~ 2日目 ~
篠ノ井線
枕元のアラーム音で2日目がスタートする。 と言っても、比較的寝起きの良い私はセットしておいた時刻の1時間程前に目が覚めてしまい、布団の中で時計の鳴るのを待っている事が多い。 今朝もそんな風で何だかその分を損してしまったような気もするが、起きるまでのヌクヌクとした時間が気持ち良い事も確かだ。 ベッドから起き出してカーテンを引くと、松本駅構内の向こうに雪を頂いた信濃の山々が見える。 今日は天気になりそうだ。
買っておいたパンとコーヒーで軽く朝食を済ませ、宿をチェックアウトして駅へと向かう。 例によって駅直近のホテルなので、白い息を吐きながら横断歩道を渡ればもう駅前広場が見えて来る。 今日の予定はまず篠ノ井線で長野までの移動となるが、その後は長野電鉄、しなの鉄道、上田電鉄とJR以外の鉄道を乗り継いで行くので18きっぷは使わない事にした。 とりあえず券売機で切符を購入、いつもはSuicaで済ませてしまうので、思えばこうして金額を確認しながらJRの切符を買うのは久し振りかも知れない。
宿の窓から
朝日の差し始めたホームでしばらく待っていると、私の乗る長野行普通電車「みすず」が入線して来た。 手動のドアを開いて車内に入ると、飯田線を始発としている列車なので既にボックス席はあらかた埋まっている。 ドア脇のロングシートへ斜めに腰掛け、発車してしばらくはボーっと後ろの窓の景色を見るともなく眺めていた。 松本の市街地を抜けて最初のうちは冬枯れの野山だったが、標高が上がるにつれ徐々に周囲は雪が目立つようになって来た。
いくつか駅を過ぎてウツラウツラと朝寝の余韻に浸っていると、耳に聞こえて来る音から長いトンネルを抜けた気配がして目を開く。 窓の外は一面の銀世界である。 そのうち右手下に善光寺平の眺望が開けて来て、列車はゆっくりと姨捨のスイッチバックに進入した。 ここは以前、夏に来た事があるが、さすが日本三大車窓と言われるだけあって冬の眺めもまた絶景である。
姨捨駅
崖側のホームには長野から登って来たハイブリッドのリゾート列車が停車していて、観光客が三々五々ホームに出て写真を撮っている。 私も少し出てみようかと考えているうち、「みすず」はドアが閉まってすぐにバックを始めた。 こちらの列車は後から来ても先に出発となるようだ。 次のスイッチバック桑ノ原信号場でも、対向列車を待たせ引上線に入らずにそのまま通過、勾配を駆け下り盆地の底へ降り付いてからは、稲荷山、篠ノ井と停車して行く。
右手には長野新幹線の高架が寄り添って来てもうすぐ長野駅だが、乗って来る人は然程多くなく朝の通勤時間帯はもう過ぎている頃合いなのだろう。 その後も軽快に飛ばして定時に長野駅ホームへと滑り込む。 電車を降り改札外に出てトイレを探していたら、何故か東口の方へと出てしまった。 こちら側は初めて来たが、何だか駅前の作りは新しいが全体に閑散としている。 それは全国の新幹線口で共通の事なのかも知れないが。
長野電鉄
トイレを済ませて善光寺口へと戻り、階段を降りて地下の長野電鉄駅へ向かう。 長電も長野線は何度か乗っているが、少し暗くて手狭な感じの地下ホームはどことなく昔の京成上野駅のような雰囲気が漂っている。 しかし入って来る電車はどれも地方私鉄としては立派で、目の前で私が乗るのを待っているのは元東急のステンレス車8500系だ。 他にも元小田急のHiSEがあったりするが、流麗な湘南顔のオリジナル特急車が姿を消しつつあるのは残念な気もする。
発車して3駅目の「善光寺下」で下車。 薄暗い地下ホームは京成なら差し詰め「博動」か? でも客は少ないがこの駅はちゃんと生きていて、地上へ出ればそこから善光寺まで徒歩10分程で行ける。 そう、今日は牛に引かれてならぬ長電に乗って善光寺参りなのだ。 と、歩き出したはいいが、狭い路肩に雪が凍りついていて通り過ぎる車を回避するのに足元がおぼつかない。 ヒヤヒヤしながら参道に途中から横入りする形で、立派な山門の前までやって来た。 さすがの大スケールだ。
これまで長野へは何度も来ているが、善光寺を訪れたのはこれが初めて。 しっかりとお祈りしてお参りを済ませた後、次の電車までまだ間があるので今度は参道をそのまま徒歩で下って長野駅へと戻る事にした。 午前中の早い時間なので両脇の店は開いたばかり。 徐々に気温も上がって来たようで、雪解けで濡れた石畳が斜め前方に来た太陽を反射してキラキラと眩しい。 時間も11時に近くなり、これからお参りという参拝客とも多くすれ違う。 だらだらと30分程かけてゆっくりと歩き、長野駅前でお土産を物色し、その後そば屋に入って早めのお昼にした。 もりそば天丼というのを頂いて、大変美味しかった。
