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成田鉄道時代
国土地理院発行1/5万地形図
「成田」昭和9年
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 ■東成田〜三里塚 

ここまででやっと市街地を離れ、これから山中へと分け入って行く。と言っても北総の山は大した事ないので、森と田畑を縫って進むと表現した方が適当だろうか。空港へと向かう車がビュンビュン通過する東関道の下をトンネルでくぐると(写真16.)、両側を山に囲まれてゆるくカーブした線路跡の道路が延びている(写真17.)。この区間、車は殆ど来ないのにやけに立派な道路が続く。景色は良いが廃線探索としては跡らしき跡もなく、単調な行軍である。やがて右手へ分岐して(写真18.)京成本線の上を通過する(写真19.)と成田空港の北端へと近づき、上空を行く航空機がいよいよ大きく迫り出す。

法華塚の駅は畳店の裏手あたりだったようだが、入って行くと私有地となってしまい探索は出来なかった(写真20.)。そこから先は高原状の台地となり、県道裏手の線路跡は現在一面の耕作地(写真21.)。どこまでも真っ直ぐと続く道路に沿って、小さな汽車は地平線の三里塚へと向かってひた走った事だろう。途中から線路跡は細道となって徐々に県道を離れ、成田空港の滑走路の方へと向かって行く。

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16.東関道をくぐる
上の高速道と比較して、下のこの道はひっそりと車も少ない。走るのは楽だが、少々退屈な時間が続く。
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17.だんだん山中の雰囲気に
現役当時は結構緑の美しい区間だったに違いない。山中に汽笛のこだまが聞こえて来そうだ。
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18.右手へ分岐
右手へ分岐して登っているのが線路跡。この先で京成本線を越えるためだが、当時は京成なんて走ってなかったので、もっとゆるやかだったかも。
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19.京成本線を越えて
真下を複線の京成本線が貫く。しばらく待っていると、ライトをこうこうと照らしながらスカイライナーが高速で通過して行った。(※画面奥が成田駅方面)
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20.法華塚はこのあたり?
地図上の位置では、このあたりかと思われる。道路向こう側の家並みの奥あたりだろうか。(※画面右手が成田駅方面)
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21.どこまでも一面の畑
県道の裏手に線路があったはずだが、それらしき農道も見あたらず、農地改良により路盤は失われたものと思われる。

その先で道は、木々に囲まれたなかなか良い感じのプロムナードとなる(写真22.)。行く手の左右からも樹木が覆い被さって来ており、遠くから見るとまるでトンネルのようだ。さらに進むと段々と道は細くなり、ついに車の行き違いも出来ないような幅となって行き止まってしまう。しかたなく大きめの十字路まで引き返し、県道の方へと向かうと、ちょうど三里塚小学校の正門前に出た(写真23.)。そのまま県道を進みかけたが「いゃ待てよ」と地図を広げてみると、何とさっき曲がって来た十字路のあたりが三里塚駅前だったらしい。

あわててそこまで戻ってみると、付近は現在住宅地であまり駅前の気配は無い(写真24.)。すぐ裏手にはもう空港の敷地が迫っており、ゲートでは常にガードマンが作業車輌の出入りを監視していて少々物々しい。遠くから轟いて来た離陸機のジェットエンジン音がすぐ目の前を通過して行くが、高いシェルターに遮蔽されてその姿は全く見えなかった。やがて遠のいて行った音が消え入りそうな程になって初めて、彼方の林の上にポっと旅客機がその巨大な後ろ姿を現した。

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22.いい感じの小径
やっと、いわゆる「廃線跡」の空気を醸し出す道が。だがそれも長くは続かず、すぐに住宅地に吸い込まれ、路地裏の様相を呈してくる。
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23.三里塚小学校の門柱
県営鉄道当時からここにある三里塚小学校。その門柱はさすが煉瓦作りの歴史ある佇まいだ。
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24.三里塚駅前?
「駅前」という感じでは全く無いが、県道からここへ至る通りは幅が広い。駅跡らしきなごりは何も見付けられず。(※画面左手が成田駅方面)

三里塚から先、廃線跡は成田空港の敷地の中へと入って行く。自転車では向こう側へ回り込むのも結構しんどいので、今回はここでスイッチバックして八街線の方へと進んでみる事にする。だが八街線もなかなか侮りがたく、県道を越えてしばらくは道路となっているが、その先右カーブを描き出すあたりで、やおら道は行き止まりとなってしまうのだった。

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