遠く丘陵地帯の彼方に時々チラと光る水平線を覗かせながら、特急列車は静かに目的地へと向けて走り続けていた。 始発駅を出て地下トンネルを抜けたあたりからしばらくは雑然としたビル街や工場地帯の上を高架で駆け抜けたが、いつしか知らないうちに線路は地上に降り、周囲の景色は郊外へと移り変わり、車窓は次第に緑の色が濃くなっていった。 快適に空調の効いた車内は閉め切ってあるために外の気温はわからないが、海側の窓から斜めに差し込む午後の穏やかな陽光は真紅のリクライニングシートにはね返り、白い天井にほの赤い反射の列を作っている。 それは、この号車の最前列から私のいる後方の席までほぼズラリと続いており、乗客の人数が少ないのをそのままに表わしていた。
この線には毎時定刻に有料座席指定の快速特急が出ているが、今乗っている電車はそれと違う「りょうそう」と名の付いた臨時特急である。 車両も他の最新型のものと異なり、古参の特急車を更新して使っている。 年に数える程しか運行しないこの電車をわざわざ選んで乗りに来ている私は、よほどの物好きだろうか。 いや、これにはわけがあるのだ。 それは、私が小さい頃この電車に憧れていたからだ。
当時買ってもらった電車絵本の冒頭は、その頃活躍していた国内のロマンスカーとか海外の国際特急などの華々しい流線型車両によって飾られていた。 その中の一つとして、ページの片隅に描かれていたこの電車が私のお気に入りとなった。 幼い私にはどこの電車かも良く分からなかった。 ひらがなで「りょうそう」と書かれている列車名の意味も長い間理解する事は出来なかった。 何しろ「りょうそう」が「両総」という漢字の読みであり、それは「上総」と「下総」を表わすという事を知ったのはそれから十数年経た後の事だ。
その後大きくなるにつれ私にとって鉄道は「好き」の対象から単なる移動の為の交通手段となり、あの「カッコいい」電車も記憶の彼方へと忘れ去られてしまった。 それが、ある日たまたま入った書店に平積みされていた鉄道雑誌の表紙という形で、懐かしい再会を果たしたというわけだ。 普段鉄道誌などには縁のない私だが、その日はこの本を買っていそいそと家に帰った。 読んでみると表紙に大きく取り上げられているわりに中の記事は数ページ程度だったが、それでこの電車が今も廃車されずに生き残り、時々臨時列車として運行が行なわれている事を知った。 これは誰が考えたって乗りに行くしかないだろう。
そんなわけで、今日はわざわざ都心の始発駅まで行き、そこからこの列車に乗る事にした。 そして地下ホームの薄暗い一番先端で入線を待ち、屋根上にずらりと並ぶエアコンの音をゴーゴーとトンネルに響かせながら回送されてやって来た特急電車と再会した。 再会と言ったって、絵本で見た以外は父親が撮って来てくれたちょっとボケた写真が一枚ある位で、実際の車両を見るのはこれが初めてだ。 正直、今改めて眺めるとそれはもう時代遅れであり、洗練されたデザインとは言い難い。 でもどことなく味があり、最近の冷たい感じの電車と比べて温かみを帯びた丸い顔をしている所に好感が持てるのだ。 私は期待に胸膨らませつつ初めて乗る電車のドアを潜り、室内に入った。 座席はリニューアルされたもののようだったが、座ってみると昔の車両のせいか足元は少々窮屈に思えた。 でもしばらく乗っているうちに、そんな事も自然と意識しなくなっていた。
電車は走り続けている。 相変わらずシンとした状態の車内、床下からくぐもった音と共に線路継ぎ目の振動が規則正しく伝わって来る。 私の指定された席は2両目にあったが、トイレへ立ったついでにちょっと前の車両を覗いてみようと思った。 この電車は普通車としても使われる事があるようで、ドア付近の一部はロングシートになっている。 そこは特急運用時は自由席扱いだが、もとより客が少ないので誰も座る人はいない。 車両間の連結部分も特にドアが無く通勤電車のように広い間口、だがその向こうのトイレの区画が通路を斜めに曲げるように出っ張っているのが少々奇異に感じられた。 入ってみるとどうもこの洗面所のブロックは後から設置されたもののようで、他と造りが違い、中も綺麗で今風だ。
トイレを済ませた後、左右のシートにある取っ手を交互に掴みながら、通路をよろけつつ運転室の後ろまで歩いて行く。 先頭車も同じように乗っている人はまばらだったが、グループ客が何組か談笑しているので室内は少し活気があった。 運転室の被りつきには小さな男の子と母親の先客がいたので、私はその背後に立ち、ドア脇の手摺りにつかまりながら遠慮しつつ前方の景色を眺めていた。 最近の車両のように前面展望が考慮されているわけではないが、運転室との間には一応窓が開いていて、電車の走って行く様を楽しむ事が出来るのだ。 そしてその間仕切り上部には液晶のパネルがあり、沿線の案内や運行情報を流していた。
