翌朝6時、眠い目をこすりながらカーテンの隙間から外を覗く。 まだ日が昇らないのでよくわからないが、テレビの予報によると天気はこれから下り坂のようである。 昨日の移動日はあんなにポカポカ陽気だったのに、肝心の本番がいまひとつの天気では残念過ぎる。 軽く朝食を済ませ宿を出ると、身震いする程の寒さに思わずジャケットの襟を立てた。 東山線で名古屋駅へと移動し、地下にある名鉄の有人改札口で「1DAYフリーを1枚」と所望。 駅員氏が「はい!本日ご利用の『まる乗り1DAYフリーきっぷ』を1枚ですね」と省略せずに復唱するのは、さすが鉄道員だ。 「3100円になります」昨年夏の周遊の際にはこれの2DAY版を使用したが、今回は1日用。 2日用にない特典として、10時~16時の時間帯に限り有料の特別席にも乗れるという。
本日これから目指すターゲットは、津島線、尾西線、竹鼻線、羽島線、そして遠く離れた三河エリアの豊川線である。 昨夜のうちに一応、おおまかな時間配分を見る為にモデルケースとして検索をかけ、乗る列車を一通り洗い出して来てある。 まずはそれに従い津島線からという事で、その分岐駅である須ヶ口行きを待つ。 普通列車なので4両だろうと判断し、昨日停車位置で痛い目を見たのでホーム最前部で待機する事にした。 しばらくしてやって来た須ヶ口行き、とりあえず写真に収めてから乗り込もうとカメラを構えていると、覗いていたモニター内の遥か彼方、ホーム後方で停車してしまった。
「ん?信号待ちかな?」とボンヤリ眺めていたが、ふと気づくと遠くで乗降が始まっている。 うゎ!ヤラれた、と思って人混みを掻き分け駆け寄るも、すんでのところであえなくドアは閉じられてしまった。 後で知ったことだが、名鉄名古屋駅では混雑緩和のため列車の行き先ごとに乗車位置を変えている。 それにより、短い編成については停車する場所がホーム前後に振り分けられてしまうようだ。 これまでは比較的編成の長い優等列車ばかりに乗る機会が多く、私は今回初めてその洗礼を受けたのである。 地元の人であれば常識なのだろうが、昨日に続きまたしても名鉄メソッドの罠にかかってしまった。 構内放送や乗車位置を知らせるホーム上の案内表示器に注意していれば、容易に分かる事なのではあるが。
のっけから検索結果に対してズレる始末となったが、あれはあれであくまで参考例として見ているので、まぁいいだろう。 別にきっちりその通りに行動する必要など全くない。幸い、少し後から来る急行も須ヶ口には停車する。 さすがに編成は長いだろうが、到着案内が流れ出したホームで、私はどちらへも走れるよう用心深く、その中央部に陣取って身構えた。 やってきた急行岐阜行きは目出度く6両編成、ようやく目の前にドアが来て車中の人となりホッと一安心だ。 車内も空いているので椅子に落ち着いた私を乗せ、電車は地上へ出て最初の停車駅「栄生」(さこう)に着いた。 ここを発車すると昨日乗降した東枇杷島は通過、庄内川を鉄橋で渡りデルタ地帯へと入って行く。
「スミマセン、ジモクジハ、マダ?」隣に座っていたニット帽のアジア系らしき若者に突然尋ねられた。 彼の見せたスマホ画面には、ひらがなで「じもくじ」と打ち込まれている。 私が地図で検索してみると「甚目寺」と言う駅がこれから乗る津島線にあったので、つたないイングリッシュで「next station, change trains」と伝えるが、英語を話さないのか私の発音が悪いのか、彼はキョトンとしている。 そうこうしているうちに電車はスピードを緩め、須ヶ口駅のホームに滑り込む。 私はむしろ簡単な日本語の方が通じるかな?と考え、立ち上がり、「のりかえ…」と彼に手招きをしつつ伝えた。 「アー、ノリカエネ。アリガトゴザイマス!」一緒に、ホーム向かい側に待っている津島線の電車に乗り換えた。
