今年は冬の18きっぷを購入しそびれてしまったが、どこか数泊程度で出かけたいという衝動は沸々と湧き上がって来る。 暮れにかかったインフルエンザの病み上がり、まだそれを引きずってボーっとしている頭の中で考えるに、あまり行っていない旅先候補という事で奈良方面が浮かんで来た。 いや正しくは、まだ「乗ってない」エリアの意味合いではあるのだが、調べるに近鉄の週末フリーパスという切符が存在するのを知る。 金土日、又は土日月の3日間有効、私鉄としては営業キロが屈指の長さを誇る近鉄だから、全線乗り放題4,100円という料金も頷ける。 せっかくなので名古屋に前泊してそこから乗り始めようという事で、会社の半休をもらって金曜午後の新幹線に飛び乗った。 夕刻に着いた名古屋の近鉄駅窓口で明日からの切符を買い(当日売りは無い)、名物の味噌カツ重弁当で腹を満たして翌日の乗車に備える事となった。
ホテル廊下のざわつきで目を醒ました朝、少し隙間を作っておいたカーテンの向こうから薄日が射している。 昨夜調達したサンドウィッチでゆっくりと朝食を済ませ、珈琲をすする。 そう言えば昨日立ち寄った名駅前のコンビニには野菜やハムのと並んで小倉サンドが売っており、さすが名古屋だと感じ入った次第だ。 駅まで数分歩き、JRコンコース内の通路を横断して地下にある近鉄の改札口へ。 有人改札の駅員に切符を見せて通ろうとすると、「あ、そちらへ入れて下さい」と言われた。 なるほど、裏を見れば磁気券で、自動改札が通れる様になっている。
近鉄名古屋ターミナルの地下ホームは櫛形で5番線まであり、次々と特急や普通列車がやって来ては折り返して行く様はなかなか活気がある。 ホームの少ない名鉄ほどの忙しさはないが、伊勢志摩や大阪方面へと向かう長距離列車の始発点としての貫録は充分だ。 ジャスト9時発アーバンの後を追い、1分後に出発の名古屋線急行松阪行きに乗車。 発車してカーブを曲がり地下線を少し走れば、車外の擁壁が徐々に窓の下へと降りて来て広々とした空の下に広がるヤードの中に出た。
この光景で、母の勤め先の慰安旅行に同行させてもらった時の幼い記憶が蘇る。 確か小学3~4年位、名古屋までは東海道本線の夜行で、座席の間に板を渡して仮眠したのを覚えている。 伊勢志摩へ向かう近鉄に乗り、地上に出たのは空がようやく白み始めていた頃。 そこまでは明白なのにその先は何故かおぼろげな記憶、真珠島や伊勢神宮には行ったと思う。 それからどこへ向かったのだっけ? 帰りは待望のひかり号に乗った。 どうも乗り物絡みの部分だけイメージがはっきりしているようだ。
電車はしばらく関西本線の線路と並走しつつ市街地を高架で進み、庄内川を渡ると地上へ降りる。 だがこのあたりも周囲は住宅が多く、立体化の工事が進行している。 木曽川、長良川、揖斐川と次々長い鉄橋で渡り、桑名へ。 ここは数年前のやはり正月に、北勢線や養老線の乗車で訪れているので若干馴染みがある。 電車が駅を出ると左手に見えていた北勢線のナローな線路が一旦離れていき、やがて築堤を登ってカーブを描きつつ戻って来て、ひ弱そうなガーダーでこちらの上を跨いで行った。
乗っている6両編成は4ドア・ロングシートの通勤型だが、車内放送で2両目にトイレがあるとのアナウンスが流れた。 次の乗り換えまで1時間程ではあるが、頻度高めの私としては心強い。 関東私鉄の通勤車では短距離走者な為もあろうが、まず見かけない設備だ。 大きな駅に着いたなと思ったら近鉄四日市、その手前は最近立体化されたようでピカピカの高架であった。 ここからは、同じくナローの内部・八王子線に乗ったっけ。 ローカルな湯の山線や鈴鹿線にも行ってみたいが、今回は奈良方面を中心に行動するので寄り道は我慢だ。