「おしっこ!」小さな子供が駆け出していった。「一人で大丈夫?」「うん!」 子供を目で見送りながら振り返った母親は、そこに立っている私に気がついた。 「あらごめんなさい、子供が占領してしまって」と脇へ退く。 「あ、いや、いいんですよ」ちょっと照れくさい状況になって困ったが、しばらく二人でそのまま立っているとやがて子供が戻って来た。 「お母さん、あのね、あっちでお財布拾ったから、車掌さんが歩いてたので渡して来た。」 良く躾けられているなと思った。
ところが、すぐに車内アナウンスで私の名前が呼ばれる。 「お客様にお知らせ致します。○○様、○○様、いらっしゃいましたら車掌室までお出で下さい。」 状況が頭の中を駆け巡り、とっさにズボンのポケットを探ると… ない! 先ほどトイレで手を洗った時に落としたのか。 幸い財布には身分証を入れていたから、それですぐ分かって呼び出してくれたのだ。
他の乗客に顔を見られているような気がして恥ずかしかったが、3両編成なので車掌室まで行くのはすぐだった。 歩いて来た私に気づき、窓の向こうの車掌は手元の身分証らしき紙片を見つめている。 開けてくれた乗務員ドアの前で「すみません…」と言うと、「やぁ、小さなお子さんが拾ってくれましてね」と財布に収めて渡してくれた。
「確認はいいんですか?」「だって写真そのままじゃないですか、わかりますよ。」身分証の写真が新しくて良かった。 車掌室の入口上部にも画面が設置されていたが、それは液晶でなく古びたブラウン管のテレビであった。 そう言えばあの本に、車内でテレビを見る事が出来る最新型電車、とか書いてあったような気がする。 今は使われていない様子だ。
「ぼく!ありがとう。これ、助かったよ」再び先頭車まで行き、財布をかざして声をかけた。 「あー、お兄さんのお財布だったのか」気を使ってお兄さんなんて呼んでくれるのが心憎いが、悪い気もしないのは私が単純な証拠だろうか。 それからしばらく三人並んでたわいも無い話をしながら、前方の景色を見つめていた。 線路はいつの間にか単線になっていて山岳地帯にかかり、時おり短いトンネルを潜ったり鉄橋で渓流を渡ったりした。
やがて、終着の案内を告げるアナウンスが流れ出したので、二人とお別れして席に戻り、降りる準備をした。 そのうちにゴーゴーと大分長いトンネルをひとしきり走り、それを抜けるとポッと山間の人里に出て、砂利敷きの広いホームが窓の下にゆっくりと滑り込んで来た。 ドアを出て列車の最後尾まで行き、乗車記念に流線型の車体をワンショット。 それからホームを改札口の方へ歩いて行くと、あの親子が電車の前で写真を撮り合っていた。 私がシャッターを押してあげると言いカメラを借りて構えたら、二人並んで画面の中でピースサイン。 柔らかな電車の顔をバックに、何だか微笑ましい光景の写真になった。
「電車が好きなんだね」カメラを渡しながら聞くと「うん!この電車、りゅうせんけいっていうかたちなんだ。」と意外な言葉が返って来て驚いた。 「へぇー、良く知ってるね」と言うと、彼は背負っていた大きなリュックの中をゴソゴソして、「この本に書いてあるよ」と差し出した。
「あ、」っと思った。 それは見覚えのある本だった。 平静を装って「どれどれ」と手にとってみる。 さすがに私が読んでいた頃のよりは版が新しいようだが、頁の構成は殆ど同じだ。 「この子ったら、こんな古い本が気に入っちゃって」 「これをどこで?」 「父が古本屋さんで見つけて来たんです。」 「これ、おじいちゃんにもらった本だよ。」
「あの、よろしかったら写真お撮りしましょうか」母親が言った。 「あ、えーと、せっかくだからこの本持って写してもらってもいいですか?」 「ええ…、構いませんけど…? いいよね」「うん、おじちゃんに貸してあげる」 やっぱり「おじちゃん」が妥当な線のようだが、母親に私のカメラを渡して一枚撮ってもらった。 「何だか嬉しそうですね」電車の前でいい大人がひとり絵本を胸に掲げて照れ笑いという、良く分からないスナップの出来上がりだ。 その後ベンチで休憩していた運転士が撮ってくれるというので、さらに一枚、三人並んだ写真もメモリーに記録された。
親子はそのまま折り返しの電車で都心へと戻って行った。 他の乗客の大半はタクシーや送迎の車で近くにある温泉街へと向かったようだ。 私はここから接続バスで海岸の街まで行く。 将来はそこまで線路の伸びる計画もあるそうだが、今は子会社の路線バスが繋いで走っている区間だ。 発車待ちのバスの座席に身を沈め、撮ったばかりの画像をモニタで眺めていると、懐かしい電車に、そして父に買ってもらった絵本に再会出来た喜びがじわじわと湧いて来た。 今度実家に帰ったらこの写真を見せてやる事にしよう。 でも覚えてないだろうな、きっと父は。