- 立石、青砥 -
立石駅は京成電軌時代はもう少し高砂寄りにあったものが、奥戸街道上を走っていた併用軌道を専用軌道化する際に、現在地へ移転して来たようだ。 下車したホーム目の前には、何やら垣根に取り囲まれた箱庭のような敷地がある。 案内板を読んでみてわかったのは、その地名「立石」の起源についてだった。 曰く、この地に地面から露出して「立」っている「石」があったから。 その石は古代の道の道標として使われていたらしいが、その後「立石様」として奉られた。 江戸時代頃までは高さ60センチ程もあって「根有り石」とも呼ばれていたが、その後お守り代わりに欠いて持ち去る人が多くなり、現在ではかろうじて地表から顔を出している程度だそうだ。 実際の「立石様」は、駅を出て東方にだいぶ歩いて行った先にあるらしいが、そのレプリカがここのホーム上に展示されているという次第だ。
ホームに人は少なく押上方面の見通しもわりと良いので、次々とやって来る電車をしばらくの間眺めていた。 都営、京急、北総、ニュータウン線と、入れ替わり立ち代り色々な車両が現れるので退屈する暇が無い。 この駅も近く、曳舟駅と同様に高架駅へと生まれ変わる予定だが、完成後の姿はどうなるのだろう。 いつまで見ていてもきりがないので、適当な所でお開きとし、京急の赤い電車に乗って青砥へと向かった。
立石駅を出て左カーブを抜ければ、徐々に高架線へと勾配を登り、もうすぐ正面には軍艦のような地上三層の青砥駅が見えて来る。 上り線と下り線を別な階のホームに収容するというこの特異な構造は、狭い敷地を有効に使うため、そして地上時代の本線上り線路と押上線下り線路との平面交差解消を目的とした物だ。 駅を出てすぐに両線が分岐するので、そのままだと片方の線路をもう片方の下へ潜らすという事が出来ない。 だから、駅のホームごと交差させてしまったという苦肉の策であったわけだ。
乗ってきた京急車はここが終点で引上げ線へと入るが、ホーム向かいには上野方面から来た電車が既にドアを開けてちゃんと待っている。 見晴らしの良いホーム高砂寄りに立ち、両側から同時に発車して行く電車を見送った。 地上3階の高さからはすぐ脇をうねる中川の流れが良く見えてなかなかの絶景だ。
さて本日の予定はここまでだが、どっかしらに出ないと帰れない。 以前の乗車区間とかぶるが、とりあえず高砂駅まで行く事にしよう。 という事で次にやって来た電車に乗り込み、中川を複々線で渡りだす。 川の土手を過ぎると一瞬眼下に単線の線路が見えるが、これは以前雨の沿線歩きをした新金線だ。 すぐに高砂駅の狭いホームへと滑り込み、ガラガラとドアが開いて喧騒のホームへと降り立った。
高砂はいつやって来ても次々と色々な電車が出入りして、とても目まぐるしい。 青砥駅を経由して上野・押上方面へと向かう電車、本線の成田方面、金町線の電車、北総線の高架へと入って行く電車、そして車庫へ出入りする電車。 駅の端っこで青砥方面から橋を渡って坂を降りて来る電車を眺めるのも、なかなかに楽しい。 ホームを吹き抜ける風は、既にそこはかとなく春の暖かさを孕んでいるようだ。 天気もいいし、せっかくだから帝釈天でも寄って行くかな…。 振り向けば、少し愛嬌のある顔をした 3500形更新車の折り返し金町行きが、ホームの片隅で私を待っていた。
<おわり>