ウェブ  タイプA 
第五回:東北 2022/04 Dummy

大正十四年の鉄道地図を探る

全国鉄道地図 に一致する日本語のページ 約 2,236 件中 1 - 5 件目 (0.679 秒)

「全國鉄道地圖」、開始から14年目に突入しました(笑)  今回は東北エリアを中心に見てみる事にします。 全体を俯瞰したい場合は、全体図 の方をご覧いただければと思います。 なお凡例は以下の通り、色別で言うと概ね赤が省線系、青色が会社線系統となっています。

Legend

https://hkuma.com/rail/railmap05.html#01

青森

主要幹線たる東北本線、奥羽本線は既に明治期に青森まで到達しています。 ほか省線系で見ると、八戸線の八戸(現 本八戸)から湊駅へと貨物支線が分岐、当時は旅客扱いも行なっていたようです。 黒石線も全通していますが、終点が黒石でなく黒岩駅となっているのは誤記でしょうか? 五能線は川部から陸奥森田駅までですが、この頃は途中の五所川原駅までが私鉄の陸奥鉄道です。 また陸奥森田~鯵ヶ沢の未成線記号で記載されている区間は、この地図の発行された大正14年に開通しています。 十和田観光電鉄(当時は十和田鉄道)も終点三本木駅(後の十和田市駅)まで開通済、始発の古間木(ふるまき)駅は現在の三沢駅ですね。

https://hkuma.com/rail/railmap05.html#02

秋田

秋田県内では、能代線(現 五能線)が機織(現 東能代)から能代まで、さらにそこから八森駅(開業時は椿駅)まで建設中で、この翌年延伸されます。 男鹿線は大正5年に全通していますが、当時は船川線で終点も船川(現 男鹿)駅と命名されていました。 田沢湖線も当時は生保内線で、生保内(現 田沢湖)駅まで軽便線として到達していました。 北上線はこの地図の発行前年に横黒線として全通していますが、修正が間に合わなかったのか、まだ西横黒線、東横黒線と記載。 私鉄は小坂鉄道、秋田鉄道、五城目軌道、横荘鉄道など多くの会社線がありました。 そのうち秋田鉄道は国鉄に引き継がれて花輪線となり、横荘鉄道の西側部分も、国鉄矢島線→由利高原鉄道と引き継がれて現在も運行を続けていますね。 後に秋田内陸線となる阿仁合線、角館線などは未着工です。

https://hkuma.com/rail/railmap05.html#03

岩手

岩手県内では、八戸線がまだ種市駅が終点、未成線で記載されている久慈まで開通するのは昭和になってからです。 花輪線は途中の平館駅まで、北上線も橋場駅までですが、この頃は橋場線と呼称されていました。 山田線もまだ盛岡市街地から北上山地へと分け入る上米内駅までですが、山越えして太平洋岸の宮古から南下し釜石までの全通は、昭和14年まで待たねばなりません。 大船渡線は一ノ関~摺沢間がこの年に開通ですが、まだ記載されていません。 花巻から地図上方に延びる大沢までの軌道マークは花巻電鉄鉛線ですが、この頃は盛岡電気工業という会社の運営です。 逆に花巻から南へ長く延びている岩手鉄道は、その先で接続している釜石鉱山鉄道と共に軌間762mmで建設された軽便鉄道。 後に改軌国有化されて釜石線となりますが、この当時は仙人峠~大橋間に線路がなく、旅客は徒歩での山越えを強いられていました。

https://hkuma.com/rail/railmap05.html#04



スクロールマップ(全表示

宮城

宮城県で特筆すべきは東北本線の仙台~小牛田間で、当時は利府駅を経由するルートを通っていました。 そのため岩切~塩釜間は塩釜線と呼ばれて塩釜が終点でしたが、その後に急勾配対策としてこちらを通る海線ルート(岩切~品井沼)が建設され、東北本線になったという経緯。 東西方向の路線は昭和に入ってからの建設が多く、気仙沼線、仙山線などはまだ地図上に現れていません。 私鉄では栗原鉄道が岩ケ崎まで開通済ですが、この時代は非電化の軽便鉄道。 仙北鉄道は登米・築館線全通、仙台軌道は途中の吉岡まで、仙南温泉軌道は遠刈田まで全通、仙台隣の長町からは秋保電軌の電車線も見えますね。 仙石線の前身である宮城電鉄も大正14年に仙台~西塩釜間を開業していますが、地図にはまだ記載されていません。

https://hkuma.com/rail/railmap05.html#05

山形

県内の主要幹線は出揃っていますが、米坂線は大正15年に米坂~今泉間開通の為、まだ記載がありません。 長井線(現 山形鉄道フラワー長井線)は大正12年に開通済、左沢線も大正11年に全通しています。 仙山線は前述しましたが、山形側も建設は昭和。 私鉄はこの頃は数少ないですが、神町からの谷地軌道と、糠ノ目から延びる高畠鉄道が記載されています。 谷地軌道は県内初の私鉄で、銅山からの輸送などの為に敷設され大正5年に開通しましたが、昭和10年に廃止。 高畠鉄道は大正13年に糠ノ目(現 高畠)~二井宿駅間で開通していますが、後に山形交通高畠線となり、昭和49年に全線廃止となっています。 日本海側を見てみると、当初は陸羽西線(当時は坂田線)の延長として建設された羽越本線が開通済、当時の呼称は羽越線です。 酒田から海岸方向へ延びている支線は現在の(通称)酒田港線です。 地図が折り目で擦り切れて判読困難ですが、終点の駅名は最上川(現 酒田港)駅の筈です。

https://hkuma.com/rail/railmap05.html#06

福島

福島県内は東北本線、奥羽本線を軸として、常磐線、磐越東・西線などのネットワークが既に形成されています。 但し、会津若松から分岐して新潟県の小出へ向かう只見線や、その西若松から南下する会津線(現 会津鉄道)は昭和に入ってからの開業となります。 私鉄では福島近郊の信達軌道が軽便鉄道として開通していますが、後に改軌電化して福島電鉄となります(廃止時は福島交通飯坂東線)。 福島駅から出ている私鉄は現在の福島交通飯坂線ですが、終点の飯坂は現在の花水坂駅で、その先の飯坂温泉駅まで延びたのは昭和2年の事です。 白河から出ている白棚鉄道は後の国鉄白棚線(現在はJRバス運行)、川桁から北上する耶摩軌道は有名な沼尻鉄道ですね。 常磐線のずっと南の方で平近辺にいくつか私鉄路線が見られますが、これら江名鉄道(磐城海岸軌道)勿来軌道などは、何れも昭和年代に廃止されました。

https://hkuma.com/rail/railmap05.html#07