津島線は須ヶ口~津島間を結ぶローカルな路線だが、運用的にはその先、津島~弥富間の尾西線と一体化しており、列車が名古屋方面から弥富へ向かう際のショートカット線的な役割を果たしている。 従ってこの区間には優等列車も走り、線路も全線にわたり複線化されているのだ。 1駅目の甚目寺で無事に彼を降ろした後、電車はまっ平らな濃尾平野のゼロメートル地帯を疾走して行った。 次駅の「七宝」は七宝焼の事だが、もちろんこの地が発祥と言う訳ではなく七宝焼きが盛んだったことからついた町名との事である。 やがて川を渡り高架に駆け上がれば藤浪駅に停車、さらに走って右手から尾西線が寄り添って来ると津島駅に到着した。
正月でもあるし、せっかく通りかかったのだからと、私は電車を途中下車して改札を抜け駅を出た。 津島には津島神社があるので、そこへお参りして行こうと考えたのだ。 電車に乗りに来たついでに参拝するなどと言うのは畏れ多いことだが、各地の津島神社の総本社であるからしてきっとご利益があるに違いない。 高架下の駅舎を出ると駅前ロータリーは何となく地方のローカルな感じで、昭和の観光地駅前という空気が漂っている。 それより何より、さ、さ、寒い! なんだこの底冷えは。 昨日が暖か過ぎたので、なおさら体に応える。 空はどんよりと曇り、日差しの無いのが寒さにさらに追い討ちをかけている。 今日は雨の予報が出ているので、傘をささずに歩けるのは今のうちかも知れない。
津島神社へは、駅前正面の大通りをそのまままっすぐ歩いて行けば良いが、脇道の街道筋から行った方が風情があると観光案内で見たので、そちらへ迂回する事に。 それで駅左手のバス専用道の横を抜け、1本南側の通りへ出た。 このバス専用道、なんとなく怪しい匂いがしたので後で調べてみたら、果たして地上駅時代の線路跡だそうだ。 しばらく大通りを歩き、途中から斜め右手に入るとそこが津島上街道、俄然、周囲は時代がかった景観となって来る。 瓦を乗せた古い建物、黒塀に漆喰の壁、格子の引戸、全てが一昔前の街道筋の光景である。 まだ朝の8時台なので無理もないが歩いているのは私一人、この時代劇の世界の様な魅力あふれる風景を独り占めである。
その先で駅前からの本道に合流し、ご神木の脇を通ると、目の前には朱塗りの大きな鳥居が姿を現した。 ここまで来ればさすがに総本山だけあって、早朝のこの時間帯でも多くの人で賑わっている。 境内では親と連れ立った晴れ着姿の若い女性の姿も多く見られたが、それで明日が今年の成人の日であることを思い出した次第。 個人的にはやはり、成人式は1月15日である方がしっくり来るというのが、昭和世代の感慨ではあるが…。 帰りは真っ直ぐ駅前通りを歩いて来たが、古い建物を再利用した洒落たカフェの前では、若い女性スタッフらしき2人が開店準備に勤しんでいる、そんな光景の見られる朝の津島駅前なのだった。
津島駅からは尾西線の電車に乗り、弥富へと向かう。 途中の「五ノ三」(ごのさん)という駅は住所みたいで、駅名としてはちょっと珍しいなと印象に残った。 少々歩き疲れたのもあって椅子に腰掛け、ガラ空きの車内から車窓をボンヤリ眺めていると一部に高架区間があり、その途中で駅跡らしき遺構が窓の外を一瞬のうちに流れ去るのに気付く。 この存在も行くまで知らなかったのだが、10年ほど前に廃止された「弥富口」と言う駅だそうである。 駅としては古くからあるが、高架化されてまもなく近くの大きな工場が閉鎖され、通勤客が減った影響もあり廃止されたそうだ。 高架上の廃駅はその構造上、完璧に撤去することが困難で、痕跡は比較的残りやすいと言える。