乗車予定の時刻となり再び長野電鉄の地下駅へ降りると、ホームでは NEXが発車を待っている。 だが私が乗るのはそのお隣の元日比谷線マッコウクジラだ。 次のターゲットは廃止間近の屋代線なので、この電車で乗換駅の須坂まで行く。 電車は発車すると地下駅に2つ停車、3つ目が先程の善光寺下駅でそこを過ぎると地上へと顔を出す。 新幹線の高架下を潜り、信越本線をオーバークロスすると朝陽駅で、長野からここまでで複線区間が終わりとなった。
その先、千曲川を渡る村山橋は2009年に架け替えられたが、新橋も道路と鉄道が併用する珍しい形態を引き継いでいる。 やがて右手から屋代線が合流して須坂駅に到着。 跨線橋の上から見る構内は広く、工場や車庫も併設されているため色々な車両が見られる。 OSカーや長電の茶坊主こと2000系A編成もホームの脇に留置されていた。 しばらく待ってやって来た屋代線の電車に乗車するが、こちらも日比谷線の車両がワンマン化されて使われている。
須坂駅
屋代線
これから初めて乗る須坂~屋代間は以前は河東線の一部であったが、同じくその一部に属していた木島~信州中野間(通称木島線)が2002年に廃止された時点で「屋代線」へと改称された。 その後利用客の減少に悩まされ、長野電鉄活性化協議会を設立して色々と模索等もして来たが、ついに万策尽きて2012年3月末までで廃止される事となってしまったのだ。 それを聞いたら乗らないわけにはいかない。 特に木島線を乗り逃がしているだけに、ここは普段の屋代線の姿を見ておこうという思いでやって来たわけなのである。
電車は千曲川の南東に広がる田園地帯をゴトゴトとのんびり進む… かと思いきや、意外なスピードで飛ばして行くのには驚いた。 以前は国鉄の急行列車が上野から直通して乗り入れていた位だから、結構線形も良く線路もしっかりしているらしい。 だが途中駅は概して鄙びていて、殆どが1面1線の棒線ホームだ。 例外は綿内駅、信濃川田駅、松代駅などで、交換駅としての機能と立派な木造の駅舎を持っている。 特に松代は沿線でも人口の多い松代町に位置し、ここはかつて地下大本営が築かれた地でもある。
既に学校は冬休みに入っている筈だが何かの行事なのか、その松代駅からは中高生達がたくさん乗り込み、車内は一杯になった。 電車は東側から張り出して来ている山岳地帯の尾根の末端を小刻みに周り込んで進んで行くが、何箇所かでは避けきれずに短いトンネルを掘って抜けている。 そんなトンネルの一つを過ぎて雨宮駅のあたりだったろうか、後部の車両で友達と賑やかに会話していた女子中学生が何人か連れ立って前の車両へと移って来た。 ここで降りるようだが、ちょうど連結部あたりにいた友達に気づいて足が止まり、言葉をかけあっている。 地方の電車でよく見る微笑ましい光景ではあるが、タイミング的にこれはあぶないぞ…。
信濃川田駅
そう思っていると案の定、「ブーッ」とブザーが鳴って最前部の降車ドアが閉じられてしまった。 会話を終えてドアへと向かおうとしていた彼女ら、「うっそーん」「マジかっ」。 ローカルと思って油断していたが、至って現代的な言葉遣いが車内に響き渡ったのであった。 結局女子たちは次の駅で降りていったが、一駅戻るんだとおそらくこの電車が行って帰って来るのを待つ事になってしまうだろう。 あるいは今どきの娘たちだから、ケータイで家に電話して車で迎えに来てもらったのかも知れないな。
いつの間にか右手には「しなの鉄道」の立派な複線が並走し、山裾の影に入ると終点の屋代駅に到着。 電車は木造の古びた待合室を乗せた細長いホームへと停車した。 ワンマンなので下車時には運転士に切符を見せるがここでは確認だけで回収せず、これまた古びた木造の跨線橋を渡った先、駅舎の改札口でしなの鉄道駅員に渡す。 電車から降りた人数はそう多くないが、改札を出ると待合室は人混みで溢れていた。 バスでも着いた直後なのかと思ったが、すぐに軽井沢行きの電車が来るようだ。 事前に検索で調べた列車は40分程待つ筈だったが、その前にもう一本あったのか。
屋代駅
例の検索トラップに引っかかったわけだが、結局は一本見送って予定通りの列車に乗る事にした。 早く行っても上田駅で乗り継ぐ別所線は同じ電車だし、ここの待合室のストーブを囲うようにベンチが四角に並べてある風情がちょっと気に入ったからだ。 その前では、親の迎えを待っているのだろうか、制服を来た女子高生が一人、ストーブの赤い光に顔を照らされながら静かに文庫本のページをめくっている。 私もベンチに腰掛けながらふと思い出す。 屋代駅って初めて来たけど、どこかで聞き覚えが…、ん? やしろえき!?
沿線略図 |
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参考リンク