インクライン跡の斜面は遊歩道になっているため、そのまま自転車で下るのは少々気がひけたので坂道をぐるっと迂回して段丘を1つ下へ降りた。 多摩川左岸の中段にあるこの小さなエリア、インクラインの走っていた当時は何もなかったようだが今は静かな住宅地となっている。
斜面を下って来たインクライン跡が、閑静な住宅地の中を通過している。 一見するとただの小公園のようにも見える。 ここでは奥多摩街道等と違って直交する道路とは同一面になっており、平面交差する形である。
ここから下部も宮前自然公園として整備されているが、行く手がどん詰まりなので少々荒れ気味だ。 あまり歩く人もいないようで若干雑草が多いが、その分雰囲気は良く私好みではある。
再び自転車を置き、その行き止まりまで徒歩で降りて行ってみた。 歩く人のいない分、廃線跡としてはかえって当時の姿を良くとどめている。 枯草をガサガサと踏みしめながら、緩やかな斜面を独りで進むのは楽しい。
突き当りは崖っぷちで、危険防止のためフェンスで封鎖されている。 その金網越しに下を覗くと、多摩川を背にして大きなコンクリートのブロックがそこにどっしりと座っていた。 さて、左岸側の探索はここまでである。
自転車に戻り、住宅地の中の道路を奥まで進んでみる。 この先はインクラインとは直接関係ないが、ちょっとポタ道開拓をしようとの魂胆からである。 道はここで行き止まりかと思ったが、自転車なら抜けられるようだ。
細道を進むと、人知れずこんな看板のある民家が左手に…。 あとで調べたら、ガレージを改造したピザ屋さんであった。 テーブル席は無さそうなので、テイクアウト専門なのかも知れない。
道は頭のつかえそうな高さで圏央道の下を潜った後、何度かターンをして勾配をゆるめながら下って行く。 その向こうは青梅市のスポーツ広場が広がっているが、登り返すのが面倒なのでここで引き返した。
一旦引き返して多摩川の向こう岸へと向かう。 渡る橋は「友田水管橋」と呼ばれる、水道管を通す為のものだ。 砂利線も東京市の水道がらみなので何かの縁を感じないでもない。 一応自転車も通行可となっているが、しかしこの階段、一般の買物自転車の人には少々難儀かも知れない。
川を渡り、右岸にあるケアセンターの大きな建物の西側から河川敷へとアタックする。 調剤薬局の脇より獣道が続いており、圏央道の橋脚下を絡みながら進む。 最初のうちは良かったが河原直前の草薮がなかなかに深く、下半身は衣服にくっつく植物の種だらけになった。
ようやく河畔に出て、対岸の崖を降りて来ているインクライン跡を正面から観察する。 雑草が生い茂っていて少々見づらいが、斜面には橋台のコンクリートや玉石積みも見えている。 あの高さから降りて来るとすれば、ある程度勾配を残したまま橋で渡河していたのだろうか。
カメラでもう少しズームして覗いてみた。 本来の線路敷の直線上からは少し脇に離れた位置にも石積みが見えるが、土留めの擁壁だろうか。 あるいは、後から住宅地の補強用に追加されたものかも知れない。
少し上流のトロッコ軌道が河原を走っていたあたりを見に行く。 周囲は人影もなく、かなりの荒涼感が漂っている。 ここがマンション群に囲まれた青梅市内の多摩川河川敷だとは、ちょっと思えない景色だ。
軌道跡など残っていないのは明らかだが、少し藪の中に踏み込んでみた。 こんな身近な場所でなかなかの冒険、河川敷を侮ってはいけない。 歩きながら何となく既視感のある光景だと思ったが、入間川の安比奈駅跡の雰囲気に似ているようだ。
ようやく足元の開けた場所に出て一息つく。 彼方の建物群は、多摩川を挟んで左岸の河岸段丘に建つ大きなマンションで、その下には青梅市の市民グランドが広がる。 河原には、奇しくもトロッコ軌道の走っていたと思われる方向に、人の踏み跡が帯となって細く長く延びていた。
名称 | 延長 | 開業 | 用途 | |
---|---|---|---|---|
小作駅 | 東京市専用線 | 0.6km | 大正10年 (廃止:昭和40年頃?) | 多摩湖建設、道路改修用 |
参考:
- 「トワイライトゾ~ン MANUAL 4」ネコ・パブリッシング
- 「青梅線玉手箱」青梅市郷土博物館