グッと左手にカーブしてJRの線路と合流すると、終点の弥富駅。 名鉄で「弥富」と言う行先表示は時々見かけていたが、こういう駅だったのか。 もちろんJRの関西本線でここを通過した事は幾度と無くあるが、実際にホームに降り立つのは今日が初めてである。 駅全体としては片式と島式の2面ホームに3線の典型的な国鉄型だが、そのうちの島式ホーム片側を名鉄が間借りしたような格好となっている。 ちょうど西武多摩川線の乗り入れる、かつての地上時代の武蔵境駅のような感じである。 改札を通らずに同じホームで乗換えが出来てしまうが、ICカードの整備された今は、きっとどこかに簡易タッチ端末が設けられているのかと思う。
弥富は金魚の町で有名だが、観光地としては、調べてみても特に歩いて行けそうな良い場所も見つからなかったので、このまま駅を出ずに折り返す事にする。 乗ってきた電車でふたたび津島まで戻り、待っていた一宮行きに乗り継いだ。 ここから先も尾西線だが、弥富方面からの電車は津島線の方に直通してしまうので、この区間だけ独立したローカル線の様になっている。 車両も2両の最短編成でワンマン列車となり、乗客も閑散としてまばらだ。 線路も最初のうち複線だったが、いつの間にか単線となっており、交換駅で待ち時間が長い場合は車内保温のため一度ドア閉めをした状態で発車を待つ。 電車はどこまでも平らな田園地帯の中を淡々と走り、右手に名古屋本線が見えて来ると名鉄一宮に着いた。
「名鉄一宮」駅は名鉄の中でも大きな、都会の高架駅である。 隣には東海道本線が走り、駅はJRの「尾張一宮」と一体になっている。 尾西線はここで名古屋本線に寄り添うが路線として終点ではなく、この先で再び離れて北上し木曽川近くの玉ノ井まで行く。 だが津島方面から直通する列車はなく一宮~玉ノ井の線内折り返し運用のみ、という事は、尾西線は実質的には3路線に分断された運行形態となっているわけである。 さて、玉ノ井行きは同じホームなので乗って来た一宮止まりの電車が引き上げてから入線するのかと思い、発車まで少し時間があるので、一旦階下へ降りてトイレに寄ることにした。
発車時刻が迫ったところで再び階段を上がりホームへ行くが、そこにはまだ乗って来た電車が停車したままである。 何だかおかしいなぁ…と考えながら何気なく右手をみると、ホーム遥か先端の方に、短い編成の電車が止まっているのが見えた。 「うぁ、ヤバっ!」またしくじったか?と思いつつ駆け寄ったが、今回はまだ発車時刻前なので、電車は静かに待っていてくれた。 危ない危ない、またヤラれる所だ。 しかし同じ番線に縦列駐車とは、なかなかトリッキーで予想外の運用だった。 地方のJR等では時々見かけるが、それが名鉄のこの駅で行われているとは考えもしなかったのである。
時間が来て発車すると、電車はすぐ本線から分かれ、街並みの上を単線高架で進んで行く。 ここはよくある複線を考慮された高架でなく、いさぎよい全くの単線である。 鄙びた線区かと思ったが、西一宮を過ぎて高架を降りてもそこそこの高速で疾走しているのは、この小さなローカル線にあって意外であった。 開明、奥町、と停車して徐々に客を降ろし、右へカーブを切ればもう終点の玉ノ井に呆気なく終着する。 最後まで残された数名の客と共にホームへ降り、折り返し時間は少ないが、一旦改札を出て駅頭の写真をカメラに収める。 周囲は静かな住宅地で電車の音以外は何も聞こえず、ひっそりとしている。
そろそろ電車に乗ろうと再び駅舎へ入ると、「すいませーん」と一人の男性が改札越しに中の方へ向かって呼びかけている。 静かな駅なので折り返し準備でホーム上を歩いていたワンマンの運転士がすぐ気づき、こちらに駆けて来て二人で会話を始めた。 自動改札を通る時に話の一部が聞こえたのだが、彼はさきほど乗って来た電車の車内に傘を置き忘れた様だ。 「ここ、入れないですよね?」「あぁ、じゃぁ私が持って来ますよ。」「すいません、透明のやつなんですが…」 のんびりした小さな無人駅らしい光景である。 2両編成なので、運転士さんが探すのもきっとわけないだろう。