又よし、通路を隔てて向こう側の窓を見ていると、列車が右カーブで小さな入江を走る時、カントで車体が傾くと同時に窓一杯が全部海、これぞ山陰本線の醍醐味だ。 さっきからゲームに興じていた向かいの席の子供も、親に声をかけられてじっと海に見入っている。

何駅か過ぎてようやく車内も空いてきた。 海側のボックスがあいたので、そちらに席を移す。 快速アクアライナーは2両編成だが、ワンマン運転なので後部車両は有人駅以外ドアの開閉がない。 降りてゆく人は三々五々、前の車へ移動して行ってしまい、私の乗っている箱は残り数名となった。 それならばと、少々お行儀が悪いが靴を脱いで前の席に足を伸ばさせてもらう。

列車は小さな湊町を発車して岬の付け根をトンネルで抜け、人跡稀な海岸沿いに出てしばらくひた走り、再びトンネルを潜って湾の奥へと向かい、小集落の駅で静かに停車する、この動作を律儀に繰り返している。 私はその景色を見ているだけで何もする事がないが、何もする事がないからと言って退屈しているわけではない。 本日のお仕事はひたすら列車に乗ること。 ただ座ってさえいれば、列車が遥か何百キロという距離を知らず知らずのうちに運んでくれる... こんな愉快な事はない。

湯里(ゆさと)、温泉津(ゆのつ)など、いかにも温泉な駅名が続き、その後「江の川」の広大な河口を鉄橋で渡ると右手には大きな製紙工場、左手からは三江線が寄り添って来て江津(ごうつ)の駅に着く。 ちょっとした街ではあるが、これまで通って来た沿線からするとギャップがあまりにも大きく、突然大都会に出て来たような感覚に陥る。 延々2時間ほど走って来たが、この列車の終着、益田まではまだ後1時間以上ある。

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キハ126系快速「アクアライナー」
(益田にて)

江津から益田にかけての車窓風景は、この線の中でも屈指の区間と言えるかも知れない。 崖の中腹に張り付いている線路は、等高線に沿って忠実にカーブを描いて行く。 それにつれて私は、徐々に西から東へと回転する展望レストランの様に、日本海の景色を座席に座りながらに堪能する事が出来るのだ。

心地よいスピードで過ぎ去ってゆく線路の下にはどこまでも続く白い砂浜、目を水平に転ずれば、そこには波穏やかな日本海が茫洋たる広がりを見せる。 そして、海岸と線路の間には時々思い出したように小さな一軒家が後方へと飛び去って行くが、その瞬間に垣間見える生活の一端が、裏木戸の洗濯物だったり、庭の犬小屋だったり、あるいは開け放たれた窓からチラと覗いた家族の笑顔だったりするのは、旅の車上にあって強く里心を擽られるものだ。

やがて窓の外では踊り狂う草薮が段々とその高さを競い合い、列車を緑の切り通しの中へと沈め込んで行く。 その緑の壁がフッと途切れると、窓の外を小さな入り江が後方へ飛んだ。 人影の無い岩の間の浜辺には青い静かな波が打ち寄せている、その一瞬の景色が目に焼き付いて離れない。 私の気持ちは人知れず席を離れて、いつの間にかその砂浜に立ち尽くし、走り去る列車を見送っている...。 そんな妄想か白日夢かわからないような、でもただ居眠りをしていただけかも知れない無意識の時間を楽しんでいるうち、「まもなく益田に...」とのアナウンスに現実へと引き戻される。

益田駅での乗り継ぎ時間は30分ほど。 一旦待合室に出るが、特にこれといって見る所も無いので再びホームへ。 この先の区間は日本海沿岸を行くJR最長路線、山陰本線の中でも最も人の行き来の細い場所のようだ。 その為か、ここからは単行のキハ120レールバスが担当するが、長門市まで約2時間弱、トイレが無いので準備は入念に済ませた。 乗車時はガラガラで、このまま出発かと思いきや、発車間際にバスでも着いたのか、多数の客が乗り込んで来て意外にも満席、立客も多いちょっとしたラッシュアワーの様相で走り出した。

街中を離れ、海岸線へ出て10分ほど走ると「戸田小浜」。 停車して折戸が開くが、後ろの方では何やらアラームのような電子音が鳴り響いている。 どうやら折戸の開閉エリア内に客が立ってしまった為、安全センサーが感知してドアが開かなかったようだ。 運転士がそこへ行って、乗客へ事情を説明していた。 そんなアクシデントも発生するが、ダイヤはかなり余裕があるようで遅れの生じる気配は一向にない。 日本海に突き出た鈩崎(たたらざき)の付け根をトンネルで潜ると、今朝から走り続けて来た島根に別れを告げ、いよいよ長門国、山口県に突入。

ところで、ロングシートの私の隣には、先ほどから少々気になる男性が腰を掛けている。 彼は私と同じく益田から乗り込んで来たのであるが、景色には目もくれず、しきりに携帯電話をいじっている。 カメラ機材とリュックの装備からは旅行客だと推察されるが、撮り鉄、乗り鉄の類ではないのだろうか。 別段観察していたわけでもないが、ちょうど私の進行方向側すぐ横に座っているので、窓の外の景色を撮ろうと振り返るたびに視界に入って来るのだ。

