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2002/02
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小河内ダム

〜 1.目指せ、小河内 〜

 ここんとこ普段平地ばっかり走っているので、年明けからしばらくの間、少し気合を入れて足腰の勘を取り戻すようにして来た。やり方はこうだ。まず最初の日曜日は自宅から青梅街道を山の方へと登り、途中の御岳まで行って休憩して帰って来る。次の休日、今度は奥多摩駅まで距離を伸ばし、そこでUターンして帰って来る。その次は、小河内ダムのダムサイトまで... と来て、4週目(実際は毎週連続で走ったわけではないが)にやっと奥多摩湖の最奥部、目的地の川野まで到達する、という段取り。情けない話だが、今や私の走りの実態はそんなもんで、これでもかなりの重労働。しかも毎回帰路には、御岳渓谷での一人鍋を催すという「餌」まで目の前にぶら下げて、ともすれば萎えそうになる気持ちをもたせつつ任務を全うしたという体たらくなのだ。

 さてそんなにまでして行きたかったターゲットというのは、既に丸田氏他の写真でも有名な小河内観光開発の遺産、奥多摩湖のロープウェイ跡。実際に私がこれを知ったのはもっと以前で、この地域の過去の地形図を閲覧していてたまたま湖上に一本線が引かれている、なんだこりゃ、って良く見るとそれは単なる線でなく、索道の記号だったというわけ。でもって色々と資料をあたってるうちに、昔ここに何とロープウェイが運行されていた、という事実を知る、とまぁこんな具合だった。

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左:ロープウェイ跡/右:ドラム缶橋
国土地理院発行1/5万地形図(五日市S.47編)

 奥多摩(昔の駅名は氷川でした)駅から小河内ダム前の水根までの専用線跡は知っていたが、まさかそのさらに奥のこんな所に、こんな鉄物件が潜んでいたとはと驚いた。しかもその場所は、まだ若くて元気な頃しょっちゅう(という程でもないか)自転車で通っていた「奥多摩有料道路」(今は無料になって「奥多摩周遊道路」)のすぐ脇なのだ。何故に気がつかなかったのか、少々自分に対して腹立たしい気持ちもなくは無いが、まぁその頃は「目覚め」てなかったので無理もないかも知れない。

 ちなみにロープウェイは「索道」と言って、法律上は鉄道事業法の規制を受ける立派な鉄道の仲間である。ロープウェイの様な箱型搬器(つまりお客さんの乗るゴンドラですね)を持った物を普通索道、外部に解放する椅子式搬器のそれを特殊索道と言うそうだ。スキー場のリフトなんかがこれ、でもってこれも鉄道の仲間なんだから意外なものだ。あそうそう、昔都内で走ってたトロリーバスなんかも「無軌条電車」といって、自動車でなくむしろ電車の仲間である。

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峰谷橋

 という事で一通りお約束のうん蓄(実は本やネットからの受け売り)を傾けたところで、現地の記述に入る。前述の通り、小河内ダムから湖畔の国道をずっと走り、川野へと向っている所だ。車は時々数台単位で連なって追い越して行くが、それ以外はおおむね静かな R411。留浦への道を右に分けて峰谷橋を渡り、トンネルを潜った所で少々休憩をする。ところが、人けの無いお土産屋の前に佇んでいると、何やら下の湖面の方からボソボソと人の声が...。少々寒気立ちつつ手摺から身を乗り出して覗き込むと、湖の上に人が立っている!

 いゃ、その足元にはちゃんと橋があるんですがね。そう、ここ麦山は奥多摩湖名物「ドラム缶橋」のある所。初老の夫婦らしきハイカーが、言葉を交わしながら対岸へと渡って行く所でした。地図で見るとこちらにも湖をスっと切り取る斜めの線が一本走っていて、件の索道と見間違いやすい。でも対岸に渡る上で、登山者にとってはこっちの方がずっと実用的な物である事は、紛れも無い事実だろう(なんたってタダだし)。ちなみにこの橋、現在は錆び防止のために FRP製の浮きを使っており正しくはドラム缶ではないのだが、もはやドラム缶橋で通っちゃってるので、今から愛称(ひょっとして正式名称?)が変わる事はおそらく無いだろうと思われる。

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ドラム缶橋


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