相模の川風
相模線:西寒川支線 2000/06

『前と同じアナウンスが、ここでまたくどいほど繰り返された上、寒川駅に着くと、車掌がわざわざまわってきて、降りずにいた私と、もう一人の女性とに、西寒川ですか? と念を押していった。 寒川駅を発車すると、列車は一日に四回しか使わないレールをいたわるかのように、ゆるゆると西へカーブを切って、田んぼのなかへと出て行った。』
堀 淳一著:地図から旅へ(講談社)より引用

 西寒川支線が廃止される前の相模線車中では、おそらくこの様な光景が毎日繰り返されていた事だろう。ご存知の様にこの支線は、そもそも相模川から採取された砂利運搬用の貨物線として、相模鉄道(現:JR相模線)により敷設された。
 昭和19年には、この地に出来た航空機工場:相模海軍工廠への工員輸送のために旅客化されたが、その後河川からの砂利採取が禁止され、海軍工廠は日東タイヤ(現:日東化工)をはじめとする工業団地となったが通勤に利用する人も少なく、国鉄時代末期の昭和59年に廃止された。

5万図【藤沢】寒川付近(昭和52年頃)
Map
国土地理院発行5万分の1地形図


西寒川支線をめぐる路線の変遷
  • 昭和04(1929)年頃:
    相模鉄道寒川駅から、四之宮及び川寒川までの貨物支線が引かれている。川寒川への貨物側線は昭和6年に廃止。

  • 昭和20(1945)年頃:
    国鉄となった後の姿。支線の途中には西寒川駅が出来た。海軍工廠は、元々この地にあった「昭和産業」を国が買い上げて軍需工場としたもの。

  • 昭和32(1957)年頃:
    戦後、海軍工廠は日東タイヤの工場となったが、この頃西寒川支線の方は旅客営業をしていない。日東タイヤの構内へも引込線が入っている。

  • 昭和42(1967)年頃:
    再び旅客営業が開始され、西寒川駅が復活。西寒川〜四之宮の区間、及び日東タイヤ構内への引込線は廃止。

※以下は、各年代に編集された地図を参考に作図したものです。
S.04 S.20 S.32 S.42


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 この日は代休を利用してのウィークディの取材。さすがに自転車に跨る気にはなれず、ここは仁義を通して橋本から相模線に乗り、はるばる寒川駅までやって来た。 Button

参考:

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