列車は東萩駅に到着して多数の観光客が列を成して降りて行き、車内は一気に閑散としてしまった。 隣の男性はポケットから切符を取り出して確認しているので見るとも無しに眺めていたら、着駅が「東萩」となっているのがわかった。 しかし周囲を見回しているものの、席を立つ気配がない。 声をかけようかどうしようかと迷っている間に、ドアが閉まって発車。

少し走ると次は「萩」。 駅に近づいて減速、閑散とした草深いホームへとレールバスは滑り込む。 彼は立ち上がって降りる気配だが、切符とホームの駅名板とを見比べて何となく疑問の表情。 停車してドアが開く。 結局ワンマンの運転士の所で何か相談をしたあと人影のないホームへ降りていった男性は、走り出した気動車を憮然とした表情で見送った。

どうやら彼は「東萩」駅を、自分の降りる萩市の中心駅の一つ手前と勘違いしていたようだ。 萩市内の代表駅は事実上「東萩」であって、萩駅の方はどちらかというと市街地を外れた場所にある。 九州の「西鹿児島」などもこれと似た例であったが、新幹線開業と同時に晴れて「鹿児島中央」駅へと改称されたので、あちらでの間違いは減ったのかも知れない。 萩の市街地をぐるりと回り込み、そこからもうあと30分も走ればこの列車の終点、長門市へと到着する。

長門市では乗り継ぎに1時間程あるので、まずはトイレに寄って、その後は待合室でしばし読書。 外は夏の日差しが強いが深閑とした待合室はさほど暑くも無く、地元のおばちゃんと売店員の世間話があたりに響いている。 お昼を過ぎたが例によってあまりお腹がすかないので、とりあえず腹もたせのスナック菓子をそこで買い込み、30分前には次の列車の改札が始まったので車内へと移動する。 今度乗るのはキハ40形式の単行。 形は見慣れた国鉄型なれど、山陰仕様のレモンイエロー塗装が目に眩しい。 走りは重そうだが、やはり乗ってみると何となく安心感がある。

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響灘に浮かぶ壁島
(宇賀本郷付近)

長門市を出てしばらく走ると湯谷湾へ出る。 このあたりから外洋はもう日本海というよりは、響灘になって来る。 列車の向きも西から南へと変わり、そろそろゴールも見えてきた。 小串で山陰本線内最後の乗り換え、乗り継ぎ時間は11分という接続の良さ。 いや、普段の生活でいったら乗り換えで10分以上も待つというのは少々長い時間の筈だが、ここ数日乗って来た旅程を思うに、これは非常に短いと感じてしまう。 既にホーム反対側で待っている車両は同系列のキハ47であるが、ここからは2両編成となって下関まで約40分、充分通勤圏内になるだろう。

福江、安岡あたりまで来るともはや海の向こうには対岸の九州が見えており、海上の船舶も多い。 綾羅木(あやらぎ)ではついに海から離れ、駅はごく普通の住宅地の中にある。 ここまで来るともう田舎ではない、次はもう山陰本線の終点。 上方に架線柱の林立するのが見えてくると、山陽本線の下を潜って上下線の間に割って入り、ひとしきり走って幡生(はたぶ)に停車。 ここでとうとう山陰本線は終わってしまった。 達成感というより、もっと乗っていたかったという未練の気持ちの方が大きい。

幡生で一呼吸おいて、気動車は厳かに終着の下関へと発車。 小さな編成が山陽本線上を間借りして堂々と走る一区間は、遥々山陰ルートを辿って来た私にとって最後の凱旋パレードだ。 高らかに唸るエンジンのその下で、多くの線路が寄り添い、交錯し、そして離れて行き、しかしそれら全てが太い一本の帯となって、本州西端の地へと到達した。 停車したキハから喧騒のホームへと降り立つと、ワンワンと響くアナウンスが耳に容赦なく押し寄せて来る。 ようやく着いた、よく乗った。 それが素直な感想だ。

そこからは山陽本線の電車に乗り継ぎ、関門トンネルを一気に潜って小倉へ。 ここまででようやくこの旅の往路が終了。 復路は小倉から新幹線で、慌しくその日のうちに東京へと舞い戻ることになる。 席に着き、小倉構内で求めたウニ飯弁当をかっ込むと、満腹ですぐに眠気が襲って来た。 シートを倒して、心地よい振動に少し体を預けるとしようか。 三日前にスタートして延々乗車した距離1,300km、乗り継いだ列車実に28本。 500系新幹線のぞみは僅か1本、4時間50分で私を元の場所へと連れ戻すべく、時速300kmで山陽路を疾走して行くのだった。

〜 終わり 〜
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キハ120系レールバス
(益田駅)
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乗り継ぎもそろそろ飽きて来た
(長門市駅)
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発車待ちのひととき
(長門古市駅)
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山陰本線最後の乗り継ぎ
(小串駅)
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花いっぱいのホーム跡
(川棚温泉駅)
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帰路は500系のぞみで一気に
(小倉駅)


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