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2004/02 |
ということで、前回の乗車から又さらに2年以上が経過してしまったわけですが、今日も乗りにやって来ました京成電車。今回は津田沼から千葉線方面へと入って行ってみましょう。この千葉線、開通が1921(大正10)年と結構古いんです。なにせ、それから4年程してやっと津田沼から成田方面が着工になるくらいでして、京成の中でも比較的歴史のある線なのです。
芝山鉄道車 8連 |
例によって京成上野の地下駅から乗車だが、ホームへ降りて行くと「アレ!」見慣れない塗装の電車が。これは今回初めて乗る事になるが、数年前に開通した芝山鉄道の所属車で、京成3600形の帯色を変えただけ。特急成田空港行の運用なので、自社線内を走行しない事になるな。しかし乗ってしまえば普段と変わらぬ京成電車で、クネクネと曲がったトンネルを抜け低い高架上をゆるりと走り出せば、窓外にはいつもと変わらぬ下町の景色が続く。
新3000形 |
京成津田沼で特急を降り、普通ちはら台行きの接続をしばし待つ。電光掲示板に表示されたこの行き先が何となくピンと来ないが、私が通学で使っていた頃は千葉から先の線路が無かったので、仕方が無い事ではある。
「ちはら台」のLED表示でホームに静々と入って来た電車は、これまた初乗車の新3000形。車内も何となく新車の匂いがする気もしたが、こちらも走り始めて既に一年弱が経過している。時間が来て発車、津田沼駅構内の複雑なポイント群をガタガタと通過し、右手に成田方面の線路を分け、一路千葉へと向けて加速を開始する。
ゆるい勾配を少し登り右へ車体を傾けながらカーブを切り終われば、いきなりこの千葉線のハイライト区間が始まる。そう、約3キロに渡ってJR線と併走する直線区間だ。まずは眼下を京成の本線がアンダークロス。一旦右手へ分岐して行った成田方面の線が、ここで本来の方向へと向けて走り去る。
JR幕張電車区 |
京成幕張駅 |
後は延々荒野の中を一直線に突き進むが、昨今は中間地点あたりに幕張本郷駅が開設され、多少住宅も増えて来た。かつてこのあたり海方向を遮る物は何もなく、低い丘陵の向こうには東京湾の水平線がキラと輝く一瞬を楽しむ事も出来た。さらにその背後には富士山が小さな頂を見せている場合もあった。
一方左手の車窓は、総武複々線とそれに寄り添う長大な幕張電車区。今やすっかりこの線区に溶け込んだ E217系を始め、総武快速の主とも言える113系1000番代(今はローカル専門だが)、そして国鉄塗装も華やかな特急183系と目を休める隙も無い。時々は手前の緩行線や快速線を併走する電車もあって、抜きつ抜かれつに一喜一憂したのも懐かしい思い出だ。
幕張本郷は1991年の開設となり、千葉線の中では一番新しい駅。総武線や京成線から幕張新都心へはここが玄関口となっており、駅前からは連接バスが頻繁に発車する。そこからまたしばらく走り、やがて急激な減速と共に電車は右カーブした京成幕張駅のホームへと滑り込む。JRの方は真っ直ぐと駅に入って行くが、京成はここから若干海側へと離れてゆく為だ。駅を降りて少し周辺を歩いてみた。
駅前には JRと京成線を越えて行く長い踏切があるが、それ以外は特に目立ったものはない。JR幕張駅も目と鼻の先なのだが、そこへ行くには線路伝いに静かな住宅地の中の路地を少し歩かなくてはならない。JRの駅前まで行ってみたが、どちらの幕張駅もあまり活気が無いようだ。ここらは後輩の海浜幕張や幕張本郷の方が、昨今は発展著しいのかも知れない。
京成幕張駅側線 |
再び京成幕張駅へと戻る。ホーム上からJR構内の方を眺めると、その手前に京成の側線が何本か横たわっているのがわかる。かつては幕張駅の方までさらに側線が延びており、国鉄線上を回送されて来た京成の新製車をそこで受け渡ししたそうだ。当然軌間が違うので、予め台車は用意しておいてそこで交換を行なったらしいのだが。
逆に新京成の開業時は、京成の譲渡車をここから国鉄線上を回送して送り出したそうだ。新京成は軌間1067mmで開業したから、国鉄津田沼から新津田沼へはそのまま連絡線を通って納車したという。もちろん、京成津田沼での接続が完了する以前の話だ。