塩浜を過ぎると四日市の郊外へ出て、周囲は一面の田園地帯となる。 「江戸橋」という駅では名古屋から乗り続けて来た人も含め、乗客の大半が下車してしまった。 次はもう「津」なので、その圏内なのかも知れない。 しかし、江戸橋という駅名も気になるが、これだけ降りるのは周辺に大きな工場でもあるのだろうか(後で調べたら三重大学が近くにあった)。 身軽になった電車は津を過ぎて、一路、松坂へと向かい疾走する。 右手に連絡線が見え、続いて大阪線の線路が近づいて来れば、乗換駅となる伊勢中川に到着だ。
電車は駅構内へと滑り込む。 経路検索結果が1分乗り継ぎなので予想はしていたが、同じホーム右手に乗り換える上本町行き急行が待っていた。 ドアが開いたのでそちらから降りたが、逆サイドのドアも開いたのは降車客の便宜を図る為だろうか。 ここは地下に改札口やコンコースがあり、駅の下を横断する自由通路につながっているそうだ。 乗り換えた大阪線の車両はクロスシートの6両編成、車内妻面には5156と番号が書いてある。 私鉄でも普通乗車券だけでクロスシート車に乗れるというのは、やはり関東の人間にはお得感があって嬉しい。 乗客の乗り換えが済むとすぐに発車、川を渡り右から連絡線が合流して来ると、景色はスピードを上げて急速に流れ出す。
窓に肘をついて外を眺めていると、ボンヤリしつつも旅の気分が盛り上がって来る。 急行なのでいくつか駅を通過した後、榊原温泉のあたりからは周囲に山が迫り出す。 続いて山中の寂しい駅、東青山に停車、いよいよだ。 窓に寄り添いカメラを構えて、新青山トンネルに入った瞬間にシャッターを切った。 しめしめ、少しブレたが記録には残すことが出来た、満足してカメラをしまう。 と、すぐにトンネルが終わり「あれ?」と思う間もなく次のトンネルへと突っ込んだ。 長い!こちらが本物のようだ。騙された…。
長大な新青山トンネルをひたすら走り、そこを抜けるとすぐ西青山駅に停車。 東青山と同様で人の乗降する気配はない。 森閑としたホーム、開け放たれたドアの外からは鳥のさえずりが微かに聞こえて来る。 西青山を発車するとその先は田畑と農家集落の織り成す日本的な里山風景の中、電車は奈良盆地へと向かって徐々に高度を下げながら走って行く。 駅間が長いためか車掌が頻繁にやって来るが、車内検札は行なわないようだ。
この車両も勿論トイレが装備されている。 向かいのボックスにいた女性3人連れのうち老母と思しき一人が立ち上がり、揺れによろけながら隣車両のトイレへ向かうようだ。 席に残った娘らしき2人も初老の域に達している。 しばし歓談しつつ、片方は時々通路に首を出して隣車両の方を確認、少々母親が心配な様子である。 彼女は何度目かの確認で振り向いた瞬間「ハッ」という表情を見せ、席を飛び出して小走りに隣の車両へと飛び込む。
何か一大事か?と思って連結ドアの向こうを見ていたが、隣車両で合流した彼女はトイレから戻って来た母親をそばのボックスに引き込んでいる。 しばらくゴソゴソした後に戻って来たが二人とも大笑い、席で待っていたもう一人も話を聞き「やだよー」等と言っている。 事情を説明している声が大きいので、こちらにも筒抜けである。 母親がトイレを済ませた後、下着を出したままなのを気付かずにそのまま歩いて来てしまったらしい。
伊賀神戸、名張と主要駅を過ぎる。 周囲の山々が徐々に低くなって来た。 榛原(はいばら)駅では何故か5番線が1番線の隣にあって不思議に思ったが何か特別な事情でもあるのか? 近鉄は他にもこのような駅が存在するようである。 JR奈良線と接続する桜井駅の高架に上がれば、そこはもう奈良盆地の中だ。 橿原線に乗り換える私は網棚のリュックを下ろし、車内に流れる放送に聞き耳を立てた。 こういった案内放送も私鉄ごとに独特の言い回しがあったりしてなかなか面白い。