11:57志布志駅着。 結局、同業者と思っていた人も含め終着手前の駅であらかたの客は降りてしまい、車内に残ったのは私と地元のおばさんと思しき女性のみ。 それぞれワンマンの運転士に切符を出して、無人の駅舎を通り抜ける。 無人とは言えトイレに寄ったついでにちょっと事務室の方を覗いてみたら、そこには観光協会らしきものが入っており、女性が一人で番をしていた。 かつて志布志線や大隅線が来ていた頃、この駅はかなり大きな構内を持っていたというが、それらの廃止後に少し宮崎寄りへ移動し、今は小さな棒線ホーム一本のみとなってしまった。 ちなみにこの駅の住所は、「鹿児島県志布志市志布志町志布志」である。
外へ出ると、私と一緒に降りたおばさんは駅前でバスか迎えを待つようだ。 私はこの先に旧機関区跡に作られた列車公園があるので、それでも見に行きたい。 が、その前に若干探検したい場所があるので、まずはそちらの方へ。 左手に大きなスーパーを見つつ広い直線道路を歩いて行き、途中から路地に入って住宅街の中をうろつくと、事前にマップで確認していたのですぐに目的の場所は見付けられた。 見事な造りの蔵があって、その前の看板に「下戸酒店」と書かれている。 店名にピンと来たかな? だが残念ながらこの日は営業していないようだった。
このお店、ネットで聞いた噂では「げこ」でなく「さげと」と読むらしい。 私が前作の終端駅セクションで「下戸酒店」を作る際に、実在して万が一ご迷惑をかけてはいけないと心配し、一応検索をかけてみた事がある。 その際は一件もヒットしなかったので安心していたのだが、実際にはネット上に情報が無かっただけで、当時(10年前)からお店は営業をしていたようだ。 今さら仕方ないが、私の方は「しものへ」と読ませるので、ご容赦を願うとしよう。
目的を達し(この為だけで来たわけじゃないが)、次は旧志布志機関区跡に整備された志布志鉄道記念公園の方へ。 展示されているのはキハ52と車掌車ヨ、及び蒸気機関車C58である。 以前は露天で塗装もだいぶ傷んでいたようだが、現在は屋根が設けられており、キハの外観も九州色から国鉄色に塗り替えられている。 炎天下だが、子供連れの家族が何人か遊びに来ていて、広い空の下に歓声が響いていた。 私は暑さに負けて、すぐお隣のスーパーへ。 お昼も過ぎたのでお握りとおかずがセットになったパックを購入し、フードコートで一人パクつく。 白米のお握りは中に何も入っておらず塩味もきいていないというスッポロ飯(by.百間)で、ちょっと残念だった。
13時過ぎに発車する油津行きに合わせてホームへ戻る。 往路に乗って来た同じ気動車がそのまま折り返すわけだが、その間の待機時間は1時間強。 一度エンジンは切ったのかも知れないが、車内に入ったら既に冷房がキンキンに効いていて有難かった。 当たり前だが、往路とほぼ同じだけの時間をかけて油津へと戻る。 違うのは、今度は車窓右手が海となる事ぐらい(笑)。 沿線は線路に振り被る樹木の剪定が間に合っておらず、車体に枝葉がバサバサ当たる。 時には「カンカンカンカン」と、窓を小枝が弾いて行く音が車内に盛大に木霊して賑やかだ。
油津の乗り換えで時間があるので、今度は駅前広場に出てみた。 外から見ると、ホーム側の地味な外観から想像出来ない派手な赤い塗装に驚いたが、広島カープのキャンプ地にちなんでコラボしたデザインなのだそうだ。 再び車中の人となり、走るうち窓ガラスにポツポツと雨滴が付き出した。 油津から1時間あまり列車に揺られて南宮崎着、あとはここから日豊本線の電車で延岡まで行けば、本日の旅程は無事完了となる。
ここで宿泊地を宮崎にしなかったのは、翌日の移動を考えての事。 当初18きっぷで岡山までを目指していたのだが、宮崎からだと始発に乗っても当日中に着かないのである。 で、仕方なく観光地要素の少ない延岡に宿を予約しておいたわけだが、その後豪雨により山陽本線が長期不通に陥ってしまった為、結局は岡山での一泊を削って小倉から新幹線でその日のうちに東京へ帰る事にしてしまった次第である。
延岡は旭化成の城下町であるからして、出張族の為にビジネスホテルが多く、宿が比較的とり易いのは大いに助かる。 南宮崎から4両編成(途中で2両に減車)の通勤電車に乗って夕暮れの日豊本線を1時間半ほど疾走し、その延岡に到着すると外は土砂降りの雨であった。 台風の影響かゲリラ豪雨か分からないが、折り畳み傘を開いて駅前すぐのホテルへと駆け込む。 コンビニも至近で便利だが、あたりに遊び歩く様な街並みは見当たらない。 もっとも既に疲労困憊だし、大雨ではそんな気力が出て来ないのは当然だ。 この雨で明日乗るどこかが不通にならなきゃいいが…と、その夜は外を気にしつつベッドで眠りに就いた。