季節はずれの冬の旅<南紀>BannerBanner

季節はずれの冬の旅、
1月…はだ寒い風の東京を離れ、
ポカポカと南国の日差しを浴びて、
誰も乗客のいないローカル列車の昼さがり。

潮騒がひびき、
波がキラキラと小さな光の集まりとなって揺れる…
そんな風景の見える駅。

弁当売りが手持ちぶさたで一服つける、
その手元を過ぎる風も、塩の香と陽射しの暖かさを
いっぱいに吸い込んでいるような気がする。

北に厳しさを求める心があるとすれば、
心に安らぎを与えるのが南国である。
1979年、冬、
私は心の安らぎを求めて旅に出よう。

※いつものパターンは避けようという事で、今回は極貧旅行の347Mも、目的地即到達のひかりも使わず、まずは品川発の東海3号となった。


 1/4 総武線快速はゆるいカーブを曲がり切ると、グッと身を持ち上げ一気に東京トンネルを抜け出た。今日も良い天気だ。陽光がまぶしい。今朝がた降りた霜は、もうすでに消えてしまっている。

 久方の旅立ち。品川発の東海3号で始まる。三が日が明けたといっても、まだ1月4日の事、だいぶ混むだろうと予想していたが、発車間際に乗り込んでも海側に一人で座る事ができた。列車は川崎を過ぎて加速を始める。軽いジョイント音が、だんだんとその間隔をつめてくる。窓の外を、一夜明けて東京へ向かうブルートレインが何本も上って行った。

 やがて列車は国府津へ入る。太平洋は、おだやかなその面を見せている。久し振りに、ゆっくりと東海路が楽しめる。今日は富士山も顔を見せてくれた。


品川 0908
   | 東海3号
静岡 1200
   1225
   | 449M
浜松 1337
   1415
   | 3131M
名古屋1554

※何本か列車を乗り継ぎ、名古屋へ着く頃、早や日は落ちんとしていた。ホテルへチェックインの後、夕食をとりにデパートへ。こちらの方は正月らしい混みぐあい、空いていたピザハウスでピザを。ホテルでは、ウェストサイド物語で夜をふかした。



 1/5 急行"紀州"をやめ、近鉄でまで出る事にした。名古屋9:11発の急行で下る。四日市からは、たいへんな混雑になってしまった。で乗りかえて、国鉄のローカル列車で伊勢市へ向かった。こちらは日中ゆえのガラガラである。やはり、近鉄に客をとられているようだ。それを象徴するかのように、12月から走り始めたニュータイプの近鉄特急が、タイフォンの音と共に我がDCを追い抜いていった。

 少し行くと、高茶屋という駅に着いた。何々茶屋というのは、関東にもある駅名だが、その名がいかにも関西らしいと感じられるのは私一人だろうか。駅は田んぼの真ん中にある。しばし交換の間、待ち合わせのようである。やがてエンジンの音も高らかに逆方向の列車がやってくる。駅員がタブレットを持って走る。発車のベル。間ぎわに改札に駆け込んだ老女…車掌はドアを開けて乗せてあげる。客が一人増える。その異質感を全く感じさせない車内の雰囲気…なんとものどかである。そして発車。駅員は改札口の表示をかけ替え、列車を見送る。そして、自転車に乗った老人と子供も…。


名古屋0911
   | 近鉄
 津 1015
   1031
   | 839D
伊勢市1142
   1155
   | 722D
鳥羽 1217
   1309
   | きのくに25号
熊野市1602

伊勢市で乗り換え、鳥羽に至る。俗化されていると聞いたが、あちこち回らなかったせいか、それ程とも思わなかった。景色はめっぽう明るい。やけに甘くて、キャベツだらけの焼きそばを食べた。鳥羽からは、きのくに25号に乗車。途中の新鹿海岸は白砂で夏に良さそう。夕方熊野市に着く。宿泊先の熊野市青年の家、私一人の予約者のために色々と気を使ってくれ、おもちまで焼いてくれて感激。その後飛び込みで姫路から来た3人と共に夜遅くまでTV.を見た。



 1/6 姫路の3人と車で鬼ヶ城を見に行く。とりわけ普通の海岸と違うわけでもないが、やはり迫力はある。彼らと別れた後、私は一人、七里御浜に立った。真正面に昇った太陽は、まさしくここが東海岸である事を示している。

 列車待ちの小一時間程、私はここで過ごす事にした。時々、何やら知らぬ鳥の鳴く(とんびかも知れない)声が聞こえる他は、波の音がするばかりである。かげろうの中に、小さな漁舟が砂に引き上げられてゆれている。


 老婆が一人、つえをついて海岸に降りて来た。
 手には花たばのようなものを新聞紙に包んでかかえている。

 彼女はつえをザクッと砂にさすと、
 さらに二三歩進んでそこに正座をした。
 包みを砂の上に置き、その辺にある手頃な石を乗せる。
 そしてマッチで火をつけるようだが、うまくつかない。

 そのうちに立ち上がり、さらに少し波うちぎわに歩を進め、
 その包みをポーンと海に投げた。
 それは海から吹く風に巻きもどされて、老婆の足元近くに落ちた。
 それが砂の上だったか、海だったかは
 私の前にある砂丘のために見えなかった。

 彼女はつえを立てると、又ペタンと座り込んで、
 今度は無心に小石を拾い始めた。
 背を丸めたその姿は、まるで海に向かって祈りをささげているかのようだ。


熊野市1109
   | はまゆう1号
那智 1203
   1205
   | バス
那智山1225
   1415
   | バス
那智 1435
   1444
   | 2331M
串本 1529
   1620
   | バス
潮岬 1641

※この日は、この後那智の滝を見て、串本へ。バスで潮岬のYHへ至る。



 1/7 ※潮岬YHは、名古屋の女子大生2人、京都の大学生1人、それに私の計4人であった。朝、太平洋を見渡せる広大な芝生を横ぎって、燈台へ行った。見学者の少ないのを幸いに、燈台上でスケッチをする。

 波はあいかわらず静かである。波の表に反射した日光が、暖かさとなって体全体をつつんでいる。ヘルパーたちに見送られて、この地を後にした。

江住駅にて−
 DC急行は、切り通しの中程で静かに停車した。客車4両分程であろう、小さなホームはすぐつきて、私の窓の下には砂利があるばかりである。鉄さび色の砂利からつき出した架線柱が白い。電化直後でまだ新しいためだ。やがて現れた上り列車はEF58が引く。荷物車2両、客車3両というその編成は、かつての東海道のエースには少々みじめな姿であった。



潮岬 1004
   | バス
串本 1024
   1043
   | しらはま1号
柘植 1726
   1735
   | 739D
草津 1831
   1837
   | 830M
大垣 2002
   2025
   | 344M
東京 0440

 こうして、短い旅に別れを告げたのである。今回の旅では、特に観光地での時間配分に失敗した。鳥羽ではもう少しゆっくりとしたかったし、那智では時間をもてあまし気味であった。もっとフレキシブルな旅をしたい…。



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